弥生研究所

人は誰しもが生きることの専門家である

【Stellaris】プレイ雑感【機械知性】

今回は機械知性でプレイする。

情報は主にゲーム内か、いつもどおり日本語 wikiを参照している。(日本語 wiki の編集者の皆様、いつもお世話になっております。)  バージョンは 3.2.2。 難易度はいつもどおり少尉であることにご留意されたし。

まずは帝国の紹介から

f:id:yayoi-tech:20220131114731p:plain

志向

f:id:yayoi-tech:20220131115808p:plain

志向は言うまでもなく、ゲシュタルト意識。志向や統治形態が固定されるので、悩むことがないというが一番の特徴ではある。細かく見れば、戦争疲弊や月間影響力、暗号力にボーナスがつく。一方で、派閥を作らず幸福度の影響を受けない。さらに消費財を必要とせず、交易価値を産出しない。これらの特徴は、デメリットがない代わりにメリットもないため、一概に良いとは言えない。機械知性は全体的に特徴が単純化されているため、資源管理の面倒さというプレイアブルな面で大きな差があるといえる。

統治形態

f:id:yayoi-tech:20220131115844p:plain

必然的に機械知性となる。派閥が出現しないなどの効果はここについている一方で、入植POPやPOP製造速度へのボーナスがデフォルトでついている。この点で機械知性はPOPで押していく設計思想であることがわかる。帝国膨張度のペナルティは2倍になるが、管理許容量を超過しなければいい話なので、機械知性では管理許容量を出力しやすいというのもあってデメリットではない。

国是

f:id:yayoi-tech:20220131115934p:plain

まず、POPで押す設計思想の機械知性であるからにして、高速複製機械は固定である。異論はほぼ無い。

では、二つ目を何にしようかとなるが、今回は内省的機械を選択した。

f:id:yayoi-tech:20220131120012p:plain

重要な工学をできるだけ伸ばしたいという意向だ。通常帝国の人工生命ルートもそうだが、機械系の帝国はどうしても工学に負担がかかりがちである。今回は起源を砕けたリングにしていることもあって、できるだけリングワールドを早々に修復していきたい。

追加の国是については、結果的にはメンテナンス・プロトコルを選択した。

f:id:yayoi-tech:20220131120051p:plain

機械知性では統合力産出へのボーナスがないため、通常帝国のように統合力を得ようとするとシミュレーション・サイトでは力不足を感じる。メンテナンスドローンは中枢区域を立てれば自然と生まれる職業なので、これらが統合力を生むとなかなか馬鹿にできない産出量となる。今回は追加の国是で取得したが、初期の国是としたほうが強いかもしれない。ただし、終盤に統合力が腐るようになったら国是を変更したいところではある。

種族特性

機械知性における種族特性は、有機種族に比べると重要性では低い。 以下の三つを選択した。

f:id:yayoi-tech:20220131121000p:plain

f:id:yayoi-tech:20220131121010p:plain

f:id:yayoi-tech:20220131121133p:plain

量産型は機械知性においては、ほぼ固定となる。 一方で、論理機械や高品質に関してはプレイスタイルによるところも大きいであろう。

最終的には惑星の安定度に貢献するための快適度を確保しようとして勘定模倣装置を追加しているが、切り捨てる余地は十分にありそうである。

f:id:yayoi-tech:20220131121257p:plain

プレイ感

さて、実際にプレイしてみた所感である。

まず、POP製造速度は強力で、その進捗速度は月間15.52を出力する。

f:id:yayoi-tech:20220131121453p:plain

各種ボーナスが強力ではあるが、特筆すべきは「POPの職業により: +8」というところで、とにかくPOP製造の職業に恵まれている。その内訳は以下のとおりである。

  • プライマリ・ネクサス+4
  • 機械製造施設+3
  • 機械惑星+1

職業による基礎値が高いので、ボーナスの効果も高くなる。 機械知性ではこれらを有効活用しなければ、機械知性を選ぶメリットがないともいえる。 やはり、機械知性では国是、種族特性でPOP製造にボーナスをかけていくのは必須となるであろう。

逆に、最大の弱点は伸ばしにくい安定度にある。 首都惑星で 67% という比較的、低い安定度となっている。

f:id:yayoi-tech:20220131122016p:plain

これは、派閥を構成せず幸福度に影響されないことから、POPの支持による安定度へのボーナスが得られないところに大きな原因がある。さらに発電グリッドと融合した有機種族がいると奴隷扱いなので、POP支持率はマイナスにさえなる。機械知性では安定度を向上させる建造物や職業が皆無のため、直接的に安定度を高める方法は伝統と快適度に限られる。伝統は繁栄ツリーの完成ボーナスと、同期ツリー内の集団理論くらいしかないので、あとはどれだけ快適度を詰めるかになるが、機械知性には能動的に快適度を調整する手段がない。快適度を生み出すのはメンテナンス・ドローンのみであるが、この職業枠を主として確保できるのはネクサス区域のみで特化した建造物は存在しない(首都建造物と産業区域くらい)。

おそらく、安定度は首都惑星で 85% が最大になるであろう(その他の惑星では80%)。ただし、快適度ボーナスが最大の場合なので、現実的に最大値を達成するのは難しい。これら低めの安定度は、結局のところPOPによる力押しで賄っていくのが、機械知性の考え方になる。一方で通常帝国であれば、精神主義、狂信的な平和主義、貴族エリートなど安定度マシマシな選択肢を選べば、容易に100%にすることができる一方で、100%以上は切り捨てられて無駄になるために、実は調整が難しかったりする。この点で、精神衛生上は安定度を全く考慮しないでむしろスッキリする境地に至るのが機械知性である。個人的には有機種族で人工生命ルートを選ぶくらいなら、最初から機械知性を選んでしまうくらいである。

また、地味に強力なのが、地上軍である巨大戦闘体である。

f:id:yayoi-tech:20220131122757p:plain

通常編制できる地上軍の中では最強の性能である。没落帝国を攻めるのに山盛りの地上軍を編成しなくて済む。その分、建造コスト、建造期間、維持費は高くつくが、便利であることには違いない。

以上が機械知性の実際にプレイしてみた所感である。 機械知性が初心者向けだと聞いたことがあるが、それは性能どうこうよりも、特徴が単純化されているためプレイ感が良いところに主観を置いた時の話であろう。 機械知性は、一般帝国からの態度が悪化しやすいので、あまり初心者向けとは言いにくい。 ましてや機械知性はバニラにはない DLC、シンセティック・ドーンの要素なので、どちらかといえば知識がついて初心者を脱したプレーヤーが手に付けるのにふさわしい。

f:id:yayoi-tech:20220131124527p:plain

2021年ウィンターセール購入品

2021年も終わってしまう。

今年もsteamのウィンターセールで一万円を目途に購入しました。

  • Sims4: Seasons
  • Sims4: Realm of Magic
  • Sims4: Luxury Party
  • Sims4: Spooky
  • Sims4: Tiny Living
  • Stellaris: メガコーポ
  • Stellaris: ディスタント・スター
  • Stellaris: プラントイド
  • みんなのA列車で行こうPC
  • Kingdom Rush Origins

今年は Sims 4 や Stellaris の DLC の買い足しが多かったですね。こういうゲームは、DLC大人買いするのではなく、少しづつ買い足していくのが長く楽しむコツです。まとめて買ってしまうと、DLC 一つ一つの良さが分からないのに対して、ひとつずつ買うとゲームの変化が良く分かるので、楽しみが増えます。

単品で買ったのは A列車と Kingdom Rush Origins です。どちらも、既にプレイしたことのあるタイトルですが、改めて steam で購入しました。どちらも安定して面白いゲームです。

よいお年をお迎えください。

【読書感想文】オリュンポス

さて、『イリアム』の続きである『オリュンポス』の感想である。

一言でいえば、ずいぶんと失速してしまったなというところである。『イリアム』は掛け値無く面白かった。ハイペリオンから期待して入ってくる読者も満足できるものであった。しかし、『オリュンポス』はどうだろう。つまらないというほどではないが、イリアムの牽引力でオリュンポスを読了させたような、そんな感じがしなくもない。『イリアム』の最後は、著者ダン・シモンズが構築する世界の全ての歯車が回りだし、ようやく世界が動くという期待感を残しての最後だっただけに、オリュンポスがその期待に応えるだけの物語の動きを見せたかというと、否定せざるを得ない。これは、訳者・酒井氏の解説でも言及されているところであり、国内外の評価でも言及されているように、物語の整合性と大風呂敷の回収率の低さにあるような気はしている。ただ、つまらないだけでは終わってしまうので、もう少し深掘りして私自身の結着とするものである。

少し、世界観を整理しよう。物語は現在の二十一世紀から降ること数千年後である。この設定も訳者の解説にあるように説明のぶれがあって定まらないが、少なくとも四千年以上は経過した未来である。そして、この世界は認知能力のある生命(特に天才たち)によって創造された平行宇宙が存在する世界である。人間の精神性を突き詰めて超能力的要素を持ち込むのはダン・シモンズの得意とするところである。通常、この平行宇宙どうしが重なり繋がることは無いが、量子力学など発展させた人類は、この平行宇宙同士をワームホールやらブレインホールやらで繋げてしまう。その結果、この世界では、ホメロスの世界やシェイクスピアの世界が現実のものとして存在している。これが、ダン・シモンズが用意した本作の舞台セットである。

未来の人類は相も変わらずしょうもないことを繰り返していたようで、遊び散らかした子供部屋のように地球のあちこちにその遺物、爪痕が残る。当の人類は数々の災禍を経て人口を著しく減らし、生命というよりも情報に近い存在に進化し、古典的人類と呼ばれる遺伝子操作された人類を地球上に住まわせていた。地球の軌道上にあるリングはポストヒューマンにとって居住、研究施設であったようだ。ポストヒューマンは平行宇宙への接続や、自らの愚行の結果を修正しようとして、地球を全うな元の地球に戻そうとしたことは事実らしい。しかし、作中の時点ではその試みは手つかずで、諦めたのか、興味を失くしたのかポストヒューマンもその姿をほとんど消している。

ハーマンたちがリングの一部を破壊したことを契機として、ヴォイニックスたちの襲撃が始まり、ファックス機能が停止し、セテボスの封印が解かれた。時を同じくして、イーリアスの世界ではゼウスを筆頭に神々が襤褸を出し始め、アキレウスヘクトルが手を結んで神に対抗し始める。モラヴェックも火星を通じてこの戦いに加わる。ここまでの『イリアム』の展開は良い。その続きである『オリュンポス』でどのようにもこねくり回せるからだ。しかし、じっさいに『オリュンポス』を読み始めると、どうも展開の遅さが気になる。

結局のところ、セテボス、キャリバンあたりは例外としても、プロスペロー、シコラックス、エアリアル、ポストヒューマン、ギリシャ神などの中立的な存在の背景がほとんど説明されないために、彼らの行動原理、行動目的が、最後まで良く分からないというのが、本作において最もモヤモヤするところである。一握りの登場人物の無知な気まぐれによって、ハーマンら古典的人類や、ホッケンベリー達は死闘を強いられていたという点があり、この点でどうもこの物語は無駄骨の多い物語である。最終的な着地点は、繋がってしまった平行宇宙を整理して、去ってもらう存在には去ってもらうというところなのは理解できるが、実際の描写は随分と強引である。

例えば、ハーマンは結果として古典的人類の失った歴史や知識を回復させて、ナノテク機能を使いこなせるようにした点で、古典的人類を啓蒙した救世主と捉えることが出来る。しかし、その道筋はご都合主義的な匂いを感じざるをえない。というのも、彼に影響を与えたエアリアル、プロスペロー、モイラの思惑が全く分からないからだ。彼、彼女らにとって古典的人類はどうでもいいように見えるので、ハーマンに介入して古典的人類を救おうというような目的は見えない。ハーマンに人類を啓蒙させようとするならば、もっと積極的に働きかける能力があるはずの彼らが、いったい何のためにそんな回りくどいやり方を取ったのか。なぜ、大西洋分界道をハーマンひとりで横断させたのか、あの潜水艦の唐突な登場と被ばくはなんだったのか。

大風呂敷の回収率と言えば、『オリュンポス』でも散々煽ったディーマン対キャリバンの伏線が未回収である点も目立つ。ディーマンの母親はこのためにキャリバンに殺されたのであるが、物語としてこの決着をつけないのでは、あまりに無駄死にというものである。太った女たらしだったディーマンが精悍な男へ成長したのも、キャリバンに勝利するためではなかったのか。このあたりの結末は著者が誘導する読者の期待を、著者自身が大きくスルーするものだと言わざるを得ない。

老いたオデュッセウスことノーマンも謎めいたまま終わってしまった。彼はアーディスホールで自分の知識や経験を語り、古典的人類の啓蒙に務めており、物語のキーマンかと目されたが、途中からはヴォイニックスの襲撃で重傷を負い、半ば物語から退場する。随分もったいぶった展開をするものだが、傷が癒えて復帰したかと思えば、結局彼が何を知っていて何を知らないのかは明らかにならず、シコラックスとの因縁や彼の目的は分からず仕舞いである。さらには、結果的に彼とシコラックスの交渉が、古典的人類の不利な状況のいくつかを改善したので、これがまた取って付けた感の強い印象だけを残している。

ホメロスの世界も良く分からない。ギリシャの神々は本当の意味での神々ではなく、ポストヒューマンだとの説明もあるが、その目的が分からない。何のために神様ごっこをしていたのか。何のために戦争の行末を学師たちに観察させていたのか。アキレウスヘクトルギリシャ人からすれば、神々のコスプレをした未来人の遊びに付き合わされたとあれば、いい迷惑だということころだろう。いい迷惑と言えば、ホッケンベリーもそうである。彼らは命にもかかわる修羅場を幾度も超えたわけだが、その修羅場が神々のただの気まぐれによって生じたのであれば、物語的にはとんだ無駄骨である。

唯一、一貫した行動目的を持っているのはマーンムートやオルフたちモラヴェックだろうか。彼らが、生体機械として、いなくなってしまった人類を懐古する背景は分かる。そのあたりが動機になって、火星や地球の異変を探知し、調査を兼ねて火星や、地球へ向かうことになる。物語上では、モラヴェック達は良識ある最も力を持った存在なので、地球や火星で起きている窮地を救える実質唯一の存在なのであるが、彼らの罪ではないとはいえ彼らはその窮地を把握していないので、読者から見れば随分とヤキモキする遅い展開が続く。彼らはバラバラに物語が展開する世界線を能動的につなぐ役割があるのだが、古典的人類との繋げ方には、やはり取って付けた感が否めない。何故なら、モラヴェック達は取って付けたようにブラックホール弾頭を発見し、取って付けたようにそこで被爆したハーマンを見つけたのだから。結局、あの潜水艦が一番拙い。

以上、最終的には、文句や愚痴にも近しい感想だが、まあ、いろいろとお粗末なところがあるのは間違いない。正直なところ、ハイペリオンシリーズに次ぐ、ダン・シモンズの長編大作として、『オリュンポス』はその期待に応えられるだけの内容ではないと思う。『イリアム』が面白かっただけに、満足する結末や読後感を得られないのは残念である。とはいえ、あれだけの文章量を読ませるだけの牽引力はやはりあるのである。時を置いて精読してみれば、意外な伏線の回収に気付くこともあるかもしれない。『イリアム』の感想でも述べたが、読書の面白いところは読むタイミングによって感想も変わるというところにある。再読するときのことも考えて、『オリュンポス』は『イリアム』と共に、できるだけ捨てずにとっておくとしよう。いまのところ、『オリュンポス』は私にとって大事な物語であることには違いない。

【読書感想文】イリアム

十数年に渡って「つんどく」した本がある。それが『イリアム』である。私がハイペリオン・カントスの四部作を愛読していることは、既に何度も述べたことである。しかし、私はハイペリオン・カントスを愛読したとはいえ、必ずしも、その著者であるダン・シモンズのファンではなかった。したがって、ハイペリオンを読破したらかといって、イリアムが読破できなくても何ら不思議ではない。イリアムを長年にわたって積んどくした理由は、やはりその内容によるところが大きいだろう。

世界観のぶっ飛び具合でいえば、イリアムハイペリオンを越える。ものの数十ページの間に、ヘクトルやアキレスが活躍するギリシャ神話の描写があったかと思えば、未来の地球を思わせるいささか退廃した世界が描かれ、はたまた木星の衛星エウロパの深海という世界が描写される。これらの世界のつながりは一切描写されず、私はいったい何を読んでいるのだろうと困惑するのは必定である。このような謎めいた情報の広げ方は、ダン・シモンズらしいといえばその通りだが、やはり読者を置いてきぼりにしがちな傾向はある。かく言う私も、ハイペリオンに魅せられてイリアムを購入したが、なんとなくページが進まず、ついに長いつんどくに移行したわけである。

読書の面白いところは、読むに最適なタイミングが人によって異なるところだろう。あるいは、読むタイミングによって感想が変わるところにもある。私は最近、私事の都合により読書に時間を費やす好機を得た。そこで、ちょっとした勇気をもってイリアムを手に取ると、これが面白かった。かつてなかなか進まなかったページがどんどん進んでいく。まるで、私がイリアムを見つけたというよりは、イリアムが私を見つけたかのように活字がどんどん吸収されていく。数度の断捨離に生き残っただけはある。こういう時こそ、捨てなくて良かったと心底思うのである。

さて、読書感想文らしく、本の中身に触れ、私の思うところを書きたいところではあるが、実のところ、この本のあらすじを差し支えなく紹介するのが難しい。ギリシャ神話を基礎において、ホメロスを材料にシェイクスピアを少々といったところか。私に言えるのは、そうらしいというレベルのものであって、私自身、シェイクスピアに精通しないし、ホメロスの『イーリアス』など読んだことが無い。まあ、少なくともそんな私でも十分楽しめるのであるから、最初の極太な世界観を飲み込めれば、前提知識は必要ないだろう。せいぜい、ブラッド・ピッドがアキレスを演じる映画『トロイ』程度の知識があれば十分ではなかろうか。実際、あの映画の場面描写は本書にもあるから、知っていれば脳内で映像化しやすい。むしろ本書の中のアキレスは、私の脳ではブラッド・ピット以外で再生するのが不可能であった。しかし、そんなギリシャ神話的要素も本書の一部でしかないからどのみち心配はいらない。要は、何の関連性もないギリシャ神話やシェイクスピアの要素をまとめ併せて、ひとつの作品しているのが本書の内容の最大の魅力である。

私がそうであったように、最初の数十ページさえ楽しめれば、あとは極上のメインディッシュであるからにして、特に問題のない範囲のネタバレだけを披露して、未読の方や、挫折している方の興味をそそりたいと思う。先述した通り、物語は三つの世界で順繰りと同時進行していく。ギリシャ神話の世界、退廃的な地球の世界、木星の衛星の世界の三つである。これらは最初、地理的に時間的にどうつながっているのか皆目見当もつかない。

ギリシャ神話の世界では、文字通りギリシャの神々が存在し、アキレスとヘクトルが今まさにトロイを巡って戦争をしている。登場人物の一人、ホッケンベリーは神に仕え、なぜか理由は分からないが、ギリシャの人々に存在を知られないよう秘密裏にその戦争の行末を観察している。その観察経過によれば、戦争はおおむねホメロスの『イーリアス』に沿って進行しているという。ホッケンベリーの生殺与奪は神によって完全に支配され、この九年間ずっと毎日同じように戦争を観察してきた。しかしある日、ホッケンベリーは、神の一柱であるアフロディテから命令を受ける。神の一人アテネを殺せと。ギリシャの神々が本当に抽象的な存在としての神々であるならば、本書はSFとは言えないだろう。神々はいったい何者で、何を目的としてこんな戦争を観察させているのか。

今作はSFといえど、ハイペリオンとは違ってスペースオペラではない。人類はついに恒星間航行を発明しなかったし、その点では閉じた世界で物語が繰り広げられる。とはいえ、地球には軌道リングがあり、文明は外惑星にも進出している。量子的な平行世界のような概念が出てくれば何でもありと言えばありである。地球に住む古典的人類と呼ばれる彼らは、自らの社会を支える科学を理解しておらず、文字も失っている。彼らは何不自由なく暮らしているが、その暮らしを支える仕組みを彼らは何一つとして知らない。彼らが精を出して取り組めるものは少なく、よくて車輪の再開発か、セックスくらいのものである。いわば彼らは、何らかの存在によって半ば家畜のように生かさず殺さず管理されているのだが、彼ら自身はその事実を知らず疑問も持たない。しかし、未知への好奇心は人間に残される最後の権利かもしれない。アーダ、ハーマン、ディーマン、ハンナはそれぞれの思惑を持ちつつも、それぞれが探求を始めていた。

ハイペリオン』で機械、あるいはAIといえば冷徹無比な恐るべき存在であったが、こと『イリアム』では作者の機械知性への捉え方は一味違う。今作に出てくるモラヴェックなる機械たちは、シェイクスピアをこよなく愛する優しい文学機械である。彼らは木星の探査と開発のために人類によって播種されたものだが、とうの人類は大昔に消えていなくなったために、独自の進化を経た半生物機械である。その長い間、彼らは存続の工夫を凝らす一方で、人類への追慕を人類が残した文化で代替していた。モラヴェックの一人、マーンムートはエウロパの深海を探査するロボットであったが、唐突に火星への探査任務を拝命することになる。何やら、火星ではここ短期間でテラフォーミングされ、量子のゆらぎだかなんだかが、好ましくないレベルで濫用されているという。マーンムートと友人のオラフは他のクルーたち数人と共に、木星から火星へと旅立つ。

ここまでくると、それぞれの世界が独立しすぎていて、どうつながっているのか分からないのも肯けるであろう。いわば三本分の小説を平行して読んでいる様なものである。しかし、これらが縫うように繋ぎ留められていくのだから、著者たるダン・シモンズはすげぇよなぁというところである。ところで、今までになかったことなので敢えて指摘したいが、ダン・シモンズはユーモアに目覚めたらしい。『ハイペリオン』シリーズにユーモアを感じた方がいらっしゃったとすれば申し訳ないが、私はいままでダン・シモンズにユーモアを感じたことが無かった。ただ今作においては、「それにしてもこのオヤジ、ノリノリである」と思えるような、まるでダン・シモンズ自身が楽しんでいるかのような文章に多くお目にかかるのだ。考えてみれば、それも当然かもしれない。ギリシャ神話、シェイクスピア、SFといった本来混じり合わないようなものを、巧みにかき混ぜているので、それこそ「混ぜるな危険」を笑いのフリにするような、シュールさがそこかしこにあるのである。

私自身、現時点で『イリアム』を読了し、続編『オリュンポス』を読み始めたところにある。物語は折り返し地点を過ぎた頃だが、まだ謎は多く残っている。読書とは一過性の体験にもれず、その幸福感は永続しない。今の私のタイミングは、いわば果実がもっとも熟したころ合いであろう。『オリュンポス』は出来るだけ長く楽しみたいところであるが、読むのを中断することにむしろエネルギーを必要とする。その『イリアム』へのエネルギーの一部を勢いに駆ってこの文章を書いた。ここまで読んでくださった方がいて、もし興味を持たれた方がいるならば、冥利に尽きるものである。

【レビュー】Stellaris

年始に購入した『Stellaris』のプレイ時間が、私の Steam 内のアクティビティで長らくプレイ時間のトップだった『Cities: Skylines』を抜いてトップになりました。そのプレイ時間は、9か月間でおよそ500時間となります。

f:id:yayoi-tech:20211001100145p:plain
パラドックスインタラクティブ恐るべし

これだけ時間を費やしているからにして、Stellaris が面白いことは自明なのですが、何が面白いのかその理由について、私なりに分析したいと思います。

Stellaris とは

Stellaris は、一言で表現すると、未来の銀河系を舞台にした4Xグランドストラテジーゲームです。この手のジャンルの先駆けとしては Civilization シリーズが挙げられます。Civilization シリーズをSFとして換骨奪胎した同シリーズの「Alpha Centauri」や「Beyond Earth」がありますが、これらが一惑星を舞台にしているのに対し、Stellaris では銀河系全体を舞台とするスペースオペラなのが特徴です。

f:id:yayoi-tech:20211001100230j:plain
時は2200年。人類はハイパーレーンを使用した超光速航行(FTL)を実用化し、ついに太陽系外へ進出する

オリジナルの帝国

Stellaris は完全な未来を舞台としているため、何か既存の文明などの枠組みはありません。プレーヤーは初期設定で用意されている帝国を選択するか、新規に帝国を作成してゲームを始めることになります。

帝国を形作る要素には、外見、種族名、帝国名、星系名などのフレーバー要素から、起源、統治形態、志向、国是、種族特性などのプレイアビリティに直接かかわる要素があります。これら無数の選択肢から生成される帝国の組み合わせは膨大であり、また、AI 帝国も同じ過程をもって生成されるため、リプレイ性が非常に高いのが特徴です。

プレーヤー自身の帝国を作るということは、プレーヤー自身のプレイスタイルを模索することでもあります。当然のことながら、起源、志向、国是などの要素は、それぞれシナジーがあるものや、相性の良くないものがあります。初期設定の組み合わせによってプレイスタイルに幅を持たせ、リプレイ性を高めるゲーム性はローグライクのジャンルに通ずるものがあります。

ロールプレイとフレーバー

フレーバーが必要かどうかという議論はさておき、私自身は Stellaris のフレーバーに大いに魅力を感じています。一般的に、ゲームは競技性と娯楽性のグラデーションの中でどこかに位置付くものと私は考えています。競技性の先端を見れば、e-sports囲碁、将棋などを見ることができます。対して、Stellaris に関しては競技性を削いで娯楽性にシフトした作品ではないかというのが私の感想です。というのも、4X 系ゲームの先駆けである Civilization シリーズと比較して、Stellaris は競技性よりも娯楽性を優先していると感じるからです。

この手のゲームにはゲームが終了するタイミングがあります。Stellaris では自帝国が滅亡したときと、勝利年(標準設定で2500年)に達したときです。しかし、滅亡や勝利はそれほど大事ではありません。たいていの場合、実際に滅亡、あるいは勝利する前に、その事実が既定路線として確定するからです。ゲーム終盤まで生き残っていればその勝利はほとんど確定であり、以後のプレイはただの作業になっていしまいます。この問題はストラテジーゲームが抱える難題であり、Stellaris もやはりその問題から逃れられていないのが現状です。しかし、Stellaris ではミッドゲーム(標準で2300年から)、エンドゲーム(標準で2400年から)というゲーム内の区切りを設け、それぞれ特有のイベントが起こるようにして、後半の作業感を軽減させています。たとえば、ミッドゲームでは、大ハーンの覚醒、機械の反乱があり、エンドゲームでは、没落帝国の覚醒、危機があります。いずれのイベントも勢力をおおきく書き換えるものであり、これらへの準備が不十分だとあっという間に滅亡に追い込まれます。

こういったイベントを支えているのがテキストでありフレーバーです。イベントの中で最も規模が大きいとされる「ホライゾン・シグナル」などは、ちょっとしたSF小説を追うような気分があります。このように、イベントやフレーバーが充実していることは、競技性よりも娯楽性を優先し、勝利うんぬんよりもイベントの過程を楽しむロールプレイに適しています。

イースターエッグ原文)としてまとめられているように、ニヤリとするようなSF作品のオマージュも大量に盛り込まれています。国内作品からも、銀河英雄伝説ジョジョ進撃の巨人クロノトリガーなど枚挙にいとまがありません。

太っ腹なアップデート

Stellaris は現状(2021年9月)、まだ活発に継続開発されています。DLCの新作はもとより、無料の大型アップデートが半年に1回ほどの頻度でリリースされています。この大型アップデートはかなり太っ腹で、DLCを持っていないバニラの状態であっても、機能の追加や仕様の変更が大胆に行われます。プレアビリティがかなり変わることも多く、遊びつくしたベテランほど別ゲームではないかと感想するほどの変更が入ります。つまり、アップデートの度にプレイ感覚が変わるため、一向に飽きることがありません。さらに、DLC毎に変更が入るため、DLCを導入しているほど変化を目の当たりにすることになります。

このように、Stellaris は開発側とプレーヤー側が二人三脚状態でいまだに成長しているゲームです。ゲームは売り切りという観念は、もう時代遅れかもしれません。ナンバリングタイトルの概念も今後おおきく変わっていくことでしょう。Stellaris のビジネスモデルは非常に誠実さを感じるものです。

日本語化

Steam のストアでは、言語のサポート状況として、日本語がサポートされていないと表示されていますが、これはあくまで公式がサポートしていないというだけで、システム的にはマルチバイト文字に対応しており、Mod によって容易に日本語化が可能です。

Stellaris の翻訳は有志によってなされています。有志による翻訳と言うとその質に不安を憶える方もいるかもしれませんが、実際のところその質は高いものです。日本語化に関しては信頼して良いレベルです。私は多くのSF作品を読み鑑賞してきたSFファンですが、おおよそ翻訳に違和感を持ったことはありません。これは十分なプレイ人口がいることと、また翻訳に関する必要十分な議論がなされていることの証左でしょう。定期的に大型アップデートが来ますが、その対応も十分早いのではないかと思います(さすがにアップデート直後は翻訳が間に合っていませんが)。翻訳に携わっている方に感謝します。

まとめ

まとめると以下の通りになります。

  • リプレイ性の高さ(ローグライクに通じるものがある)
  • ロールプレイ向きのイベントとフレーバー
  • 活発なアップデート(ゲーム性が変わることも)
  • 安定した日本語化

逆に、悪いところは目立って気付く点がありません。強いて言うなら費やす時間に注意したいところでしょうか。中毒性が高いです。

yayoi.tech

【レビュー】オクトパストラベラー

『オクトパストラベラー』の感想を残します。

プレイ時間は40時間ほど。未クリアです。未クリアのままレビューを書くに至ったことから、一言でいえば完走できませんでした。評価としては「丁寧な作品だが、ゲームとしては面白さに欠ける」ということになります。ただし、今後、再プレイしてクリアまで行き着くことはあるかもしれません。既に名作の評価が一般的になりつつある本作です。実際にプレイしてみると、作品として高い完成度を感じる一方で、ゲームの面白さには一抹の不満を感じました。これを、私なりに分析したいと思います。

『オクトパストラベラー』はスクウェア・エニックスが発売したRPGです。2018年にSwitch版が発売されて以降、順次、マルチプラットフォームで発売されています。その特徴は、HD-2Dと呼ばれる、ドット絵と最新の3D効果を融合させた表現システムにあります。JRPGとして原点回帰しつつ、技術的には革新を目指しています。売り上げは、2020年3月時点で200万本を突破し、JRPGとして大成功したと言えるでしょう。

オムニパス形式のストーリー

ストーリーのボリュームは結構あります。主人公が8人いて、それぞれに4章分のストーリーが用意されているため、合計で32章のストーリーがあります。1章を2時間でクリアしていくと合計で64時間かかる計算です。実際、そのくらいの時間はかかる印象です。このボリュームを大きいと感じるか小さいと感じるか、あるいはメリットと感じるかデメリットと感じるかは人それぞれかもしれません。少なくとも価格には見合ったボリュームです。

1キャラクターに対して4章分で起承転結するので、それぞれのストーリー自体は小粒です。ただし、キャラクター自体に背景や個性がしっかりと設定されているため、浮ついた印象はありません。重めのストーリーから軽めのストーリーまで緩急が付けられています。各主人公たちのストーリーは当初は全く独立しています。ただしストーリーが進展するにつれて各主人公の物語が収束していくようです(未クリア)。起承転結がしっかりしたストーリーとなっているので、ひとつひとつは小粒とは言え十分楽しめる範囲にあります。

物語の進行を自由に選択できる都合上、前章のストーリーを忘れがちですが、ストーリー開始時に前回のあらすじをきっちり説明してくれる親切設計になっています。プレイに少し時間が空いたとしても感情を呼び戻しやすく何をすべきか明確で、復帰しやすいです。

美しく、新しくありながら懐かしいグラフィック

グラフィックがリアルであればリアルであるほど良いという考え方は、ゲームの在り方にもよるでしょう。ゲームは長らくリアル志向の道を歩んできましたが、それは容量の増加や処理速度の向上など技術的な進展が背景にあったためです。しかし、技術が成熟するにつれて、技術的な制約ゆえの抽象的表現ではなく、積極的な抽象的表現が選択肢として現れるようになりました。ドット絵への懐古は、まさにその現われであり、本作のHD-2Dは積極的に選択された抽象的表現だと言えます。積極的に選択されているために、全ての映像表現が時代を逆行した過去のものではありません。ドット絵を主体としておきつつも、ドット絵では表現しにくい、光や水の表現には培われた新しい技術が使われています。

「温故知新」という表現が一番ふさわしい映像表現こそが、結果的に本作の最大の特徴であり魅力です。SFCから初期PSあたりのゲームをプレイしてきたゲーマーには懐かしさを思い起こさせ、それらを経験していない若いゲーマーには新しさを提供するという、実に幅広いターゲットに対して訴求する効果が本作の映像表現にはあります。

音楽、ネーミング、印象と雰囲気

地名の命名にこだわりを感じます。例えば、フレイムグレースは「炎」と「恵み」、やゴールドショアは「黄金」と「海岸」。その地の特徴を考えると、なんとなくイメージに合ったネーミングになっていると思いませんか。ステレオタイプな印象もありますが、ここまで直球な命名も珍しいように感じます。併せて、音楽もイメージを合わせて作曲されている印象が強いです。このあたりの作りこみは丁寧で、完成度が高く、売り上げの大部分に貢献しているのではないかと思います。

マップ、ダンジョンの踏破と戦闘システム

さて、ここまでオクトパストラベラーの良い点を挙げてきましたが、結局のところ、私がプレイを中断してしまった原因は、戦闘システムにあります。

まず、本作の戦闘システムの特徴を整理します。

  • ダンジョン探索型、マップ踏破型(旧来のドラクエなどと同様)
  • ランダムエンカウント
  • コマンドバトル
  • ターン制(ターンの中で敵味方含めて素早いキャラクターから行動)
  • ブースト
  • ブレイク

このうち、ブーストとブレイクが本作の戦闘システムを特徴づける要素です。ブーストはターンごとに蓄積するもので、溜まったブーストを使用した攻撃はダメージが増加する仕組みです。ブレイクは敵毎に設定された弱点を突くことで、敵をブレイク状態(無防備な状態)にするものです。ブレイク状態の敵は行動がキャンセルされるほか、被ダメージが増加する仕組みになっています。

つまり、敵に効率よくダメージを与えるには、ブレイクした敵に対してブーストを乗せた攻撃を当てることが肝要となります。その為には敵の弱点を網羅することと、ブレイクのタイミングに合わせたブースト管理が必要です。本作の戦闘システムは、ブーストとブレイクを前提とした難易度設計になっているため、これらの要素はほぼ無視できません。昨今のJRPGとしては比較的、重量感があり難易度の高い戦闘システムと言えるでしょう。

これらのシステムは漫然とした戦闘を防ぎ、プレーヤーに緊張感を持たせる効果があります。しかし、言い換えると一回の戦闘時間は長引き、集中力を必要とするためサクサクしたテンポはありません。このようなゲームバランス自体は珍しいものではなく、『タクティクスオウガ』などのSRPGや、『ヴィーナス&ブレイブス』などの独自性の強い戦闘システムにも見て取れます。

では、本作の戦闘システムの問題点は何でしょうか。それは、重量感のある戦闘と、ランダムエンカウントの食い合わせの悪さにあります。例えば、ドラクエシリーズやFFシリーズは、ともにランダムエンカウント制ですが、戦闘のウェイトは軽いためテンポを失うものではありません。戦闘のウェイトを軽くする場合は、ダンジョンやマップの踏破を含めてクリア可能かというバランスに緊張感を持たせる仕組みが常套です。薬草やMPが足りるかどうかハラハラする場面は、往年のRPGの醍醐味であり、意図されたレベルデザインです。しかし、もしこのバランスの中で戦闘の重量感だけが増した場合はどうなるかというと、テンポを失って単純にプレーヤーが疲れます。

ランダムエンカウントなのにテンポが悪く、戦闘の重量感がある割にはランダムエンカウントで数をこなさなければならない。このどっちつかずとなっている状態が、本作の設計の調整不足を否めません。ゲームとしては、何処かに仕組みとしての緊張を用意する必要がありますが、メリハリなしに繰り返し緊張に晒されてしまうとストレスにしかなりません。本作の戦闘はどちらかというと緊張過多で、全体として爽快さや快感よりも疲れるゲームになっています。

また、ブーストやブレイクが戦略性の高い戦闘を提供しているかというと、それもまた疑問です。確かに戦略性はある程度は高くなっていますが、思考する楽しさを提供するほど難しくなく、単純作業にはできない程度の注意力を要するという、絶妙にバランスの悪い難易度設計になっています。結局、この戦闘システムの調整の悪さが、全体としてぼんやりとしたプレイ感に繋がっています。

さらに、本作はジョブやアビリティが用意されていて、8人の主人公から4人のパーティを組むなど、パーティ編成やキャラクターの育成にも重点が置かれているように見えます。しかし、敵の弱点を網羅しなければならない制約があるため、実のところ育成や編成に関しては、自由度の高さ、懐の深さ、味わい深さなどはありません。これは戦闘を単調にさせる要因にもなっています。また、この点では、本作はほぼリプレイ性はありません。

私は何度か息切れしてしまい、中断して再開するという繰り返しを経て、全キャラクターの三章まではクリアしました。しかし、四章までは現時点ではモチベーションが続きませんでした。

www.jp.square-enix.com

【読書感想文】空白の五マイル

ある時、なにげなく黄河や長江の源流域を Google map で眺めていたら、チベット高原の南部をひたすら東進する川を見つけた。川がどのような流路を辿ってどこに繋がるのかという好奇心は、人間の根源に近いところにあるような気がする。私はその川筋を辿ってみたのだが、すぐにやめた。最初は川幅も広くて東に直進するだけだったその川は、やがて川幅を狭めて強く蛇行し、追うのに根気を求められたからだ。代わりに川の漢字表記であった「雅魯蔵布」を検索してみると、その川はヤルンツァンポと読む大河であることを知った。そして流路を見失った場所こそツァンポー峡谷といい、世界最大級の峡谷で長らく未踏の地であったのだった。wikipedia で調べてみると、何やら最近、日本人の探検家が未踏査部分を探検したらしい。その日本人探検家こそ、本書の著者・角幡唯介(かくはたゆうすけ)である。

ヤルンツァンポ川の源流はマーナサローワル湖にあり、この湖は標高の高さと、湖水の透明度の高さなどから、チベット三大聖湖と呼ばれ、多くの宗教宗派の聖地とされている。この湖を発したヤルンツァンポ川は、東へと直進しチベットの中でも比較的穏やかな南チベットの盆地を形成している。その後、川はツァンポー峡谷で大きく南へ屈曲し、ヒマラヤ山脈の南側の低地に流出し、ブラマプトラ川、ジョムナ川と名前を変えてガンジス川と合流、インド洋に注ぐ。

ツァンポー峡谷はヒマラヤ山脈の東端に位置し、青い空の月面と表現されるようなチベット高原とは異なり、湿潤で木々が鬱蒼として豊かな森林を成す。これは、チベット高原ヒマラヤ山脈によって湿気を遮られているのに対して、その東端にあるツァンポー峡谷には回り込むように湿気が流入しているからである。峡谷に近い林芝市は、チベットのスイスと形容されるような景勝を持っているほどである。ツァンポー峡谷を構成するのは、ナムチャバルワ山や、ギャラ・ペリ山などの7500m級の大岳で、ヤルンツァンポ川はその間をこじ開けるように流れる。ツァンポー峡谷がいかに険阻であるかは想像がつくであろう。

ゆえに、ツァンポー峡谷は歴史上、長く未踏であり、ヤルンツァンポ川が峡谷に消えた後、どこに流れ着いているのかは歴史上の謎であった。いわば、その川を下って帰ってきたものはいないというのが、ヤルンツァンポ川であった。この謎に突き動かされて、著者を含む多くの探検家がこの地へ分け入ったことには、畏敬と共に共感を覚える。

探検史については、むしろ本書に詳しいため、興味を持った方はぜひ手に取ってみてほしい。本書の構成は、ツァンポー峡谷の探検の歴史を解説するとともに、著者自身の探検の経緯が紀行文として記述されている。しかし、著者自身による探検という意味では、やはり些かパンチ力に欠けるというのが正直なところかもしれない。初者自身も自覚されていることではあるが、著者がツァンポー峡谷に入ったのは2002年から2008年であり、この頃には携帯電話も普及し、Google map などで航空写真も見られる時代であった。本来の探検の意義は20世紀で終わり、現代の探検は、その意味を懐古と共に失ったか、あるいは変容させている。読者として著者自身の探検にスケールの大きさを感じないのであれば、それは著者の責任というよりは、時代の変化によるものであろう。残念あるいは寂しい気持ちがありながらも、著者が多くのページを割いたその探検史こそ本書の魅力かもしれない。なお、著者は朝日新聞社に務めた経歴を持ち、本書が開高健ノンフィクション賞を受賞しているように、文章や構成は読みやすく面白い。

エベレストが観光化、商業化しているように、ツァンポー峡谷も一観光地になるかもしれない。チベットにはペマコ・ベユルという伝説がある。シャングリ・ラのモデルと言われ、それはいわば桃源郷なのであるが、そもそも桃源郷とは、古代中国で漢文化の進出によって消失しつつあった少数民族の村落をモデルにしており、精神の内面に存在し、心の外に求めると見いだせないものとされる。著者は残された未踏の5マイルの中で大洞穴をみつけ、その洞穴をペマコ・ベユルに重ねた。探検とは、まさに桃源郷を求める行為に他ならないのではなかろうか。とすると、いつの時代であろうとも、探検は世界が狭くなるとともに陳腐化していったのだ。その度に、人間は、探検の対象を外に求めるのではなく内へ求めた。現代において探検を外に求めれば、先人が食い散らかした残飯のような余地しか残っていない。これから世界がもっと狭くなれば、人類は月にだって火星にだって探検に行くだろう。しかしそれすらも陳腐化する時代は来るのである。