まず、世間でも騒がれているバグ、つまりゲームとしての価値の前に、製品としての品質について言及したほうが良いでしょう。残念ながら、品質に関しては褒められた状態ではないのは間違いありません。一番困るのはプレイ中にフリーズして落ちることでしょうか。これは数時間に一度の頻度で発生しました。ただし、オートセーブやクイックセーブが用意されているので、いきなり終了しても致命的なことはありませんでした。とはいえ、クリア後のエンドロールで強制終了したときはさすがに興ざめして閉口しましたが。進行不能バグもあるようですが、私は幸い遭遇することはありませんでした。一部のサイドジョブは一時的に進行できないものもありましたが、最終的に進行不能という状態になったことはありません。一部の界隈では返品や訴訟などの問題として大きくなっているものの、遊べないレベルのものではなく、作品自体はむしろ遊んで十分楽しいものです。なお、私のプラットフォームは通常版のPS4であるからにして、最もバグに遭遇する頻度が高いプレーヤー層の一人であることは間違いないでしょう。その私が、サイバーパンク2077は十分楽しめる品質に至っていると判断しています。CD Projekt RED の前作であるウィッチャー3もバグが多かったことを顧みれば、サイバーパンク2077の品質も今後改善されていくことが期待できます。低い品質の原因については推測の域を出ませんが、コロナ禍の影響を除けば、発売時期がPS4とPS5の過渡期に当たったというのが主な原因ではないかと思います。PS4ではグラフィックの劣化ぶりが騒がれましたが、実際、PS4でプレイする私でも読み込みの遅れは、ほぼ常時発生していました。サイバーパンク2077は、どちらかと言えばPCのフラッグシップモデルで最適化されていました。開発元の CD Projekt RED は、コンシューマーゲーム機での映像表現について、広報の考慮が足りていなかった旨を公式に発表しており、これが同社の返品対応へと繋がっています。
思えば、CD Projekt RED のゲームを遊ぶのはウィッチャー3以来のことでした。それは、血塗られた美酒にて、ゲラルトにカメラ目線で微笑みかけられて以来の再会です。私は、あのエンドロール直前の最後のシーンこそが、CD Projekt RED の姿勢の神髄だと思っています。彼らのものづくりの先には、常にプレーヤーである私たちがいます。作中の主人公がプレーヤーに直接メッセージを送る手法は、今までにない感動を私にもたらしました。その感動の熾火が私をサイバーパンク2077へと仕向け、彼らの誠意に当てられたからこそ予約販売が800万本を超えたのです。彼らの誠意はまだ健在です。返品対応もその一つです。彼らはプレーヤーに対して誠実であり続けています。
では、今作『THE FIRST』のジャンルは何でしょうか。私はバディとの友情だと考えます。ひとつひとつのジャンルの説明は『SAVE THE CAT』を実際に読んでもらうこととして、バディの友情とは、反発しつつも信頼関係を築いていく過程を物語にしたものです。ルパン三世シリーズはおおむね、バディとの友情を主軸に置きつつ、異なるジャンルを隠し味として加える手法を取っています。ルパン三世が、作品によって印象を異にするのは、隠し味として加えられているサブジャンルが異なるからです。例えば、『ワルサーP38』では、家の中のモンスター、組織のなかで、といったサブジャンルが加えられています。家の中のモンスターというジャンルは、ジョーズやエイリアンに共通するもので、極限の緊張感を特徴とします。『カリオストロの城』は、金の羊毛というサブジャンルが加えられています。カリオストロの財宝を狙ったルパンが得たものは、最終的に財宝ではなく、過去との決別、主人公たちの精神的な成長だけでした。今作のサブジャンルをあえて考えるとすれば、人生の節目でしょうか。リティシアがランベールという養育者から自立していく物語と、今作を捉えることもできます。
『SAVE THE CAT』ではブレイク・スナイダー・ビート・シートという物語のテンプレートを紹介しています。このテンプレートは、英雄の旅と呼ばれる神話に通じるものでもありますが、その詳細は『SAVE THE CAT』を読んでください。ここでは、『THE FIRST』を実際にビートシートに当てはめることで、物語の展開を分析します。
『SAVE THE CAT』を読むことによって、私の映画の見方も少し変わりました。何が面白いのか、何が面白くないのかということに対して、もう一歩踏み込んで分析できるようになりました。『SAVE THE CAT』は物語を商品とする人でなくとも、映画好きの人にはお勧めできる本です。『ルパン三世 THE FIRST』は分析してみるにはちょうどいい作りの映画でもありました。
『赤毛のアン』はカナダ文学の草分けと評価されるルーシー・M・モンゴメリの作品で、その発表はおよそ一世紀前となる1908年です。日本では、1952年の村岡花子訳を皮切りに多くの翻訳があります。邦題である『赤毛のアン』も村岡花子によるもので、原題は『Anne of Green Gables』です。1973年の神山妙子訳は原作に忠実であり、これを底本としたアニメは同様に高い評価を受け、海外へ逆輸入されていきました。この年代に幼少期を過ごした女性の中には、熱烈なファンも多いようです。私の母に言わせると、友人の中にはいまだに物語を精細に覚えている人がいるようです。