いまコロナウイルスの被害が広がりつつある一方で、東アフリカではサバクトビバッタが大量発生し蝗害を引き起こしている。
日本では馴染みがない蝗害。日本の場合は地勢、気候、天敵の関係から大規模な蝗害は発生しない。小規模なものは発生していて、限定的な条件でトノサマバッタが蝗害となる例がある。蝗はイナゴと読むが、イナゴは蝗害を引き起こさない。
ここで、蝗という言葉の意味について整理したい。相変異によって群生相となるバッタをワタリバッタ、あるいはトビバッタという(相変異については後述)。蝗(コウ)という漢字はワタリバッタを意味し、これが集団で移動する現象を飛蝗(ヒコウ)、これによる害を蝗害(コウガイ)と呼ぶ。日本では古来から蝗害に馴染みがなかったため、蝗の意味が曖昧になりイナゴの訓読みがあてられた。このため、日本の場合、蝗害とは昆虫による農被害全般を指す場合がある。なおバッタには飛蝗の字があてられている。
サバクトビバッタを始め、イナゴを除いたバッタ類は食用には向かない。相変異によって体が硬く食べても消化不良を起こすことと、農薬によって汚染されているためである。毒素は共食いによってさらに凝縮される。そもそも大量発生するバッタが容易に食べられるのであれば、蝗害による飢饉など歴史上発生しなかったことになる。イナゴを食べる日本人ですらトノサマバッタは食べない。ただし、粉末状にするなど現代の技術を用いて食用を目指す試みもある。
蝗害は古代からある天災のひとつである。人間の神経回路は強固であるほど遺伝して先天的に備わることになるので、人間の遺伝子レベルでバッタに対する忌避があってもおかしくはない。バビロニア神話における悪魔パズズは蝗害を具神化した存在とも考えられている。食べ物の恨みは恐ろしいのである。
イナゴは相変異しないので蝗害を起こさないが、サバクトビバッタやトノサマバッタは相変異するので蝗害を起こす。相変異とは、個体群の密度に応じて形質が変化することである。個体群の密度が低い場合は孤独相をなし、一般的に日本でよく見るトノサマバッタは孤独相の状態のものである。個体群の密度が高くなると、数世代を経て群生相となる。相の変化は世代を越えて引き継がれる。
群生相のバッタには孤独相にはなかった以下の特徴が現れる。
- 攻撃的になり、対象となる食物の範囲が広がる。孤独相では食べなかったものを食べるようになる。
- 翅が大きくなり、飛翔能力が高くなる。より長距離を移動するようになる
- 足が小さくなり、跳躍能力が低くなる。
- 体色が黒くなる
- 卵を産むまでの期間が長くなり、産卵数がすくなくなる
- 寿命が短くなる
- 孤独相ではほかの個体を避けるが、群生相ではほかの個体に近寄るようになり群れを形成する
飛蝗の端緒は、多雨や干ばつなどの環境バランスの変化である。多雨によって豊富にえさが提供された結果、個体群密度が高くなる場合と、干ばつによって少なくなったえさに群がった結果、個体群密度が高くなる場合がある。相変異して群生相となった個体が増えると飛蝗が始まる。移動しながら一帯のえさを食べつくすため、いずれ群れは維持できなくなる。飛蝗が収束して個体数が減ると、個体群の密度が減るので、再び相変異して群生相から孤独相へ戻っていく。
孤独相のバッタと群生相のバッタは見かけが明らかに違うために、長らく別種と考えられてきた。これらが同種の変異であることが発見されたのは二十世紀になってからである。
日本において大規模な蝗害が発生しない理由の一つは天敵の存在である。カマキリやクモなどの肉食性の大型の昆虫・節足動物、カエルなどの両生類、トカゲなどの爬虫類、昆虫を食する哺乳類などがあげられる。昆虫に寄生するエントモフトラ属のカビも天敵である。昆虫の世界は怖い。
飛蝗は、数多の淘汰圧にさらされながら環境に適応してきたバッタたちのメカニズムであると考えれば、バッタという種の存続に有利に働いていることは明確である。昆虫の生態には人間の感覚からしてえげつないものも多いが、この相変異も人間の感覚からしたら共感しづらいものと言えそうである。人間が満員電車を嫌うように、バッタも好きで群れているわけではあるまい。群生相の特徴である体色が黒くなく現象はストレスに対する生理反応だとする説もある。バッタもバッタで種の存続のためには背に腹は変えられないのである。