弥生研究所

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【読書感想文】イリアム

十数年に渡って「つんどく」した本がある。それが『イリアム』である。私がハイペリオン・カントスの四部作を愛読していることは、既に何度も述べたことである。しかし、私はハイペリオン・カントスを愛読したとはいえ、必ずしも、その著者であるダン・シモンズのファンではなかった。したがって、ハイペリオンを読破したらかといって、イリアムが読破できなくても何ら不思議ではない。イリアムを長年にわたって積んどくした理由は、やはりその内容によるところが大きいだろう。

世界観のぶっ飛び具合でいえば、イリアムハイペリオンを越える。ものの数十ページの間に、ヘクトルやアキレスが活躍するギリシャ神話の描写があったかと思えば、未来の地球を思わせるいささか退廃した世界が描かれ、はたまた木星の衛星エウロパの深海という世界が描写される。これらの世界のつながりは一切描写されず、私はいったい何を読んでいるのだろうと困惑するのは必定である。このような謎めいた情報の広げ方は、ダン・シモンズらしいといえばその通りだが、やはり読者を置いてきぼりにしがちな傾向はある。かく言う私も、ハイペリオンに魅せられてイリアムを購入したが、なんとなくページが進まず、ついに長いつんどくに移行したわけである。

読書の面白いところは、読むに最適なタイミングが人によって異なるところだろう。あるいは、読むタイミングによって感想が変わるところにもある。私は最近、私事の都合により読書に時間を費やす好機を得た。そこで、ちょっとした勇気をもってイリアムを手に取ると、これが面白かった。かつてなかなか進まなかったページがどんどん進んでいく。まるで、私がイリアムを見つけたというよりは、イリアムが私を見つけたかのように活字がどんどん吸収されていく。数度の断捨離に生き残っただけはある。こういう時こそ、捨てなくて良かったと心底思うのである。

さて、読書感想文らしく、本の中身に触れ、私の思うところを書きたいところではあるが、実のところ、この本のあらすじを差し支えなく紹介するのが難しい。ギリシャ神話を基礎において、ホメロスを材料にシェイクスピアを少々といったところか。私に言えるのは、そうらしいというレベルのものであって、私自身、シェイクスピアに精通しないし、ホメロスの『イーリアス』など読んだことが無い。まあ、少なくともそんな私でも十分楽しめるのであるから、最初の極太な世界観を飲み込めれば、前提知識は必要ないだろう。せいぜい、ブラッド・ピッドがアキレスを演じる映画『トロイ』程度の知識があれば十分ではなかろうか。実際、あの映画の場面描写は本書にもあるから、知っていれば脳内で映像化しやすい。むしろ本書の中のアキレスは、私の脳ではブラッド・ピット以外で再生するのが不可能であった。しかし、そんなギリシャ神話的要素も本書の一部でしかないからどのみち心配はいらない。要は、何の関連性もないギリシャ神話やシェイクスピアの要素をまとめ併せて、ひとつの作品しているのが本書の内容の最大の魅力である。

私がそうであったように、最初の数十ページさえ楽しめれば、あとは極上のメインディッシュであるからにして、特に問題のない範囲のネタバレだけを披露して、未読の方や、挫折している方の興味をそそりたいと思う。先述した通り、物語は三つの世界で順繰りと同時進行していく。ギリシャ神話の世界、退廃的な地球の世界、木星の衛星の世界の三つである。これらは最初、地理的に時間的にどうつながっているのか皆目見当もつかない。

ギリシャ神話の世界では、文字通りギリシャの神々が存在し、アキレスとヘクトルが今まさにトロイを巡って戦争をしている。登場人物の一人、ホッケンベリーは神に仕え、なぜか理由は分からないが、ギリシャの人々に存在を知られないよう秘密裏にその戦争の行末を観察している。その観察経過によれば、戦争はおおむねホメロスの『イーリアス』に沿って進行しているという。ホッケンベリーの生殺与奪は神によって完全に支配され、この九年間ずっと毎日同じように戦争を観察してきた。しかしある日、ホッケンベリーは、神の一柱であるアフロディテから命令を受ける。神の一人アテネを殺せと。ギリシャの神々が本当に抽象的な存在としての神々であるならば、本書はSFとは言えないだろう。神々はいったい何者で、何を目的としてこんな戦争を観察させているのか。

今作はSFといえど、ハイペリオンとは違ってスペースオペラではない。人類はついに恒星間航行を発明しなかったし、その点では閉じた世界で物語が繰り広げられる。とはいえ、地球には軌道リングがあり、文明は外惑星にも進出している。量子的な平行世界のような概念が出てくれば何でもありと言えばありである。地球に住む古典的人類と呼ばれる彼らは、自らの社会を支える科学を理解しておらず、文字も失っている。彼らは何不自由なく暮らしているが、その暮らしを支える仕組みを彼らは何一つとして知らない。彼らが精を出して取り組めるものは少なく、よくて車輪の再開発か、セックスくらいのものである。いわば彼らは、何らかの存在によって半ば家畜のように生かさず殺さず管理されているのだが、彼ら自身はその事実を知らず疑問も持たない。しかし、未知への好奇心は人間に残される最後の権利かもしれない。アーダ、ハーマン、ディーマン、ハンナはそれぞれの思惑を持ちつつも、それぞれが探求を始めていた。

ハイペリオン』で機械、あるいはAIといえば冷徹無比な恐るべき存在であったが、こと『イリアム』では作者の機械知性への捉え方は一味違う。今作に出てくるモラヴェックなる機械たちは、シェイクスピアをこよなく愛する優しい文学機械である。彼らは木星の探査と開発のために人類によって播種されたものだが、とうの人類は大昔に消えていなくなったために、独自の進化を経た半生物機械である。その長い間、彼らは存続の工夫を凝らす一方で、人類への追慕を人類が残した文化で代替していた。モラヴェックの一人、マーンムートはエウロパの深海を探査するロボットであったが、唐突に火星への探査任務を拝命することになる。何やら、火星ではここ短期間でテラフォーミングされ、量子のゆらぎだかなんだかが、好ましくないレベルで濫用されているという。マーンムートと友人のオラフは他のクルーたち数人と共に、木星から火星へと旅立つ。

ここまでくると、それぞれの世界が独立しすぎていて、どうつながっているのか分からないのも肯けるであろう。いわば三本分の小説を平行して読んでいる様なものである。しかし、これらが縫うように繋ぎ留められていくのだから、著者たるダン・シモンズはすげぇよなぁというところである。ところで、今までになかったことなので敢えて指摘したいが、ダン・シモンズはユーモアに目覚めたらしい。『ハイペリオン』シリーズにユーモアを感じた方がいらっしゃったとすれば申し訳ないが、私はいままでダン・シモンズにユーモアを感じたことが無かった。ただ今作においては、「それにしてもこのオヤジ、ノリノリである」と思えるような、まるでダン・シモンズ自身が楽しんでいるかのような文章に多くお目にかかるのだ。考えてみれば、それも当然かもしれない。ギリシャ神話、シェイクスピア、SFといった本来混じり合わないようなものを、巧みにかき混ぜているので、それこそ「混ぜるな危険」を笑いのフリにするような、シュールさがそこかしこにあるのである。

私自身、現時点で『イリアム』を読了し、続編『オリュンポス』を読み始めたところにある。物語は折り返し地点を過ぎた頃だが、まだ謎は多く残っている。読書とは一過性の体験にもれず、その幸福感は永続しない。今の私のタイミングは、いわば果実がもっとも熟したころ合いであろう。『オリュンポス』は出来るだけ長く楽しみたいところであるが、読むのを中断することにむしろエネルギーを必要とする。その『イリアム』へのエネルギーの一部を勢いに駆ってこの文章を書いた。ここまで読んでくださった方がいて、もし興味を持たれた方がいるならば、冥利に尽きるものである。