弥生研究所

人は誰しもが生きることの専門家である

解説『ハイペリオンの没落』4

第三部の後半です。ついに『ハイペリオンの没落』は完結します。巡礼者の物語も終わりです。最後には、作中で言及されている、あるいはオマージュされているであろう、実在した人物について、私の補遺を載せました。ダン・シモンズの知識の幅広さには到底追いつけませんが、シモンズが根底にした知識や価値観を知ると、より小説として楽しめると思います。

前回はこちら。

yayoi.tech

3-38

セヴァーンの病状は急速に悪化した。ハントは質問ばかりだったが、文句を言いつつもよく看病をした。馬車はローマへと入った。そこはスペイン広場であり、ハントはセヴァーンを担ぐと、セヴァーンが指す古い建物へと入っていった。

ソルはスフィンクスの入り口で立ち尽くしていた。レイチェルを受け取ったシュライクはスフィンクスの中に去っていった。スフィンクスからは烈風のように光があふれだし、ソルはスフィンクスへ入ることが出来なかった。ソルはふと翡翠碑に気配を感じた。翡翠碑の入り口は光り輝き、その光の中にシルエットが浮かび上がっていた。ソルは、最初それがシュライクだと思ったが、やがて動きから女性であるように感じた。ソルはレイチェルだと確信した。しかし走り寄り抱きしめると、それはレイミアだった。

グラッドストーンは火星の司令部にあって、セヴァーンとハントの連絡を待っていた。問い合わせたコアの回答は転移システムの誤動作かもしれないということだった。歴史上、転移システムの誤動作など一度たりともなかったにもかかわらず。コアがもっともらしい言い訳すらしないのは、もはや人類には流れを変える力はないことをコアが予想しているようだった。

ゴッズ・グローヴではデュレが諦めの境地にいた。デュレにとって不思議なのはセック・ハルディーンの冷静過ぎる態度だった。セック・ハルディーンは語った。この戦争は、コアと人類の共生関係を終わらせる大きな変化だと。そして、取り決めによりアウスターはゴッズ・グローヴを攻撃しないことを。デュレをいままで軟禁していたのは、その事実の目撃者とするためであった。しかし、攻撃は始まった。視界のあちこちでキノコ雲が現れ、光の柱が森林を薙ぎ払った。呆然とするセック・ハルディーンの表情はショックに刻まれていた。セック・ハルディーンはデュレの腕をつかむと急いで転位ゲートへ連れて行った。デュレが転位ゲートをくぐったとき、業火は背後に迫っており服はくすぶった。直後、転位ゲートは消失し、デュレは仰向けに倒れこんで強かに頭を打ち、気を失った。

グラッドストーンはゴッズ・グローヴの最後を見届けた。そして、リー准将に振り向き「武運を祈る」と激励し出立させた。リー准将は七十四隻からなる機動艦隊を率い、マーレ・インフィニトゥスの近縁で先制攻撃を仕掛けるのだ。そこに補佐官のセデプトラ・アカシがデュレの到着を告げた。グラッドストーンは三十分の休憩を挟むことを言い渡して指令室を退室した。グラッドストーンに対する不信任案が可決するのはもはや時間の問題だった。しかしその時間すらグラッドストーンには十分に思えた。グラッドストーンは私室にてアルベドと面会した。グラッドストーンは単刀直入にコアの場所を問うた。グラッドストーンはなぜこの戦争の帰結をほのめかすことさえしなかったのかを責めた。そして、なぜコアはセヴァーンとハントを誘拐したのか迫った。最後に、グラッドストーンは口先だけのアルベドに代わって率直に話ができるAIの権力者との対談を求めた。アルベドは退室した。グラッドストーンはデュレに会うため、転位ゲートに踏み込んだ。

3-39

二度の発作のあと、熱にうなされながらセヴァーンは昔ここで目覚めたときのことを思い出していた。奇蹟的に病気から快復したと説明されたあの場所に戻ってくることになるとは。セヴァーンはいつもとは違う夢を見た。データプレーンから、データスフィアへ、メガスフィアへ、そしてメタスフィアへ。そこに隠れるところはなかった。セヴァーンが後にしてきたところから、ありとあらゆる苦痛が流れ込んできた。ふと、誰かが自分の名を呼んでいた。ハントだ。目覚めたセヴァーンの枕元にはハントがいた。落ち着いたセヴァーンに対して、ハントは「もし相手の感じることが夢で見られるなら、相手の精神に何かしら痕跡を残せないだろうか」と言った。

モニータはカッサードをシュライクから引き離した。そして、黄金色の楕円を出現させると、カッサードをその中に引きずり込んだ。カッサードには、そこがハイペリオンではなく、時間すらも超越したことが分かった。男女の一団がカッサードを取り巻いた。そのうちの一人がカッサードの体をなでると、触れたところから傷が癒えた。その一団は人間と表現するにはあまりにも個性的で種類に富んでいた。時間の墓標を作り送り出した人類の未来の一つだとモニータは説明した。その光景を眺めていたカッサードはふと涙を流した。強烈な懐古と郷愁が胸を襲ったからだ。モニータは再び楕円へカッサードを促した。そこはハイペリオンのクリスタル・モノリスだった。視界にはソルとレイミアがいた。彼らに近づこうとするシュライクもいた。カッサードは友人たちを守るために歩き出した。

雷鳴と激しい雨音でセヴァーンは目を覚ました。手探りで窓を開けると、雨のにおいを含んだ空気を新鮮に感じた。セヴァーンは窓際で椅子に座り、外を眺めながら考えた。弟と母も同じ肺病で死んだ。自分が死んだとき検死官の報告によれば肺病のために肺組織はほとんど残っていなかったとか。死ぬまでの二カ月以上の間、いったいキーツはどれほど苦しんだだろうか。セヴァーンにとってさらにつらいのは、夢で共有される数々の苦痛だった。

シオ・レインは目を覚ました。断片的な記憶が夢のように感じた。シオは階段を上ってデッキに出た。シオがぎょっとしたのは、バルコニーが外にせり出し解放されていたからだ。その外には、自分がまだ夢の中にいるのではないかと疑うほど多種多様な形態をもった人間がいた。アルンデスは彼らがアウスターだと説明した。領事はアウスターの代表であるフリーマン・ヴァンズをシオに紹介した。ここはアウスターの船団であり、交渉が始まることを、ようやくシオは理解した。

グラッドストーンは医務室に入りデュレの容態を聞いた。デュレは重度のやけどを負っていたが命に別状はなかった。デュレは岩窟廟から個々に至るまでの出来事をグラッドストーンに語った。グラッドストーンは率直に手を貸してほしいとデュレに言った。そして、デュレが新教皇に選出されたことを伝えた。グラッドストーンは自室に戻ると、領事の宇宙船に向けたメッセージをFATライン通信で送信した。

グラッドストーンのメッセージを受け取った領事は、これまでの経緯をシオとアルンデスに語った。シリとマウイ・コヴェナントを発端にした自らの行動背景、そして自分自身は連邦もアウスターも裏切り、人類を裏切っていたことを。それは極刑に値する背徳行為、破壊行為であったが、シオとアルンデスにはどうあるべきかは分からなかった。

3-40

翌朝、セヴァーンが目を覚ますとハントが食事を持ってきた。ハントによれば一階のレストランに用意されていたらしい。気付くとハントは窓辺で何かに見入っていた。ハントは朝方、散歩をしたときにシュライクを見たのだと言った。いまも石段の向こうにその一部が見えているという。日没近くになって、ソルとレイミアを守るために戦うサッサードの夢を朧げにみた。ハントはまだ窓際にいた。自分の人生のなんと空しかったことか、画家のふりして無為な時間を過ごすのではなく、詩人として詩を書いておけば。ふいに「やってみなければわかるまい?」とハントが言った。ハントはこちらからグラッドストーンへ何か働きかける術を模索しているのだったが、その言葉が後悔に落ち込んだセヴァーンの心に刺さった。やれるだけのことはやってみよう。セヴァーンはそう思いながら意識が遠のくを感じた。

カッサードはかつてモニータに投げ捨てられたFORCE制式のライフルを手に取るとシュライクに戦いを挑んだ。カッサードはワイドビーム、フレシェット弾、あらゆる手段でシュライクを攻撃した。シュライクは移相して時間と空間を跳躍した。そこは小さな船室だった。そばにモニータがいたが、さらにもうひとりヘット・マスティーンがいた。シュライクの鉤爪がカッサードの肉体を切り裂き、夥しい血潮が船室の壁や窓にまき散らされた。再びシュライクは時空を跳躍した。カッサードはシュライクを追った。

ソルとレイミアにとってカッサードとシュライクの戦いは突如として発生した光と爆発でしかなかった。レイミアがふと首筋に手をやると、ルーサスのハイブで埋め込まれたソケットもなかった。メガスフィアを体験したレイミアにとって現実はあまりにも矮小で意識が全く集中しなかった。レイミアを支えるソルの腕は温かく、レイミアは自分がレイチェルになったかのような錯覚を覚えた。レイミアは早贄の木に刺されたサイリーナスを救うべくソルと別れて<シュライクの宮殿>に向かった。

グラッドストーンはリー准将の報告を受けていた。グラッドストーンはFORCEの猛反対を跳ねのけてリーを准将に昇格させ、いわばグラッドストーンの手駒として機動艦隊を率いた。その目的は群狼船団に先制攻撃を与え、その中核を撃滅することにある。リー准将の報告を聞き終わるとコルチョフ上院議員が入ってきた。不信任案の可決は覆しがたい。コルチョフはグラッドストーンの後継に間違いなかったが、とうのコルチョフはグラッドストーンしかこの危機を乗り切れないと見込んでいた。アルベドはデスボムを用意したという。グラッドストーンは会議へと向かった。

3-41

セヴァーンはメタスフィアを漂いながら思った。人は苦しみを受けるため生まれてくるのだと。人が自意識と呼ぶものは、苦しみの波濤のあいまに生じる澄んだ潮だまりに過ぎない。サイリーナスの言葉を思い出す。真の詩人とは、人類の化身となり、人類の創造主として生みの苦しみを経験することなのだと。セヴァーンはメガスフィアへの入り口を見つけた。やはりオールドアースにもどこかに転位ゲートがあるのだった。セヴァーンがメガスフィアへ入るとそこには雲門がいた。雲門は再び語った。コアの全ての派閥が地球の消滅に同意したが、穏健派はその破壊を躊躇した。そのため地球をマゼラン雲へと転位させた。地球を破壊したとされるブラックホールは転位ゲートだった。人類を地球から飛び立たせ、人類に広大な転位ネットワークを構築させたのは、データスフィアにアクセスする人間の脳を演算装置として利用するためだった。転位ネットワークが広がればそれだけコアは成長した。コアは転位ネットワークに存在するのだった。しかし、コアは転位ネットワークが作るメガスフィアに引きこもり、メタスフィアに出ようとしなかった。それは<獅子と虎と熊>と呼ぶ存在が居るからだった。人間のUIは量子的なスケールの中から生まれた。コアのUIは転位ネットワークの中から生まれるという。コアが人間の情報処理能力を搾取するように、コアのUIもコアを搾取し、いずれコアは滅びるのだ。穏健派はその滅亡を恐れ、自らが生み出したであろうUIとその信奉者たるほかの派閥に対抗した。その結果、セヴァーンが生まれ、巡礼者が選ばれ、グラッドストーンに情報が伝わった。早贄の木は苦痛を放射し<共感>を呼び寄せるために作られた。唯一の可能性は人間と機械のハイブリッドを作ることにある。そのハイブリッドに<共感>が宿れば人間と機械は共存できるかもしれないと。セヴァーンはメタスフィアを急降下した。セヴァーンを現実に引き戻したのは、激しい発作と喀血だった。セヴァーンは悟った。自分自身がUIの入れ物ではなく、何者でもない、ただの一介の詩人にすぎないことに。

3-42

カッサードは辺りを見渡した。時間の墓標の近くだが時間は異なるらしい。振り返ると、何千人という男女が武器を手にし整列している。その間にはモニータがいた。モニータはカッサードを知らなかった。モニータはこれがシュライクと人間の最後の戦いであり、勝者はシュライクを時間の墓標で過去に送り出す決定権を得るのだと言う。カッサードはモニータにキスをすると鬨の声をあげた。カッサードの突進に戦士たちが続いた。戦いが終わったとき、モニータはスクラップと化したシュライクに死の抱擁をされたカッサードを見つけた。その遺体は丁寧に処理され<クリスタル・モノリス>へ運ばれた。モニータは<スフィンクス>の中に入った。谷の墓標群は輝きを失い、遥かな過去を目指して旅立ち始めた。

レイミアは<クリスタル・モノリス>に人の気配を感じた。近づき入り口に立ってみると、その中にカッサードが横たわっていた。死んでいるのは間違いなかった。その傍らには一人の女性がいた。レイミアは彼女がモニータであろうと思った。しかし、改めて見るとモニータの姿は消えていた。レイミアは再び<シュライクの宮殿>へと進みだした。

領事は全てをアウスターのフリーマン・ジェンガに自白した。そして領事はグラッドストーンの頼みでここまで来たことを伝え、グラッドストーンから託された質問を口にした。フリーマン・ジェンガはそれに応えた。その一。アウスターが攻撃しているのはハイペリオンのみであり、ほかの攻撃には関与していない。ウェブ全体に及ぶ攻撃は<コア>によるものものだということを示唆していた。その二。アウスターはコアの所在を知らない。アウスターは数世紀にわたってコアから逃げ、コアと戦ってきたが依然としてその位置を発見できずにいる。その三。アウスターとしてはハイペリオンが陥落すれば休戦を受け入れる準備がある。コアを共通の敵とする戦いに加わることが出来るが、連邦が滅びることは時間的に食い止められない。その四。グラッドストーンと直接面会する準備はある。ただし、自ら転位ゲートを使うことはできない。転位ゲートはコアが人類に架している首枷だからだである。その五。デスウォンド爆弾はアウスターに対する警告にならない。何故ならそれを使おうとしている相手はアウスターではなくコアだからだ。応え終わると、フリーマン・ジェンガがシオとアルンデスを退出させ、領事だけを残した。

ソルはレイチェルを置いてスフィンクスから離れることが出来なかった。だが、不思議と安らぎを覚えていた。自分がレイチェルを怪物に差し出したのが、神に命じられたわけでも、恐怖に促されたからでもない。夢の中でレイチェル自身が求めたことだからだ。ソルには分からない。ただ娘に戻ってほしいだけなのだ。

作戦会議の中で、リー准将が率いた機動艦隊は瞬く間に消耗し、そして全滅した。この会議にはナンセン顧問官という新しいAI顧問官が出席していた。計算されつくされたカリスマ性を備える相手に、グラッドストーンは恐怖と嫌悪を覚えた。ナンセン顧問官はデスウォンド爆弾の使用を後押しするために送り込まれてきた。ナンセン顧問官はその有用性と安全性について論じたが、グラッドストーンはそれがヒロシマの論理や、キエフブラックホールを作った論理と同じであることを考えた。ナンセン顧問官は安全性の立証と示威行為のために、まずハイペリオンにて使用することを勧めた。グラッドストーンはその使用を決定した。

3-43

キーツは危篤に陥った。キーツはコアが転位ネットワークにいることをハントに伝えた。また、自分が自身の肉体から脱出したとき、<共感>は居場所を見つけ人と機械の、創造主と被造物の調停が始まると。そして自分が<後に来る者>ではなく<先触れ>であることを語った。ハントが洗面器の水を取り替え戻ってくると、キーツは死んでいた。

レイミアが<シュライクの宮殿>にたどり着いたとき、その中には一様にケーブルに繋がれたたくさんの人間が横たえられていた。そしてシュライクがいた。レイミアは近くにサイリーナスが横たわっていることに気付いた。レイミアはサイリーナスのケーブルを手刀で切ると、サイリーナスはおもむろに目を開けレイミアを捉えた。そしてシュライクが後ろにいるぞとレイミアに言った。

グラッドストーンは私室に入った。そこには二つのメッセージが記録されていた。ひとつはシオ・レインによるアウスターの会見内容についてであり、ひとつはリー准将からのものであった。リー准将の映像によればアウスターを捕虜にしても自発的に体が燃え尽きてしまうため生け捕りが不可能であることを伝えていた。それはサイブリッド特有の自壊反応であり、ウェブへの攻撃はコアによるものというシオ・レインのメッセージを裏付けていた。そこへモルプルゴ大将が現れた。グラッドストーンにとってモルプルゴは思想を同じくした同士であった。グラッドストーンは攻撃がコアによるものだとモルプルゴに伝えた。しかし、我々に出来ることは無いとモルプルゴは言う。デスウォンド爆弾の使用まであと三時間であった。

最後の裁定を待つ領事に、フリーマン・ジェンガは<時間の墓標>を開くための装置はただの張りぼてに過ぎなかったと語った。墓標が開くタイミングはある程度予測できており、あの装置は領事の行動をテストするものに過ぎなかった。徒労感に打ちのめされる領事に下された裁定は生きて混乱を収拾することだった。領事は友人たちが待つハイペリオンへ戻ることを決めた。

デュレは麻酔による浅い眠りの中で夢を見ていた。ふとデュレは夢を同じく見ている存在に気付いた。そして、それがセヴァーンと名乗ったジョン・キーツであることに。キーツはデュレに言った。ぼくの後にあるものがやってくると。それはアルファでもオメガでもないが、必要不可欠な存在だと。その者は、はるか遠くで生まれ、デュレの仕事はその者に道を用意することだと。デュレは医務室のベッドで目を開けた。デュレは体を起こすとパケムに戻るべく転位ゲートを探し始めた。

ハントがキーツの遺体を抱えて建物を出ると、馬車が待っていた。キーツの遺体を馬車に載せると馬車は進みだした。馬車が止まった先には墓所が用意されていた。ハントはキーツを埋葬した。その間、シュライクが常にハントの周りにいた。午後遅くになって、ハントは転位ゲートを見つけた。しかしそれは機能していなかった。だしぬけに、ゲートから人間が現れた。そして、もうひとり。ハントは悲鳴をあげた。

グラッドストーン疲労は極限に達し、ついにまどろみ、そして夢を見た。グラッドストーンは飛び起きるとモルプルゴ大将とシン大将を呼び出した。グラッドストーンはコアの居場所が判明したことを告げ、そして自身の計画の全貌を二人に告白した。その計画とは、デスウォンド爆弾を転位ゲートの間で爆発させ、同時に転位ネットワークをすべて破壊することだった。しかしその計画は一つ一つの惑星を孤立させることにほかならず、経済が破綻する惑星では大規模な死が発生することは目に見えた。シン大将が情報の出所を問いただすと、グラッドストーンはセヴァーンが夢の中に現れたと言った。グラッドストーンにはコアの計画が見えた。コアは人類を迷宮に閉じ込め、聖十字架に寄生させて、脳を演算処理装置として提供するだけの奴隷にしようとしているのだ。グラッドストーンは歎息した。自分は夢のお告げに導かれて、途方もないことをしようとしている。しかし現状に甘んじることは人類への裏切りにほかならない。モルプルゴは「機械と人間を隔てるものは夢だけのかもしれない」と言った。

3-44

キーツは死んだあと、メタスフィアへと放り出された。キーツはまず麻酔で眠っているデュレのもとを訪れた。次はグラッドストーンだ。メッセージだけを伝えると、キーツハイペリオンへと向かった。その途上で見かけたのはコアの内戦だった。見えた巨大な光は<雲門>の消滅だったのかもしれない。キーツはデスウォンド爆弾を搭載した燬光艦がゲートをくぐる寸前、ハイペリオンへ転位しその後を見守った。

シオ・レインとアルンデスはグラッドストーンの通信を受信していた。それは特定のメッセージではなく、あらゆる帯域で送られたリアルタイム通信だった。二人は全面降伏だろうかと推測したが、領事だけは既に酒臭さを漂わせる息と呂律の回らない舌で、グラッドストーンは降伏しないと断言した。

デスウォンド爆弾を搭載した燬光艦には、モルプルゴほか四名の志願者しかいなかった。その中には大将の息子であるサルムン・モルプルゴも含まれていた。モルプルゴはついに自分が燬光艦に搭乗することをグラッドストーンに告げなかった。モルプルゴは自らが手渡した命令書の結果を見たくなかった。モルプルゴは真っ先に志願した息子を誇りに思った。グラッドストーンの演説が始まった。それはこの戦争の真実を伝えるもので、人類の目を覚まさせる警鐘であった。演説の終了とほぼ同時に、その作戦は実行された。

転位ゲートを繋げる二六三の転位ネットワークは、モルプルゴが発した命令により、その内容も知らぬまま出動したFORCEの艦隊によって、完璧に破壊された。この瞬間、惑星は航時差に隔てられ孤立した。転位中であった人間は肉体を切断され、ネットワークにダイブしていたオペレーターは永遠に意識を失った。転位ゲートが唯一の出入り口である建物は死の棺桶と化し、部屋が転位ゲートで繋がれた家では、家族の何気ない生活の移動が今生の別れとなった。電子マネーの類は一切使えなくなり、経済は破綻した。それぞれの惑星は、混乱、暴動、内戦を経て、それぞれの道を切り開くことになる。

転位ゲートが機能を停止したあと、前CEOであるグラッドストーンは、最前面の監視哨に立って、暴徒の蛮行を見ていた。ヴァン・ツァイト大将は政庁の警護を最後の任務としていた。グラッドストーンは暴徒を隔てている遮蔽フィールドを解除するよう大将に命じた。暴徒と話がしたいというのである。無謀な試みにヴァン・ツァイトは断ったが、グラッドストーンにはなお優先的な命令系統が残っていた。グラッドストーンは遮蔽フィールドを解除すると自分の後方に遮蔽フィールドを張りなおした。グラッドストーンと暴徒との間には何もなかった。ヴァン・ツァイトの目には両手を掲げたグラッドストーンの姿が不動の岩塊に見えた。しかし人波が殺到するとついにその姿は見えなくなった。

領事たちは宇宙船の中でFATライン通信に流れる断片的な情報に耳を傾けていた。その時、通信がぷっつりと切れた。次に、宇宙船が匿名のメッセージを流した。「今後、このチャンネルが乱用されることは無い。お前たちは重大な目的でこれを使っている者たちの邪魔をしている。お前たちがその目的を理解するとき、アクセスは再び認められるであろう」宇宙船は、FATライン通信が使えなくなった事実を伝えた。

3-45

脱出が不可能になる直前、キーツはウェブのデータスフィアを脱出した。<虚空界>が痙攣して人間宇宙にメッセージを送るさまは、地震に似ていた。キーツハイペリオンの墓標に向かった。<先触れ>としてやることがまだあった。

ソルはずっと待っていた。数時間に及ぶ時間に耐えながら、ソルはひたすら思考していた。ソルの夢に現れ娘を捧げよと言うあの声は、神の言葉でも、シュライクの言葉でもない。あれは娘の声だった。アブラハムが息子のイサクを差し出したのは、神への服従でも神への愛でもなかった。アブラハムは神を試したのだ。気付くと領事の宇宙船と思しき船体が着陸し、三人の人影が下りてきた。谷に目をやると、二人のシルエットがこちらへ歩いてくる。それでもソルは動かなかった。ただひたすらにレイチェルを待っていた。

キーツはソルがレイチェルを差し出す瞬間を見守っていた。キーツはその瞬間に世界の未来がかかっていることを理解していたが、しかし、レイチェルをシュライクから救わなくてはならないと思っていた。実体のないキーツは側に放置されたメビウス・キューブからエルグを解放した。エルグの力を借りて、キーツはシュライクからレイチェルを取り上げた。取り返そうと振り返るシュライクはそのままゲートへと吸い込まれていった。キーツはレイチェルを抱いて待った。

レイミアがシュライクと対峙したとき、下の階層からモニータが「信じなさい」と言った。シュライクに抱き寄せられつつレイミアが掌をシュライクの胸に押し当てると、そこからエネルギーの奔流が生じた。シュライクは停止し、金属の光沢を失い、ガラスのように透明になった。ついにバランスを崩すと、シュライクは床に激突し砕け散った。レイミアがサイリーナスを担いでスフィンクスへ戻ろうとすると、領事の漆黒の宇宙船が着陸しようとしていた。

スフィンクスから赤子を抱いた女性が現れた。それが両方ともレイチェルであることはソルには間違えようがなかった。いつしかそこには、メリオ・アルンデスとレイミアもいた。レイミアにとって、大人のレイチェルは度々見たモニータそのものだった。レイチェルは赤子をソルに託すと、限られた時間を共有したのちゲートの中へと消えた。ソルは未来で三度レイチェルを育てることになるのだ。一時間後、準備を整えたソルは、レイミア、サイリーナス、ソル、領事、シオ、アルンデスと別れを告げ、未来へのゲートをくぐり、消えた。しばらくの喪失感、沈黙ののち、残された一行は宇宙船へと戻った。

エピローグ

五か月半後、領事の送別会が行われた。ハイペリオンはウェブの消失と共に戦闘が終結し、今ではアウスターと旧惑星政府との共同統治に入った。送別会は詩人の都で行われた。その庭園で、レイミアは第二のキーツペルソナに初めて会った。キーツは<後に来る者>、人間の魂と機械の論理が融合した存在、つまりジョニイとレイミアの子供が、宇宙を変革させることを伝えた。行き場が無いとこぼすキーツにレイミアはひとつの思い付きを伝えた。翌朝、領事は宇宙船に乗って出発した。宇宙船は離陸した。オペレーションの合間に詩を口ずさみながら。

補足

物語の中で言及されている、実在の人物について補足を残します。

ピエール・テイヤール・ド・シャルダン

1881年5月1日~1955年4月10日。フランス人。カトリック司祭、古生物学者、地質学者。聖職者としては著書『現象としての人間』においてキリスト教的進化論を提唱し、科学者としては北京原人の発見と研究で知られる。テイヤールの思想は、宇宙が生み出した生物圏(バイオスフィア)が、生物の進化によってやがて叡智圏(ヌ―スフィア)へと昇華し、人間は叡智の極点であるオメガポイントへの進化の途上にあるというものである。オメガは未来のキリストであり、進化の極地に神が生まれるというものであった。これらの思想は、テイヤールの宗教的価値観と、彼の生物学的学識から生まれたものであり、科学界からは実証を得ない誤謬だと批判され、宗教界からは異端的として危険視された。ニューヨークにて死去。享年74歳。

物語上では、デュレ神父や、その友人であるエドゥアール神父が特に敬慕する対象として描かれる。デュレ神父は教皇に選出されとき、テイヤール一世として即位した。テイヤールの思想は、シリーズ全編を通して、物語上の重要な価値観を構成している。後のエンディミオンシリーズでもそれは変わらず、むしろ著者シモンズがテイヤールに代わってオメガポイントを提言しているように見える。

ジョン・キーツ

1795年10月31日~1821年2月23日。イギリスのロマン主義の詩人、馬車屋の家に生まれたが、9歳の時に父が落馬事故で死んでからは困窮した。奉公に出て医学の道を志すも、まもなく詩人へと転換した。15歳の時に母が病死し、23歳の時に弟が病死している。いずれも肺結核によるものである。キーツ自身も結核の兆候というべき不調に悩まされており、弟の死後、病状が悪化した。医師の勧めにより温暖なイタリアへ移住したが、回復せず同地にて没した。享年25歳。『ハイペリオン』、『ハイペリオンの没落』、『エンディミオン』などが著作にある。この三作品の中では『エンディミオン』が先んじて出版されたが、評判は悪かった。しかし、その後出版された『レイミア、イザベラ、聖女アグネス祭の前夜、その他の詩集』は、後に最高傑作として評価されるに至り、それらの詩作は1819年に集中したものである。『ハイペリオン』および、その改作である『ハイペリオンの没落』は未完となったが、キーツの詩人としての頂点を暗示したものであり、完成が惜しまれるものであった。なお、ロマン主義とは、理性や論理よりも、感情や主観に重きを置いた精神運動を指し、18世紀末から19世紀初頭にヨーロッパとその周辺を席巻した。その影響範囲は詩文のみならずあらゆる芸術に波及した。このロマンを浪漫と訳したのは夏目漱石である。ロマン主義に傾倒したキーツは、科学や哲学が詩情を破壊していると非難したことがある。

物語上では、ハイペリオンシリーズ最大の重量人物と言っても相応しい人物である。詩人としてのキーツは日本人には、あまりなじみが無いように思う。その詩業はシェイクスピアにも比肩されるほどで、長生きしていればどれほど大成していたか分からない。そんな可能性を持ちながら夭折してしまった天才に、ダン・シモンズは焦点を当てた。それも『ハイペリオン』や『ハイペリオンの没落』という未完の傑作と同名で書き下ろしたのだから、ダン・シモンズキーツに対する敬意はどれほどのものか計り知れない。

ジョセフ・セヴァーン

1793年12月7日~1879年8月3日。イギリスの肖像画家。キーツの療養のためにイタリアへ随行し、キーツのよき友であり続けた。キーツの死後、遺言に従い「その名を水に書かれし者、ここに眠る」と墓碑を刻んだ。その後、画業は成功してその作品は人気を博した。政治力にも長けて、グラッドストーンなどの政治家の後援を度々得て、後にローマの英国領事を務めた。セヴァーン自身の墓石はキーツの隣にあり、その墓石には自らの名と共にキーツの名がある。享年85歳と長命であった。

物語上では、二番目のキーツ人格の持ち主として登場する。現実のキーツとセヴァーンの関係は、どちらかというと物語におけるセヴァーンとハントの関係なのだが、なぜ、セヴァーンを第二のキーツとして、キャラクターを入れ替えたのかはシモンズのみが知る謎である。

左がキーツ、右がセヴァーンの墓

en.wikipedia.org

リイ・ハント

1784年10月19日~1859年8月28日。James Henry Leigh Hunt。イギリスの詩人、文筆家、評論家でキーツに大きな影響を与えた。ロンドン生まれ。父はアメリカのフィラデルフィアで弁護士を営んだが、独立戦争を機にイギリスへ移住した。幼少期より発話障害があり大学への進学をあきらめる一方で、詩作に傾倒した。兄が創刊した新聞『The Examiner』の編集者を務めたときには、英国政府への批判的内容から禁固刑を受けるほど、ハントは強い自由思想の持ち主だった。ハントの批評はおおむね世間から評価されたが、その強すぎる風刺ゆえに敵も多く作った。その一人がキーツでもあった。ハントはキーツの友人関係を維持する一方で、キーツ自身はハントの思想を有害視した。ロンドンにて死去。享年65歳。

物語上では、グラッドストーンの優秀な補佐官として描かれる。職務に忠実で批判的な態度は、元のハントの影響かもしれない。オールドアースに閉じ込められてセヴァーンを看取ったあとは、悲鳴をあげた描写を最後に何も語られることはない。ただ、エピローグによれば、かつてサイリーナスらが横たわっていた<シュライクの宮殿>は、戻ってみると眠る人間の列は消え去っていて、中央には燦然と輝く光の扉だけがあったと言う。その扉をくぐって戻ったものはおらず、壁に彫り込まれた文字を解読すると、扉はオールドアースに繋がっているのではないか、という一つの仮説に行き着いている。流布したうわさ話によれば、早贄の木の犠牲者はみなオールドアースに送られたのだとか。

ファニー・ブローン

1800年8月9日~1865年12月4日。Frances "Fanny" Brawne Lindon。ジョン・キーツの婚約者として知られる。キーツとの交際は1818年に始まり、1820年キーツがイタリアへ旅立つまで続いた。すぐに婚約したが、キーツの生計が不安定だったことと、病状が悪化しつつあることから、ついに結婚することは無かった。キーツがイタリアで療養する間も文通によって最期まで交際を育んだ。その短い交際期間ながらも、キーツの傑作が1919年に集中していることから、ブローンの献身と精神的支えがキーツに大きく影響したと考えられる。その後、1833年にルイス・リンドと結婚し、3人の子供を設けた。享年65歳。

物語上では、キーツ(セヴァーン)は回想において婚約者としてのファニー・ブローンに言及しているほか、登場人物の中では、巡礼者の一人、ブローン・レイミアがその名を冠する。第一のキーツ人格であったジョニイは彼女をファニーその人として扱っている。最終的に彼女の立ち位置は<後に来る者>の母となるわけで、人類の救世主の母として扱われる。また、レイミアはキーツの著作の一つでもある。

最後に

最後に、キーツについて書かれたブログの記事を見つけて、面白かったので紹介します。

plaza.rakuten.co.jp

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元の記事は、映画『ローマの休日』にて、アン王女(オードリー・ヘプバーン)が口ずさんだ詩がキーツシェリーか、ブラッドレー(グレゴリー・ペック)と言い合うシーンがあり、案外アメリカ人でもその詩がどちらのものか分からないということに言及したものです。日本でいえば俳句や和歌のつくり手を言い当てるようなものでしょうか。いずれにせよ、詩人としてのキーツは、意外なところで持ち出され得る、浸透したものなのだと理解させられます。ちなみに、アン王女が口ずさんだのは、結局シェリーの詩のようです。

なお、私自身にはキーツの詩の何が良いのか、理解できる教養や才能はありませんでした。日本語に翻訳したところで失われる魅力もあるのでしょうが。詩集とか図書館で借りてみようかな。