弥生研究所

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解説『ハイペリオン』詩人の物語

ハイペリオンの六つの物語のうち、三つめの詩人の物語について紹介、解説します。 詩人の物語は、一言でいうと……形容するのが難しい物語です。それは語り手の枠にハマらない性格によるところが大なのですが、言い換えれば人を選ぶのではないかと思われる物語です。詩人の物語は、シュライクの存在にもっとも近づいた物語であると同時に、地球を飛び出して星々を開拓し続けた人類の歴史をなぞる役割を持っています。

前回の物語はこちら。

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詩人の物語:『ハイペリオンの歌』

 巡礼者の名は、マーティン・サイリーナス。はじめに言葉ありき。サイリーナスは自らの物語をそう始める。サイリーナスが生まれたのは、今はオールドアースと呼ばれる地球、生きてその姿を見たものはいないであろう地球であった。かつての地球は、キエフの研究チームがミニブラックホールを地球の核に落とすという<大いなる過ち>によって、すでに失われていた。とはいえ、地球が消滅するまでに一世紀以上の時間的猶予があった。その間、地球は小康期と劇症期と呼ばれる期間を繰り返し、劇症期には惑星規模の大地震が頻発したものの、十カ月から十八カ月ほどの小康期の期間は、まだ地球は居住可能であった。もちろん、この頃には<聖遷>によって人類のほとんどが惑星外へと飛び立ち、地球に残っているのは、一部の奇特な人間か、地球に既得権益をもった富裕層であった。サイリーナスはその後者として地球に生まれた。サイリーナスが生まれたころには、人口は北米大陸だけでも八千人ほどしか残っていなかった。

 サイリーナスの生家はいくら富裕層とは言え、地球での奢侈な生活により借金は嵩み、いよいよ地球も終わりだという頃になって金融機関が取り立てに動くと、家計は破産寸前になった。サイリーナスの母は、残った財産を長期の預金に入れ、サイリーナスをヘブンズゲートへと旅立たせた。サイリーナスがニ十歳の時である。それも光速よりもはるかに遅いラムシップに乗せて。サイリーナスの母の読みでは、片道百六十七年の間につく利息は、負債を返済しても余りあるものになっているはずだというものであった。

 しかし、サイリーナスがヘブンズゲートに到着するころには、とうの昔に預金口座は凍結され資産は没収されていた。おまけに、粗野な冷凍睡眠のおかげで、解凍されたときには脳卒中を起こし、言語機能に障害が残った。サイリーナスが使いこなせる言葉は、九語だけだった。障害のある身一つ以外に何も持たないサイリーナスは、ヘブンズゲートで奴隷にも等しい浚渫作業員として生計を立てた。大昔から、監獄は物書きにとって最高の場所だったとサイリーナスは言う。過酷な労働環境の中で、目に見えるもの全てが拘束されていても、サイリーナスの精神だけは自由であった。肉体労働が辛ければ辛いほど、精神はより高みで解き放たれた。汚泥にまみれ、腐食性の大気におびえる中で、サイリーナスは詩人になった。唯一欠けていた言葉も徐々に戻り始めた。ある非番のこと。サイリーナスは原稿を抱えて図書館に向かっているとき、スラムのならず者に半殺しにされる。幸いなことに、そこに通りかかったのが、ヘブンズゲートのある高官の妻であった。彼女はサイリーナスを病院へ送ると、散らばった原稿をアンドロイドに回収させた。この原稿が人の手を伝ってトランスライン出版社へ届き、最終的に三十億部というベストセラーを叩き出す。サイリーナスは一躍ベストセラー作家となった。

 ところが、その後の文筆活動は鳴かず飛ばずであった。ベストセラーとなった『終末の地球』は、サイリーナスが書いた詩のうち、ノスタルジア溢れる地球の情景だけを抜粋したものだった。そこで、サイリーナスは満を持して『詩篇』を書き上げる。しかし、これが全く売れなかった。出版社の雇われ三文文士として『終末の地球』の続編を書き続けることは、サイリーナスにとって難しいことではなかった。しかし、『終末の地球X』を書き始める頃には、サイリーナスはいいかげんな小説を書き飛ばすことに心底うんざりしていた。酒、ドラッグ、情報、政治、宗教などに傾倒したあげく、ついにサイリーナスは気付く。詩想が消えてしまったことに。サイリーナスは言う。本物の文章を書くこととは、自分の精神が道具と化し、どこからか流れ込んでくる啓示を書き続けることなのだと。

 ついに、サイリーナスはトランスラインとの縁を切り、惑星アスクウィスへと旅立つ。そこは、芸術家たちがひしめく、ビリー悲嘆王の王国がある星だった。アスクウィスでの十年間の生活の中で、サイリーナスはビリー悲嘆王の後援の一対象から、教師、相談役、そして友人の待遇を得るまでになった。ホレース・グレノン=ハイト将軍の反乱が起きたとき、アスクウィスが反乱軍の攻略ルートにあることから、ビリー悲嘆王はハイペリオンへの遷都を行った。ハイペリオンには二世紀前に、より原始的な開拓民が入植していたが、キーツエンディミオン、ポートロマンス、そして<詩人の都>などの主要な都市はビリー悲嘆王が率いる五隻の播種船に乗るアンドロイドたちによって建設された。しかし、その間もサイリーナスの詩想が戻ることはなかった。

 シュライクの伝説はビリー悲嘆王がハイペリオンを開拓する前から、土着の民族の伝説としてあった。最初は<詩人の都>で行方不明者が現れた。しかし、やがて死体が発見されるようになる。ある隠しカメラが、シュライクの姿を撮影した。その映像で初めてサイリーナスはシュライクの姿を見た。奇しくも、シュライクが最初の殺戮を始めたタイミングと、サイリーナスが『詩篇』を再び執筆し始めたタイミングは一致していた。サイリーナスには自覚があった。自らの詩想がシュライクを呼び寄せているのではないかと。結局、サイリーナスの詩想とシュライクの殺戮には科学的な因果関係は見つけられず、シュライクの殺戮も止まらなかった。<詩人の都>はついに打ち捨てられることになる。ビリー悲嘆王は住民を疎開させ、自身はキーツへと移り住んだが、サイリーナスはそれでも<詩人の都>を離れなかった。サイリーナスの詩想は、もはやシュライクの脅威、存在無くして成立しなかったからだ。それから二十数年の間、サイリーナスはシュライクに殺されることもなく、黙々と詩作を続けた。

 ある晩、サイリーナスが自室に戻ると、そこには懐かしきビリー悲嘆王がいた。どうやら、サイリーナスの原稿を無断で読んでいたらしく、ビリー悲嘆王は原稿を絶賛する。そして、最後に書かれた原稿の日付と、<詩人の都>のーーサイリーナスを除いてーー最後の住人がシュライクによって殺害された日付とが、一致していることをビリー悲嘆王は指摘する。どうやらビリー悲嘆王は、シュライクによる流血事件に終止符を打つべく、サイリーナスの詩作を全うさせまいとしてここに来たらしい。ビリー悲嘆王の手には神経麻酔銃が握られていた。サイリーナスは気付くと、地面に横たわっていた。痺れた体で周囲を見渡すと、ビリー悲嘆王が今まさに原稿を焼こうとしているところだった。すまない、とビリー悲嘆王は謝りながらも、狂気は終わらせなければならぬと、原稿を火にくべる。その時シュライクが現れた。現れたというよりもこちらの意識が気付くことを許されたというべきか。あたかも最初からそこにいたかのように、シュライクは立っていた。次の瞬間、シュライクはビリー悲嘆王の手足を爪で刺し貫き、体を高々と掲げた。そして、ゆっくりとビリー悲嘆王の体を抱き寄せた。サイリーナスは、焼ける原稿の傍らにあった灯油の容器を手に取り、ビリーもろともシュライクにぶちまけた。

 サイリーナスは、その後、燃え残った原稿を回収し、燃えてしまった詩を書きなおした。しかし、ついに詩は完成しなかった。再び、詩想は消えてしまったのである。それからはただひたすらに詩想を待った。そのためには、何度もパウルセン(延齢)処置を受けた。違法の亜光速航行に加わって、その度に――記憶がごっそり失われる――冷凍睡眠に入った。ただただ、詩を完成させるために。サイリーナスは自らの物語を締めくくる。初めに言葉ありき。終わりにも、言葉あるべし。

解説

まず最初に、詩人の物語における衝撃の事実は、地球が既に存在しないということかもしれません。今までに語られてきた司祭の物語と兵士の物語では、地球の描写が全くないことが少し不自然ですらもありました。兵士の物語では火星の描写がありましたが、地球の描写は頑なまでにありませんでした。地球がどうなっているのかという疑問を無意識にでも抱いた読者にとっては、この詩人の物語が答え合わせとなります。

何を研究していたのか分かりませんが、キエフに存在していた研究機関が、うっかり小さなブラックホールを地球の中心に落してしまい、以後、そのブラックホールがゆっくりと地球の核を吸い込んでいきました。サイリーナスが生まれた西暦は定かではありませんが、サイリーナスが生まれたころはまだ地球はありました。そして、ヘブンズ・ゲートへの片道167年の間に、地球は消失したと思われます。サイリーナスが最初の『終末の地球』を出版したころには、地球は既に失われ、伝説的な存在となっています。サイリーナスの話によれば、ニューアースやアースIIなどの惑星があり、地球を母星とする郷愁の思いが人類にあることも思わせます。生の地球を見たサイリーナスによる地球の描写と、失われた地球に対する大衆の郷愁が結着した結果、『終末の地球』なるベストセラーは生まれました。

詩人の物語は6つの物語の中でも、時間的経過が長い物語です。サイリーナス自身が数百年に渡って生きているので、個人年表を以下にまとめました。

  • 20歳:地球での生活
  • (この間167年)
  • 20代:ヘブンズゲートでの浚渫労働
  • 20代:『終末の地球』を出版
  • 30代:トランスラインと縁を切り、アスクウィスへ行く
  • 40代:ビリー悲嘆王と共にハイペリオンへ入植
  • 50代:シュライクの出現
  • 70代:ビリー悲嘆王がシュライクに殺される

残念ながら、詳細な西暦や年齢は分かりません。時間経過に関する描写もあるのですが、それが客観的な時間によるものなのか、現地時間によるものなのかはっきりしないので諦めました。24時間=1日、365日=1年というのは惑星によって異なるからです。サイリーナスの話から推測できるのは、おおよその年齢くらいまでとなります。延齢処置を繰り返しているサイリーナスにとっては、年齢などもはや無意味なのかもしれません。

最大の謎は、シュライクとサイリーナスとの関係性についてです。シュライクはサイリーナス達が入植する以前から、初期の開拓民たちにその恐るべき存在を知られていました。しかし、こと<詩人の都>については限りなく<時間の墓標>に近いにもかかわらず、入植以降、シュライクによる被害はありませんでした。ところが、サイリーナスが『詩篇』を再び書き始めたとき、シュライクもまた活動を始めたのです。サイリーナスは自分の詩想がシュライクを呼び寄せた自覚を持っています。

一方、サイリーナスとシュライクの関係性に気付いたのは、サイリーナスだけでなくビリー悲嘆王も同じでした。ビリー悲嘆王は『終末の地球』が、サイリーナスによる純粋な著作ではなく、出版社によって都合よく改ざんされていることを見抜いた芸術的な慧眼の持ち主であり、ゆえにサイリーナス最大の理解者でありました。<詩人の都>でサイリーナスを除いた最後の犠牲者が出たとき、ついにビリー悲嘆王はサイリーナスの詩業を止めるべく、サイリーナスの前に現れます。それは、サイリーナスの才能を愛したビリー悲嘆王にとって苦渋の決断であったに違いありません。

シュライクがサイリーナスを最後まで殺さなかったことや、『詩篇』の原稿が書かれた日付とシュライクの犠牲者が出た日付が奇しくも一致していることなどは、サイリーナスの詩作とシュライクの殺戮に何かしらの関係性があることを思わせます。

サイリーナスはシュライクの存在が何であれ、かつてヘブンズゲートでの過酷な労働が詩想を生み出したように、シュライクの存在とシュライクが生み出す恐怖が詩想には不可欠だと考えていました。ビリー悲嘆王の死を最後に、サイリーナスの詩想は消えてしまいます。ただ純粋に詩想が戻るの待つために、パウルセン処置や冷凍睡眠も行った結果、サイリーナスは詩想を得るにはシュライクの存在が必要なのだという確信に至るのです。

続く。

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