弥生研究所

人は誰しもが生きることの専門家である

時間がない人向けの要約『時間は存在しない』

正直に告白しよう。途中から良く分からない。

私の凡々たる思考では、にわかに理解できるものではなかった。というよりももっと時間が必要というべきか。

それにしても、宇宙という世界を前にして人類の科学技術は未解決問題ばかりで全く心もとない。一方で、今まで人類が蓄積してきた科学技術の知識と経験は途方もない量で、何かの災厄でそれらが失われたとしたら、取り戻すのに気が遠くなる程度には、難易度が一般人には容易に理解できない領域まで踏み込んでいる。人はだれしも知識ゼロの赤ん坊からスタートすることを考えると、いくら先人が露払いをし道を開拓したとしても、到達できる科学技術には頭打ちが来るのではないかと怖くなるところでもある。

理解はできなくても知的好奇心はある。学問というのは自分の理解できる範囲で理解する程度に収めるのが一番楽しい。自分の知的好奇心以外の何かに追われて学習する大変さは、学校教育の経験者なら誰もが通る道であろう。プロの研究者としての数学者の資質は体力だともいう。私は、頭が疲れて目がかすんできたら寝るだけである。

私は自分の理解を進めるために、読書と並行して要約する癖があるのだが、せっかくなのでそれを共有したいと思う。要約の性ではあるが、著者の文章を正確に要約したものではなく、私の理解を要約した側面があることに注意されたい。要約が正確とは限らない。そもそも私自身が正確に理解していないのである。

タイトルでは「時間がない人向け」と称していながら、要約がそれなりの量になっているのは、私自身が有意義に読書した証左でもある。この点で、私は本書を人にお勧めできる。時間という概念に興味のある方は、以降の要約など読まずに、原本を読んでいただきたい。ただし、要約にも一定の価値がある。本書は著者による話の脱線が少し多い。専門書や論文ではなくエッセイなのだから何を書くのも自由なのだが、読者の時間に対する知的好奇心とは一致しないエピソードの独白が多いのである。エッセイなのだからそれも含めて楽しむべし、と言いたいところではあるが、私は遠慮なく飛ばしてしまったので、人のことは言えない。

著者自身は、第一部は実験において結果が得られた裏付けのある事実としているが、第二部以降はあくまで有力な候補の一つであるといっている。そもそも科学とは誤りと修正の歴史でもある。いずれにしても、私たちが素朴に感じる時間の概念と、時間の本質には大きな隔たりがあることは確信できる。物理学では量子などの世界を構成する根本的な部分で時間は存在しなくなっている。では、私たちが経験している時間の正体は何か。それは物理学ではなく、脳科学や神経学にバトンを譲らなければならないのかもしれない。

時間は存在しない

時間は存在しない

第一部

第一部では、私たち人間が知覚している時間の概念を破壊することで、私たちの時間に関する知識と経験をゼロにリセットしている。

第一章:時間の崩壊

  • 時間の流れは均一ではなく、場所によって早かったり遅かったりする。そのことに気付いたのがアインシュタインであった。アインシュタインは考えた。太陽と地球はどうやって重力で引き合っているのか。太陽と地球の間にあるものは空間と時間だけである。ならば、太陽と地球が周りの時間と空間に変化をもたらしているはずだと。この考察からひとつの仮定が導き出された。物体は周囲の時間を減速させる。物体の質量が巨大であるほど、また物体に近いほど時間は遅くなる。実際に山の上の高所とその下の低地では、低地のほうが時間の流れが遅くなることが明らかになっている。重力によって物体が落下するのは、下のほうが地球による時間の減速が大きいからである。
  • 時間は唯一無二のものではなく、空間の各点に異なる時間が存在する。アインシュタインは個々の時間が互いにどう影響するかを考え、個々の時間のずれの計算方法を示した。時間は単一ではなくネットワークなのである。これがアインシュタイン一般相対性理論による時間の描写である。
  • 時間には単一性がない。

第二章:時間には方向がない

  • 過去から未来という一方向の時間の流れはいったい何なのか。私たちは、過去と未来を明確に区別している。しかし、意外なことにほとんどの物理法則は過去と未来を区別できない。これは、現在の状態から完璧な過去を再現することが可能であり、未来を確定できることを意味している。ニュートン運動方程式は、物体の現在の状態から、物体の過去あるいは未来の状態を算出することができる。
  • これらの過去と未来を区別しない物理法則は、総じて現在の状態を確定している。時には不確定要素を排除するための条件が前提となっている場合もある。現在の状態を正確にすべて考慮することができれば、過去と未来は再現可能になり、過去と未来を区別する時間の流れは喪失する。しかし、実際には現在の状態を全て正確に考慮することは不可能であり、私たちの知覚はぼやけている。ぼやけているからこそ、過去と未来を違うものだと区別できるのである。
  • 時間には方向性がない。

第三章:現在の終わり

  • アインシュタインは、質量の影響で時間の流れが均一ではないことを発見する前に、電磁気学の研究を通じて、速度が速いほど時間が遅くなることに気付いた。光速で運動している物体は時間の経過はゼロになる。
  • 太陽系から最も近い恒星系であるプロキシマ・ケンタウリはおよそ4光年の位置にある。いま私たちが観測するプロキシマ・ケンタウリの輝きは4年前にプロキシマ・ケンタウリが放ったものである。ここで、もしプロキシマ・ケンタウリに我々と同等の生命がいて同じように太陽系の輝きを観測していたらどうなるだろうか。現在の私たちが観測しているのは4年前という過去のプロキシマ・ケンタウリであるが、現在の私たちを観測するプロキシマ・ケンタウリは4年後という未来のプロキシマ・ケンタウリになる。まるで文通である。太陽系とプロキシマ・ケンタウリでは現在を共有することができない。
  • 現在とは宇宙全体に広がらず、自分たちを囲む泡のようなものだ。現在という時間の幅をどれくらいとるかによって、その泡の大きさは変わる。私たち人間が識別できるのはせいぜい十分の一秒程度なので、これは地球全体が一つの泡に含まれる程度になる。しかし、光速で隔てられた距離ではそれぞれの場所にそれぞれの現在がある。
  • 普遍的な現在は存在しない。

第四章:時間と事物は切り離せない

  • アリストテレスは時間とは変化を計測したものと主張し、ニュートンは何も変化しなくても経過する時間があると主張した。この二人の巨人の主張は真っ向から対立している。結論から言えば、この二つの主張はどちらも正しく、どちらも間違っていた。この二つの考えを統合したのがアインシュタイン重力場の概念である。
  • ニュートンが直感した何も変化しなくても経過する時間は存在した。時間は物質が存在しなくてもそれ自体として存在する。しかしそれは絶対的な存在ではなく、物質と相互に影響しあうものであった。アインシュタインはこれを重力場と表現した。重力場は真っ平ではなく、物質の存在によって伸びたり縮んだりして歪んでいる。重力によって球が落下するのは、重力場の歪みの勾配を球が転がっているのだと表現できる。
  • 時間は独立した絶対的なものではなく、事物と相互に影響している。

第五章:時間の最小単位

  • 量子の世界にも時間は存在する。ゆえに時間は量子の性質とも相互に影響している。量子力学によって発見された、粒状性、不確定性、関係性の三つの特徴は、時間の概念をさらに複雑にした。
  • 時計で計った時間は「量子化されている」と表現される。これはいくつかの値だけを取って、ほかの値は取らないということが可能であり、まるで時間が糸ではなく粒のように扱えるからである。時間は連続した線ではなく、不連続な点なのである。この粒には最小の単位、つまり最小の時間の幅がある。これをプランク時間という。
  • 量子は次の瞬間にどこに移動するかは予測できない。これを量子の不確定性という。量子は確率の雲の中に散っており、量子ほどの小さい時間の中では、過去と未来の違いも確率の雲の中に散ってしまう。
  • 量子の位置は予測できなくても確定することはできる。量子は相互に影響する物理的な対象に対してのみ具体的な存在になる。それ以外の存在に対しては不確かさが伝播するのみである。これを量子の関係性という。
  • 時間は不連続な粒であり、不確かで、相互作用によってのみ具現化する。

第二部

第二部では時間のない世界がどのようなものかを理解していく。

第六章:この世界は、物ではなく出来事で出来てる

  • 物とは、しばらく変化が見られない出来事でしかなく、しかも塵に返るまでの期間の状態でしかない。すなわち物を把握するということは、その出来事を把握していることになり、物そのものを把握することはできない。

第七章:語法がうまく合っていない

  • 私たちが、現在・過去・未来にとらわれているのは、使用している言語の語法によるものでもある。私たちの言葉は過去・現在・未来の違いを「あった」「ある」「あるだろう」と区別してる。しかし、上・下という概念が地球規模では意味を持たなくなるように、過去・未来も同様に普遍的な意味を持たない。ただ私たちの言葉は、普遍的な意味を持たない過去・未来を包括てきていないのだ。

第八章:関係としての力学

  • 量子力学では既に時間という変数の存在しない方程式が成り立っている。空間は量子の相互作用のネットワークによって生まれる。それは時間の中にあるものではなく、間断ない相互作用によってのみ存在する。その相互作用が世界のありとあらゆる出来事の発生であり、時間の最小限の形態なのである。
  • 時間と空間は、時間と空間とは関係のない量子力学の近似なのだ。そこに存在するのは、量子の相互作用と、それによって生まれる出来事だけ。そこは時間のない世界である。

第三部

第三部ではまっさらになった時間の概念を再構築していく。

第九章:時とは無知なり

  • 時間は時間のない世界から生じる。
  • マクロの状態にある特定の変数は、時間のいくつかの性質を備えている。第二章で述べたことでもあるが、マクロな状態、つまりぼやけが時間を決めているのである。ぼやけが生じるのは、世界が夥しい数の粒子からなっており、かつその粒子は量子的な不確定性を持っているからである。
  • 量子は測定する順番が重要で、速度を測ってから位置を測るのと、位置を測ってから速度を測るのでは結果が異なる。これを量子変数の「非可換性」という。量子は相互作用によって具現化し、その結果は相互作用の順序に左右される。この順序が、時間の順序の始まりである。

第十章:視点

  • 過去と未来の違いはエントロピーの違いにある。エントロピーは乱雑さであって不可逆である。エントロピーは減少するとはなく常に増大する。とすると過去はエントロピーが低い状態と言える。なぜ過去はエントロピーが低かったのか。
  • 時間に方向性があるのは、宇宙の仕組みではなく、宇宙と私たちの相互作用の仕組みである。私たちは私たちの世界を内側から見ている。私たちにとって天空は回っているが、それは宇宙が回っているわけではない。私たちが回っているから、天空が回って見えるのだ。時間にも同じことが言える。時間の流れは宇宙にあるのではなく、私たちに見えているものなのだ。

第十一章:特殊性から生じるもの

  • この世界を動かすのはエネルギーではなくエントロピーである。エネルギーは保存されるため、生み出されることもなければ消失することもない。にもかかわらず、私たちは同じエネルギーを使い続けることができず、常に供給し続けなければならない。実は私たちに必要なのは、エネルギーではなく、低いエントロピーを高いエントロピーに変換する過程そのものなのである。エネルギーはその媒介に過ぎない。
  • 宇宙はそれを構成する量子の相互作用によって緩やかにエントロピーを増大させている。生命ですらエントロピーの増大の過程で生まれた。生命は秩序だった構造をしているように見えるかもしれない。しかし、より低いエントロピーを食物から得ているだけで、生命は自己組織化された無秩序なのである。
  • 過去は現在に痕跡を残す。痕跡が残るのは何かが動くのを止めるからである。これは非可逆な過程で、エネルギーが熱に変化するときに起こる。熱が存在しなければ痕跡は残らない。私たちはその痕跡を知覚してその結果に先立つ原因を捉えるようになる。これらは、過去のエントロピーが低いという特殊な事実から生じる結果であり、その特殊さは私たちのぼやけた視点にとって特殊なのである。

第十二章:マドレーヌの香り

  • 第六章では世界の成り立ちは物ではなく出来事だと述べた。では「わたし」という存在はいったい何か? 私たちも有限な出来事なのである。しかし、私たちには自己を統一した存在として認識するアイデンティティがある。このアイデンティティを確立させる重要な要素が記憶である。
  • 記憶はエントロピーの増大によって過去が現在に残した痕跡である。私たちはメロディを聞いたとき、一つの音の意味はその前後の音によって与えられている。現在というその一瞬では、私たちは一つの音しか聞けないのに、メロディの美しさに感動することができる。時間が精神に存在すると考察したのはアウグスティヌスであった。
  • 時間とは私たちヒトと世界との相互作用の結果であり、私たちのアイデンティティの源である。