さて、『イリアム』の続きである『オリュンポス』の感想である。
一言でいえば、ずいぶんと失速してしまったなというところである。『イリアム』は掛け値無く面白かった。ハイペリオンから期待して入ってくる読者も満足できるものであった。しかし、『オリュンポス』はどうだろう。つまらないというほどではないが、イリアムの牽引力でオリュンポスを読了させたような、そんな感じがしなくもない。『イリアム』の最後は、著者ダン・シモンズが構築する世界の全ての歯車が回りだし、ようやく世界が動くという期待感を残しての最後だっただけに、オリュンポスがその期待に応えるだけの物語の動きを見せたかというと、否定せざるを得ない。これは、訳者・酒井氏の解説でも言及されているところであり、国内外の評価でも言及されているように、物語の整合性と大風呂敷の回収率の低さにあるような気はしている。ただ、つまらないだけでは終わってしまうので、もう少し深掘りして私自身の結着とするものである。
少し、世界観を整理しよう。物語は現在の二十一世紀から降ること数千年後である。この設定も訳者の解説にあるように説明のぶれがあって定まらないが、少なくとも四千年以上は経過した未来である。そして、この世界は認知能力のある生命(特に天才たち)によって創造された平行宇宙が存在する世界である。人間の精神性を突き詰めて超能力的要素を持ち込むのはダン・シモンズの得意とするところである。通常、この平行宇宙どうしが重なり繋がることは無いが、量子力学など発展させた人類は、この平行宇宙同士をワームホールやらブレインホールやらで繋げてしまう。その結果、この世界では、ホメロスの世界やシェイクスピアの世界が現実のものとして存在している。これが、ダン・シモンズが用意した本作の舞台セットである。
未来の人類は相も変わらずしょうもないことを繰り返していたようで、遊び散らかした子供部屋のように地球のあちこちにその遺物、爪痕が残る。当の人類は数々の災禍を経て人口を著しく減らし、生命というよりも情報に近い存在に進化し、古典的人類と呼ばれる遺伝子操作された人類を地球上に住まわせていた。地球の軌道上にあるリングはポストヒューマンにとって居住、研究施設であったようだ。ポストヒューマンは平行宇宙への接続や、自らの愚行の結果を修正しようとして、地球を全うな元の地球に戻そうとしたことは事実らしい。しかし、作中の時点ではその試みは手つかずで、諦めたのか、興味を失くしたのかポストヒューマンもその姿をほとんど消している。
ハーマンたちがリングの一部を破壊したことを契機として、ヴォイニックスたちの襲撃が始まり、ファックス機能が停止し、セテボスの封印が解かれた。時を同じくして、イーリアスの世界ではゼウスを筆頭に神々が襤褸を出し始め、アキレウスとヘクトルが手を結んで神に対抗し始める。モラヴェックも火星を通じてこの戦いに加わる。ここまでの『イリアム』の展開は良い。その続きである『オリュンポス』でどのようにもこねくり回せるからだ。しかし、じっさいに『オリュンポス』を読み始めると、どうも展開の遅さが気になる。
結局のところ、セテボス、キャリバンあたりは例外としても、プロスペロー、シコラックス、エアリアル、ポストヒューマン、ギリシャ神などの中立的な存在の背景がほとんど説明されないために、彼らの行動原理、行動目的が、最後まで良く分からないというのが、本作において最もモヤモヤするところである。一握りの登場人物の無知な気まぐれによって、ハーマンら古典的人類や、ホッケンベリー達は死闘を強いられていたという点があり、この点でどうもこの物語は無駄骨の多い物語である。最終的な着地点は、繋がってしまった平行宇宙を整理して、去ってもらう存在には去ってもらうというところなのは理解できるが、実際の描写は随分と強引である。
例えば、ハーマンは結果として古典的人類の失った歴史や知識を回復させて、ナノテク機能を使いこなせるようにした点で、古典的人類を啓蒙した救世主と捉えることが出来る。しかし、その道筋はご都合主義的な匂いを感じざるをえない。というのも、彼に影響を与えたエアリアル、プロスペロー、モイラの思惑が全く分からないからだ。彼、彼女らにとって古典的人類はどうでもいいように見えるので、ハーマンに介入して古典的人類を救おうというような目的は見えない。ハーマンに人類を啓蒙させようとするならば、もっと積極的に働きかける能力があるはずの彼らが、いったい何のためにそんな回りくどいやり方を取ったのか。なぜ、大西洋分界道をハーマンひとりで横断させたのか、あの潜水艦の唐突な登場と被ばくはなんだったのか。
大風呂敷の回収率と言えば、『オリュンポス』でも散々煽ったディーマン対キャリバンの伏線が未回収である点も目立つ。ディーマンの母親はこのためにキャリバンに殺されたのであるが、物語としてこの決着をつけないのでは、あまりに無駄死にというものである。太った女たらしだったディーマンが精悍な男へ成長したのも、キャリバンに勝利するためではなかったのか。このあたりの結末は著者が誘導する読者の期待を、著者自身が大きくスルーするものだと言わざるを得ない。
老いたオデュッセウスことノーマンも謎めいたまま終わってしまった。彼はアーディスホールで自分の知識や経験を語り、古典的人類の啓蒙に務めており、物語のキーマンかと目されたが、途中からはヴォイニックスの襲撃で重傷を負い、半ば物語から退場する。随分もったいぶった展開をするものだが、傷が癒えて復帰したかと思えば、結局彼が何を知っていて何を知らないのかは明らかにならず、シコラックスとの因縁や彼の目的は分からず仕舞いである。さらには、結果的に彼とシコラックスの交渉が、古典的人類の不利な状況のいくつかを改善したので、これがまた取って付けた感の強い印象だけを残している。
ホメロスの世界も良く分からない。ギリシャの神々は本当の意味での神々ではなく、ポストヒューマンだとの説明もあるが、その目的が分からない。何のために神様ごっこをしていたのか。何のために戦争の行末を学師たちに観察させていたのか。アキレウスやヘクトル達ギリシャ人からすれば、神々のコスプレをした未来人の遊びに付き合わされたとあれば、いい迷惑だということころだろう。いい迷惑と言えば、ホッケンベリーもそうである。彼らは命にもかかわる修羅場を幾度も超えたわけだが、その修羅場が神々のただの気まぐれによって生じたのであれば、物語的にはとんだ無駄骨である。
唯一、一貫した行動目的を持っているのはマーンムートやオルフたちモラヴェックだろうか。彼らが、生体機械として、いなくなってしまった人類を懐古する背景は分かる。そのあたりが動機になって、火星や地球の異変を探知し、調査を兼ねて火星や、地球へ向かうことになる。物語上では、モラヴェック達は良識ある最も力を持った存在なので、地球や火星で起きている窮地を救える実質唯一の存在なのであるが、彼らの罪ではないとはいえ彼らはその窮地を把握していないので、読者から見れば随分とヤキモキする遅い展開が続く。彼らはバラバラに物語が展開する世界線を能動的につなぐ役割があるのだが、古典的人類との繋げ方には、やはり取って付けた感が否めない。何故なら、モラヴェック達は取って付けたようにブラックホール弾頭を発見し、取って付けたようにそこで被爆したハーマンを見つけたのだから。結局、あの潜水艦が一番拙い。
以上、最終的には、文句や愚痴にも近しい感想だが、まあ、いろいろとお粗末なところがあるのは間違いない。正直なところ、ハイペリオンシリーズに次ぐ、ダン・シモンズの長編大作として、『オリュンポス』はその期待に応えられるだけの内容ではないと思う。『イリアム』が面白かっただけに、満足する結末や読後感を得られないのは残念である。とはいえ、あれだけの文章量を読ませるだけの牽引力はやはりあるのである。時を置いて精読してみれば、意外な伏線の回収に気付くこともあるかもしれない。『イリアム』の感想でも述べたが、読書の面白いところは読むタイミングによって感想も変わるというところにある。再読するときのことも考えて、『オリュンポス』は『イリアム』と共に、できるだけ捨てずにとっておくとしよう。いまのところ、『オリュンポス』は私にとって大事な物語であることには違いない。