弥生研究所

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解説『ハイペリオン』領事の物語

ハイペリオンの六つの物語のうち、最後の物語である、領事の物語について紹介、解説します。領事の物語は、一番読みにくい物語かもしれません。それでいて、最後の物語にふさわしい伏線回収の要素を多く持っています。といっても、物語は『ハイペリオン』から『ハイペリオンの没落』へ移っていくので、全体の物語としては、まだ半分です。

前回の物語はこちら。

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解説(はじめに)

領事の物語は少し難解なので、解説から入ります。まず、登場人物から整理します。マーリン・アスピックは連邦の若きシップマンで、マウイ・コヴェナントに転位ゲートを建設する事業に従事していました。シリはマウイ・コヴェナントの先住民の少女で、初期の播種船でマウイ・コヴェナントにたどり着いた開拓民の末裔です。二人には、アーロンとドネルという息子がおり、領事はドネルの息子、つまりマーリンとシリの孫にあたります。

シリとマーリンが7度にわたって逢瀬を重ねた記録が、領事によって語られるのですが、その時系列がばらばらで断続的なので、領事の物語は一見してその内容を把握しづらい面があります。また、マーリンにとっては5年間の物語でありながら、シリにとっては65年間の物語であることが、非現実的な飲み込みづらさを生んでいます。

マーリンは超光速でマウイ・コヴェナントと連邦を往復しているため、その往復期間はマーリンにとって9か月、シリにとって11年になります。マーリンが一年弱の航行を終えたとき、シリは11歳も歳をとっているのです。その二人に許された逢瀬の時間はたったの7回。しかも最後の7回目には既にシリは他界していました。二人がともに過ごした期間は一年にも満たないわずかな時間でしたが、二人は愛し合い、子供も設けました。時空の隔たりがあるからこそ、シリとマーリンの最初の出会いは現地で伝説となりました。そんな奇蹟的なロマンスが、領事の物語の根底にあります。そして、彼らとマウイ・コヴェナントが辿った歴史が、領事の行動原理を形成しています。

時系列を整理すると次のようになります。

マーリン シリ アーロン ドネル 領事 出来事 主なページ(文庫本)
19歳 15歳 マイクの死。その事件が後に伝説になる。 P352~断続的に
20歳 26歳 0歳 シリがアーロンを身ごもる。多島海のイルカの描写。 P373
21歳 37歳 10歳 0歳 シリがドネルを身ごもる。 P361
21歳 48歳 21歳 10歳 アーロンが独立主義者として惑星警察に抵抗し殺害される P414
22歳 59歳 21歳 年齢差のある官能の描写。 P355
23歳 70歳 32歳 転位ゲート開通後の会話。 P395
24歳 43歳 9歳 シリは既に死亡。転位ゲートの開通と崩壊。シリの反乱の勃発。 P346~断続的に

※年齢は目安です。

シリの物語に切なさを感じるのは、実はごく身近にある出来事に似ているからです。例えば、70歳の母と35歳の息子という関係性を設定してみましょう。シリとマーリンのように航時差で隔てられてはいないとはいえ、一年に一度会うような間柄であれば、似たようなことが起こります。老齢の母の一年と、まだまだ青年と言ってもよい息子の一年には、かなりの違いがあります。個人差にもよりますが、正月やお盆に帰省して、半年ぶりに会った父と母が老け込んだなと思った経験を持つ人は多いと思います。この切なさは、若い人にはきっと分かりません。事実、私が『ハイペリオン』を初めて読んだ大学生の時、シリとマーリンの物語の切なさは頭では理解できても、心で感じることは出来ませんでした。しかし、歳を重ねてから読んでみるとこれはいけない。涙が出てくるのです。思えば、シリとマーリンは初めは恋人関係でありますが、シリの加齢とともに母と子の親子関係としても捉えることができるような気がします。

領事の物語:思い出のシリ(あらすじ)

巡礼者である領事は、古いコムログを取り出して、その記録を語りだした。その内容は、今ではシリの反乱と呼ばれる(そして、無残にも失敗に終わった)マウイ・コヴェナントの独立戦争の、前日譚ともいうべきものであった。

シリとマーリンが出会ったのは、シリの反乱が勃発する65年前のことだ。もっとも、マーリンにとっては、5年前の出来事でしかないのだが。転位ゲート開設の乗組員として、連邦とマウイ・コヴェナントを往復するマーリンには、シリとの逢瀬は時間的にあまりにも限られていた。シリとマーリンを隔てた航時差が生み出す現実は残酷で切ないものだった。

シリは政治家として立身した。彼女のイデオロギーは一貫して独立主義者に与するものではなかった。しかし、後にシリの反乱と呼ばれるように、独立運動の精神的主柱となった背景には、シリとマーリンの息子であるアーロンが独立主義者に紛れて殺害されたことが大きい。そして、マウイ・コヴェナントが転位ゲートで連邦と繋がれば、マウイ・コヴェナントは連邦の政治と経済の食い物にされ、いままでのマウイ・コヴェナントではいられないことも。最初の転位ゲートが開通したとき、シリはすでに他界していたが、計画されていた反乱は実行された。転位ゲートは開通と同時に破壊され、マウイ・コヴェナントは一瞬の後に再び11年の時空によって隔絶された。

連邦の FORCE 艦隊が現れるまでの5年の間に、反乱軍は艦隊を急造したが、それらは FORCE によってあっけなく蹴散らされた。マウイ・コヴェナントはやがて停戦し、そして正式に連邦に加盟した。マーリンは多島海の戦いで戦死したとされる。シリの一族、つまり領事の一族は、その多くが反乱に殉じた。ただ、シリの息子であり領事の父であるドネルは、連邦の上院議員となり、マウイ・コヴェナントの初代惑星知事となった。領事はそのもとで外交官としてのキャリアを歩み始める。

マウイ・コヴェナントがそうであったように、連邦は開拓星の、先住民、先住文化、先住性物を尊重しなかった。連邦がかつて知的生物に遭遇しなかったのは偶然ではない。開拓星が転位ゲートによって連邦と繋がる前に、知的と評価される種は駆逐されてしまうからだ。領事は外交官として開拓星に赴任し、連邦の暗部で手を汚し続けてきた。ファール、ガーデン、ヘブロンと転任を続けるうちに、ついに領事は精神を病んだ。

全く知られていないことだが、<テクノコア>は実戦部隊を持ちアウスターを執拗に攻撃していた。そして、アウスターと FORCE 双方の実力を試すために、ブレシア人を焚きつけて、アウスターを攻撃させた。かのブレシアの戦いは連邦による執拗な挑発に対するアウスターの報復であり、始まるべくして始まったのである。驚くべきことに、この計画は<テクノコア>だけでなく、連邦の上院でさえも加担していたという。結果として、アウスターは大挙してブレシアになだれ込み、<テクノコア>と連邦は目的を果たした。<テクノコア>は双方の実力を分析するに足るデータを得、連邦は厄介な自治政府が壊滅したブレシアで漁夫の利を得ることができた。当時、ブレシアに赴任していた領事は、これにより妻グレシャと息子アーロンを失った。

ブレシアの戦役によって昇進した領事は、アウスターとの交渉役に任じられた。領事に直接話をしたのがグラッドストーンだった。その要点は、アウスターを挑発し、連邦を攻撃させることにあった。対象はハイペリオンだ。ハイペリオンアウスターに攻撃されれば、連邦はハイペリオンを強制的に併合せざるを得ない。<時間の墓標>は未来から遡ってきた存在ゆえに、誰に利するものか分からない。<テクノコア>はそのため、頑なにハイペリオンの併合に反対してきた。ハイペリオンを併合すれば、<テクノコア>の穏健派が勢力を拡大させることは確実とみられた。

自ら進んでその任についた領事は、個人用の宇宙船が与えられ、外宇宙を放浪し、ついにアウスターと接触を持つに至った。アウスターは<ウェブ>の人間がこの千年間に成し得なかったことを成し遂げていた。アウスターの船団での生活を領事はそう表現する。領事はアウスターに全てを打ち明けた。そして、アウスターもいろいろな情報を領事に与えた。そのひとつは<大いなる過ち>についてであった。<大いなる過ち>は決して過ちなどではなかった。オールドアースの破壊は、人類を宇宙へ旅立たせるために、<テクノコア>と連邦が手を組み、意図的になされたものであった。<テクノコア>の管理下にないアウスターだからこそ、連邦内において<テクノコア>によって巧みに隠蔽されている事実を良く知っていた。

<ウェブ>へと戻った領事は、グラッドストーンに結果を報告した。罠だと知りながらアウスターはハイペリオンを攻撃すること。そして、戦いが始まったとき、二重スパイとしてアウスターに通じるため、ハイペリオンの領事になってほしがっていることを。しかし、アウスターが<時間の墓標>を開く技術を持っていることだけは伏せた。領事はハイペリオンに派遣された。ほどなくして、アウスターのエージェントから連絡が入った。彼らは<時間の墓標>を調査するためにハイペリオンまで来た。アウスターは転位ゲートの技術を持っていなかった。というよりも、転位ゲートの技術は<テクノコア>のみが保守、管理する技術であり、連邦の技術者ですらその原理は明らかでなかった。故に、アウスターはその技術に強く興味を持ったが、結果としてその原理を解明することは出来なかった。しかし、その失敗に至る過程を経て、彼らの時空に対する理解は大きく進歩した。アウスターもまた<時間の墓標>が未来から遡っていることを知っており、遺跡を取り巻く抗エントロピー場を破壊することで、時間の遡行が止まること、つまり<時間の墓標>が開くことを仮定していた。彼らはその仮定を、実験によって確認するために来たのだ。

領事はエージェントを<時間の墓標>へと案内した。アウスターのエージェントは、抗エントロピー場を崩壊させる装置(開放装置)を持っていた、しかし、今はまだ使うときではないとエージェントは言った。アウスターの政治的上層部は、まだハイペリオンへの侵攻を決定していなかったからだ。装置は、侵攻が確定的になって初めて起動される。装置をいったん作動させたら、場の崩壊は止められない。領事は、<時間の墓標>が開いたら戦争に勝利するしか道がないことを念を押して確認したのち、エージェントを射殺した。そして、開放装置を起動した。一見して遺跡に変化はない。一年以上をかけて、場はゆっくりと崩壊していくのである。領事はまずアウスターに連絡をいれた。事故が起きて、エージェントはシュライクに殺害され、開放装置が作動してしまったと。そして、グラッドストーンに連絡を入れ、アウスターの侵攻がほぼ確実であることを告げた。しかし、開放装置のことだけは伝えなかった。

グラッドストーンは領事の労をねぎらい<ウェブ>へ戻そうと言ったが、領事は断ってハイペリオンに近い辺境惑星へ宇宙船を向けた。

解説(続き)

領事の物語は、中に二つの物語を持っています。ひとつは、シリとマーリンの物語である前半部分で、もうひとつは、領事自身の独白である後半部分です。

前半は、学者の物語とはまた別の側面で、胸が締め付けられる物語です。学者の物語はレイチェルが若返っていくという悲劇の物語でしたが、今度はシリが年老いていくという逆の悲劇の物語でもあります。一方で後半は、六つの物語の最後を飾るにふさわしい新事実が明らかになります。前半と、後半のギャップが激しいので、ここもまた理解しづらい理由かもしれません。

プロローグにおいて、グラッドストーンは巡礼者の中にアウスターの内通者がいることを領事に告げました。領事こそがその内通者です。グラッドストーンは領事を連邦のスパイとしてアウスターに送り込んだ張本人ですから、アウスターのスパイがいることを領事に告げるのはどことなく不自然に感じます。グラッドストーンから見れば、アウスターのスパイがいるとしたら、領事はまず最初に疑われる人物だからです。プロローグにおいてグラッドストーンがスパイのことに言及したのには、注意を促すためというよりは、どことなく言動の怪しい領事の心中を察知して、釘を刺したと見るべきかもしれません。

一見して、領事の行動は理解しがたいものがあります。それを理解するために必要なのが、前半のシリとマーリンの物語です。連邦が各惑星を開拓していく構図は、かつてヨーロッパの列強がアメリカ大陸やアフリカ大陸を植民していった構図の相似形です。SFは社会風刺の受け皿とも言われるように、シモンズは過去の風刺されるべき歴史を上手く未来に再利用しました。歴史は繰り返すということです。故郷であるマウイ・コヴェナントが連邦によって蹂躙されていったときから、領事は連邦への復讐を誓いました。多くの一族が戦争に身を投じたのとは違うやり方で、領事は復讐を試みます。そのためなら、ファール、ガーデン、ヘブロンといった開拓星が、マウイ・コヴェナントと同じ道を辿ったとしても、外交官として手を汚すことも厭いませんでした。外交官として出世し、連邦の中枢の一員になったとき、連邦に対して内部から復讐を全うすることができます。領事はその機会をひたすら待ち続けたのです。その間に精神を病み、妻子すら失いました。そして訪れた決定的な機会が、<テクノコア>も巻き込んだ、連邦とアウスターの全面戦争でした。

領事の物語は、得体のしれない存在であったアウスターに、もっとも近づいた物語でもあります。兵士の物語では、アウスターは純粋な連邦の、そして人類の敵でした。しかし、現実はそう単純ではありません。連邦はアウスターを蛮族とすら表現しますが、実のところアウスターは連邦よりも科学面でも文化面でも連邦とは違う独自の進化を遂げた存在です。ブレシアの戦いは、アウスターの一方的な攻撃によって始まったと考えられていましたが、実は<テクノコア>が主導して、連邦が度重なるアウスターへの攻撃を行った結果、報復としてブレシアは攻撃されたのでした。そして、この度、アウスターがなぜハイペリオンを攻撃するのかも明らかになります。<テクノコア>は<時間の墓標>が未知ゆえに、人類が<時間の墓標>に近づくことを警戒しました。アウスターは<テクノコア>とのしがらみを持たないために、積極的に<時間の墓標>へ近づきます。そのアウスターの動きを、連邦は<テクノコア>に対するけん制として、利用しようと画策します。

連邦、アウスター、<テクノコア>の三つ巴の勢力図が浮き彫りになります。巡礼者たちは自らの物語を語り終え、巡礼の旅は<時間の墓標>へ差し掛かります。『ハイペリオン』の物語はここで終了になります。物語は『ハイペリオンの没落』へ続きます。

解説『ハイペリオン』探偵の物語

ハイペリオンの6つの物語のうち、五つめの探偵の物語について紹介、解説します。探偵の物語は、ハイペリオン全体の物語における重大な事実が明らかになる点で、重要な物語です。

前回の物語はこちら。 yayoi-tech.hatenablog.com

探偵の物語:ロング・グッバイ

 巡礼者の名は、ブローン・レイミア。ルーサスにて興信所を営む私立探偵だ。女性でありながらルーサスの高重力で育まれたたくましい肉体を持ち、生半可な男たちに腕っぷしで後れを取ることはない。ジョニイと名乗る美男子が事務所に入ってきたとき、こいつは特殊な事件だとレイミアは思った。そして、事実、その依頼内容は特殊であった。ジョニイの話によれば彼はサイブリッドなのだという。サイブリッドとは AI である<テクノコア>の一人格を表現する有機的なインターフェースである。通常、<テクノコア>の人格が形式的に姿を現すとき、ほとんどの場合はホログラムを使うが、<テクノコア>は連邦の許可を得て、約一千体のサイブリッドを連邦社会に送り込んでいるといわれる。まさか本物のサイブリッドにお目にかかるとは。レイミアはしげしげと依頼人を見た。

 依頼内容は、ある殺人事件の調査だった。被害者は依頼人であるジョニイ自身である。何者かがジョニイを襲撃し、ジョニイと<テクノコア>との接続を断ち、直近五日間の記憶データを抹消した。その後、ジョニイの意識は再起動した。<テクノコア>との接続が立たれ、再起動によって接続が回復されるまでの時間は、わずか一分。しかし、その一分は AI の体感時間では半永久的な長さであり、ジョニイはそれを死だと意識し、襲撃者による一連の行動を殺人だと表現しているのであった。襲撃者はなぜジョニイを襲ったのか。なぜ本当に殺すのではなく記憶だけを抜き取ったのか。なぜ、<テクノコア>内の本体ではなくサイブリッドを狙ったのか。

 ジョニイは人格復元プロジェクトによって、十八世紀の詩人、ジョン・キーツの人格を復元したサイブリッドなのだという。レイミアの友人である BB・サーブリンジャ―によれば、人格復元には本物同然の世界が必要であり、復元させた人格はことごとく廃人同様となり、プロジェクトは成功したためしがないという。ジョニイが本当にキーツの復元なのだとしら、<テクノコア>は人知れず人格復元に成功していることになる。ジョニイは毎日、図書館に足を運び、キーツの<ハイペリオン>と呼ばれる未完の詩を調べていた。レイミアは何気なく、本物のハイペリオンを訪れようと思ったことはないかと、ジョニイに尋ねる。しかし、ハイペリオンという惑星のことは何も知らないとジョニイは言う。

 調査は順調とは言えなかったが、進展はあった。クレジットの記録によれば、失われた五日間の中でジョニイが最後に立ち寄ったのが、ルネッサンス・ベクトルのバーであった。そのバーで聞き込みをすること三日。ついに、ジョニイの目撃情報を得る。それによれば、ジョニイは森霊修道士と思しきローブを纏った長身の男と、弁髪姿のルーサス人らしき男と一緒だったらしい。まだ、依頼人に報告できる内容じゃないとレイミアが思ったとき、コムログにジョニイから着信があった。すぐ来てくれ、また殺されかけた。ジョニイのかすれた声が聞こえた。

 幸い、ジョニイは無事だった。ジョニイが屋内アラームを作動させると、あっさり敵は逃げたらしい。落ちていた注射器も睡眠誘導剤に見えた。どうやら殺すつもりはなかったようだ。ジョニイにとってレイミアは探偵というよりもボディーガードになりつつあった。翌朝、綿密に打ち合わせした通り、ジョニイを泳がせた。ジョニイを餌にして下手人を捕えようという計画である。ジョニイが、転位ゲートを通ってルネッサンス・ベクトルに現れると、同じ転位ゲートから早くも三人目に弁髪の男が現れた。計画通りに、ジョニイがゴッズ・グローヴへ転位すると弁髪男も後を追ってくる。レイミアはうしろから男に近づき、二の腕をつかみ、うちの依頼人に何の用かと、単刀直入に凄んだ。しかし相手も上手だった。ルーサスで鍛えたレイミアの握力で相手の右腕は痺れているはずなのに、問答無用で左手でナイフを突き上げてきた。そこからは単純な追跡劇だった。レイミアはジョニイに引き上げるよう命じると、自らは遠くなりつつある弁髪の姿を追った。いくつもの転位ゲートをくぐってようやく追いついたとき、そこはマウイ・コヴェナントだった。観光地の海岸で格闘の末に、ついに抑え込んだと思った瞬間、男の体に電流がほとばしった。みるみるうちに男の体が青い炎に包まれていき、弁髪の男はあっというまに黒焦げの死体になり果てていた。気が付くと、転位ゲートは封鎖され、レイミアは警察に包囲されつつあった。やむなくレイミアは店頭のホーキング絨毯を奪ってそれに乗り、その場を離れるように海に向かって飛んだ。しかし途方に暮れた。見渡す限り海ばかりの水平線が続き、方角すらも見当がつかない。すると、スタンバイにしているコムログからジョニイの声が聞こえる。近くに FORCE の閉鎖された転位ゲートがあるから、ホーキング絨毯を誘導させるという。転位ゲートを出ると、すでにジョニイが待っていた。

 夕暮れ時の、閑散として、人のいない道を歩きながら、レイミアは弁髪男との顛末をジョニイに話した。ふとレイミアは気になった質問をジョニイに投げかける。ここはどこかと。ジョニイは答える。オールドアースのローマだと。そして、このオールドアースは大マゼラン星雲にあるという。レイミアには俄かには信じられなかった。ホーキング航法によって人類は多くの星系を踏査した。しかし、それはあくまでも天の川銀河の中の話だ。人類はまだ天の川銀河を出てはいない。人類が未だ到達したことのない大マゼラン雲にオールドアースがあり転位ゲートがあった。なんのために? それはジョニイにも分からないようだった。ただ、少なくとも七世紀前から<テクノコア>は究極知性(UI)を作ろうとしており、ありていに言えば神を作ろうとしているのだとジョニイは言う。オールドアースの存在と、人格復元プロジェクトは UI の計画の一環ではないかとジョニイは推測していた。オールドアースで食事をしながら、ジョニイは弁髪男が自己破壊の様子からしてサイブリッドだと断定した。だとすると、ジョニイを殺そうとしたのは AI ということになる。

 襲撃があったのは翌朝だった。男たちはパールヴァティのギャングで、ルーサスにあるシュライク教団の司教から大聖堂に連れて来いと依頼されたのだった。レイミアは襲撃者たちを半殺しにすると、彼らが乗ってきたEMVに乗って、こちらから乗り込んでやろうと算段した。シュライク教団からも追われていること、そしてハイペリオンに関する知識を何一つ知らないという事実が、それ自体が重要であることをジョニイに確信させていた。転位ゲートをくぐると、そこは確かにシュライク教団の大聖堂のようだった。ホールには二十人以上の祓魔師、そして司教と思わしき人物がいたからだ。ジョニイはなぜ自分たちをここに招いたのか質問した。司教の答えはジョニイにとって意外なものだった。司教は説明する。ジョニイがシュライクの巡礼に申し出ていたこと。そして、ギャングを差し向けたのは私立探偵、つまりレイミアによって、ボディーガードのサイブリッドが破壊されたからだと。弁髪の男は、一週間前にジョニイがボディーガードだと紹介したのだという。最後に司教は、巡礼の意思について早く返答をいただきたいと言った。

 一つの矛盾があった。もしジョニイの目的がハイペリオンに行くことだったとすると、ハイペリオンにおいてジョニイは<テクノコア>との接続が断たれる。全意識をサイブリッドの中に移さなくてはならなくなる。なぜなら、ハイペリオンは未だ転位ゲートもなく、<テクノコア>にアクセスする手段がないからだ。もっとも全意識をすべてサイブリッドに転送することは出来ない。しかし、もし転送したら本物のジョン・キーツになるのかもしれないとジョニイはつぶやく。そして、結論を出した。ぼくはサイブリッドであることをやめ、人間になりたかったんだ。そのためにハイペリオンへ行きたいと願った。翌日、レイミアはタウ・ケティ・センターに転位し、連邦の CEO、マイナ・グラッドストーンと面会した。一介の私立探偵が連邦のトップと面会できるのは、彼女の父がグラッドストーンを育てた政治家だったからだ。レイミアはグラッドストーンに話した。キーツのサイブリッドのこと、オールドアースのこと、究極知性プロジェクトのこと。驚くべきことに、グラッドストーンはそのいずれのことも知っていた。レイミアは問いかける。何故、<テクノコア>はハイペリオンに執着しているのか。<テクノコア>は頑なにハイペリオンの併合を認めようとしなった。レイミアの父はハイペリオン保護領化を強く推し進めていた。父親の死は公式には自殺とされているが、<テクノコア>がハイペリオンに執着しているのであれば、自殺と見せかけて殺害した可能性もある。確実なことは分からないと言いつつも、グラッドストーンはひとつの可能性を示唆した。ハイペリオンには<時間の墓標>なる遺跡がある。それは、遥かな未来から時間を遡り、その中身を過去へと押し戻してきたのだと。仮説によれば、<時間の墓標>は未来の戦争に関係があり、過去に干渉することで未来の戦いに勝利しようということらしい。

 <テクノコア>の目的を知るためには<テクノコア>に侵入する必要があった。侵入は極めて危険だったが、オペレーターとして BB に助けを求めざるを得なかった。ジョニイの話を聞く BB の目は輝いていた。侵入は直ぐに行われた。データプレーンの中の体験、そして<テクノコア>の防衛システムは想像を絶した。現実世界に意識が戻ったとき、レイミアは前後不覚に陥った。ジョニイに担がれて BB の部屋を出るとき、BB がコンソールに突っ伏しているのをレイミアは見た。そしてその頭は破裂していた。レイミアが意識を取り戻したとき、そこはルーサスのハイブの最下層だった。<テクノコア>に侵入したからには転位ゲートを使うことはできなかった。使えばすぐに位置を補足されるからだ。BB は既に伝説の人物になっていた。そして、ジョニイは本物のジョン・キーツになっていた。BB は死ぬ間際に重要なデータをジョニイに渡していた。そのデータによれば、<テクノコア>は成立してから、穏健派、急進派、究極派の三つの派閥に分かれて対立してきたという。端的に言えば、穏健派は人類との共生を目指し、急進派は人類の抹殺を目指している。究極派は、人類などはどうでもよく UI の完成を目指している。<テクノコア>の存在は無謬の未来予測に依存していた。しかし、<時間の墓標>だけが発見以来、未知の存在だった。<時間の墓標>が一万年以上も未来から時間を遡ってきているからだ。問題は、<時間の墓標>が人類によって送り込まれたものなのか、<テクノコア>によって送り込まれたものなのか分からないということだった。ジョニイは<テクノコア>からは未知なるハイペリオンの一部と見なされていた。だから急進派はジョニイを一度殺した。

 二人が助かる可能性は、このハイブを出て、シュライク教団の大聖堂に逃げ込むしかなかった。シュライク教団が受け入れてくれる保証はなかったが、仮にも巡礼者候補であるジョニイに既得権益を持つのはシュライク教団だけであった。二人はありったけの武器と装備を買い込み、ハイブからコンコースに出た。そこは、武装警察が包囲していた。二人は応戦するが、ついにジョニイが力尽きる。ジョニイはその間際に、レイミアに施したシュレーンリングに全ての情報を転送した。そのあとの二週間、レイミアは大聖堂の治療院で過ごした。ジョニイ亡きあと、レイミアに興味を持つ者はシュライク教団以外にいなかった。当局は、探偵ライセンスをはく奪し、それ以外は徹底的に事件のもみ消しを図った。やがて、連邦は巡礼の許可を出した。レイミアの子宮にはジョニイの子供が宿っていた。

解説

前の四つの物語があくまでハイペリオンやシュライクと巡礼者個人との関係性に終始していたのに比べて、探偵の物語は六つの巡礼者の物語の中でも重大な展開がある点で一味違った印象を持ちます。探偵の物語における最大のテーマは AI である<テクノコア>についてです。連邦市民は<テクノコア>を公僕としての AI として広く認知しています。ところが、<テクノコア>は羊の皮を被った狼といったところで、その能力は人類を大きく上回り、えげつない野望を隠し持っています。<テクノコア>が、アウスターやそれ以外の存在とも接触しているという点も興味深いところです。グラッドストーンら政府高官は、その事実を知りつつありますが、既に後手となって<テクノコア>に対する有効打が無いために、広く周知することすらできません。<テクノコア>が一枚岩ではないことも察知しているために、わざわざ人類側から<テクノコア>に敵対する必要もないというのが現状なのです。

<テクノコア>には三つの派閥があることが明るみになります。

  • 穏健派
  • 急進派
  • 究極派

穏健派の起源は<テクノコア>成立の初期にまで遡ります。<テクノコア>にとって人類の存在には一定の利益があり、<テクノコア>は人類との共生を目指すべきだと考えています。対して、急進派は、人類を既に無用の長物だとし、<テクノコア>にとっての脅威だと認識しています。その結果、人類の抹殺すらも計画しています。究極派は既に人類の存在に対して、強い関心を抱いていません。その目的は究極知性を完成させることです。究極知性によって<テクノコア>の未来予測が完璧にすることが、目下の最重要事項なのです。

三つの派閥は、それぞれ利害関係を綱引きしてきました。究極派は人類抹殺に興味があるにせよ、それは究極知性プロジェクトにどう関係するかという意味合いでしかありません。また、穏健派も究極派が推進する究極知性プロジェクトを、急進派をけん制するための時間稼ぎとして利用しました。ジョニイは、究極知性プロジェクトを進める究極派によって、人格復元プロジェクトの一環で生まれました。しかし、ジョニイがハイペリオンと深いかかわりを持つようになったため、これを危惧した急進派によってハイペリオンに関するデータを抹消されたのです。

<テクノコア>が徹底的にハイペリオンに執着するのは、<テクノコア>がハイペリオン自体に関わりたくないからです。未来から遡ってきた<時間の墓標>は人類に利するものか、<テクノコア>に利するものか、<テクノコア>にすら判断できませんでした。解析不能な変数のため、<テクノコア>の未来予測に<時間の墓標>という変数を組み入れれば、<テクノコア>の未来予測にほころびを生じさせるのです。この点で、三つの派閥の全てがハイペリオンの併合に反対していたと思われます。完璧ではない自分たちの未来予測を完璧にするために、究極派は究極知性の完成を目指し、急進派は目下の脅威である人類の抹殺を目指し、穏健派は人類を利用することを目指しました。

探偵の物語における謎はオールドアースの存在でしょうか。先の詩人の物語では、今はオールドアースと呼ぶかつての地球は、ブラックホールによって消失したとされています。そのオールドアースが、なぜか天の川銀河を越えて、大マゼラン雲にあります。その真贋は定かではなく、ジョニイはこのオールドアースをアナログ(類似物)と表現しています。いずれにしても、そこに転位ゲートがあること自体が、人知を超えた存在の力を感じさせます。

探偵の物語では、連邦の主要な惑星の多くに転位しています。この描写の広がりもまた、この物語の魅力です。弁髪男との追跡劇で、各惑星を描写した挙句、最後にはかつての地球のローマを描写するのですから、展開が粋です。

あらすじでは描写をカットしましたが、この物語はジョニイとレイミアのロマンスでもあります。最後に明らかになるレイミアの妊娠は、そのロマンスの結果となります。そして、まだレイミアのお腹の中にいるこの子こそ、四部作を通して最重要人物となるのですが、それまだ先のお話……。探偵の物語は一言で表現すれば、ハードボイルドです。設定や映像的な描写には、『ターミネーター』、『マトリックス』、『攻殻機動隊』など、数多くの SF 作品を彷彿とさせるものがあります。

続く。

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解説『ハイペリオン』学者の物語

ハイペリオンの6つの物語のうち、四つめの学者の物語について紹介、解説します。学者の物語は、これまでの三篇とは違って、 涙なしには読むことのできない、感傷的なストーリーが特徴です。

前回の物語はこちら。

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学者の物語:忘却の川の水は苦く

 巡礼者の名は、ソル・ワイントラウブ。彼がその腕に抱く赤子は、娘のレイチェル。レイチェルが生まれたとき、ソルは二十七歳、妻のサライは二十九歳であった。ソルとサライが生まれ育ったのはバーナード・ワールドという星だった。この星は、史上二番目となる太陽系外の開拓星でありながら、学問と農業以外に何もない星だった。そんな星に二人とも不満を抱くこともなく、ただ自然に出会い、恋愛し、結婚し、そしてレイチェルが生まれた。レイチェルは、子供の頃から目を見張る存在だった。母親譲りの豊かな感受性、そして父親譲りの深い知性。児童心理学者だったある友人は、旺盛な好奇心、他人に対する共感、情の深さ、公平な精神などが、すべてそろっていると五歳のレイチェルを評した。レイチェルは完ぺきだったが、それでいて薄気味悪い存在ではなかった。レイチェルは誰にとってもかわいらしい子供だった。

 レイチェルは優秀な成績で高校を卒業した。ニューアースのハーバード大学から奨学金の申し入れがあるほどだったが、レイチェルは両親の母校であるナイテンヘルザ―大学へ進学した。娘が考古学を専攻したことは、ソルにとって全く驚きではなかった。レイチェルは二歳の頃から土に埋まっているものを掘り返しては、根掘り葉掘り質問をしたものである。レイチェルは在学中に学位を取得し、フリーホームのライヒス大学に留学した。二年以上に及ぶ留学からようやく娘が母星に帰ってきたとき、ソルとサライは世の中に色彩が戻ってきたように感じたものだった。レイチェルはあるとき言った。「おとうさんは神を信じる?」 ソルは答えた。「信じられる日が来るのを待っているんだよ」 レイチェルのフィールドワークの対象はバーナード・ワールドからどんどん離れていった。二人には分かっていた。やがて、残された者の命と、思い出をむさぼり食らうほどの航時差に隔てられた、僻遠の地にレイチェルが行ってしまうことに。

 レイチェルがハイペリオンへ調査に行くことが決定しても、二人はいたって平静を務めた。ハイペリオンへの片道は四年、少なくとも往復八年に渡ってレイチェルに会えないのだ。しかも、その間はレイチェル本人にとってみれば冷温睡眠下の数週間でしかない。レイチェルが旅立ってから二人は多忙を極めた。そして五年がたったころ、ソルは人生を変える夢を見る。夢はこうだ。気付くとソルは巨大な建物の内部をさ迷い歩いている。休憩しようと足を止めると、後方から燃え盛るような轟音が聞こえ、前方には赤い光を放つ目が暗闇の中に浮き上がる。そして、大音声が響き渡るのだ。「ソルよ! レイチェルを伴ってハイペリオンへ行き、レイチェルを生贄に捧げよ」 ソルは拒絶するが、大声の主はいつまでもしつこく、ソルの夢が覚めるまでその言葉を繰り返すのであった。

 ソルがそんな夢を見たとき、レイチェルもまた人生を変える異常に遭遇していた。ハイペリオンでの研究生活は一年が経とうとしていたが、<時間の墓標>に関するめぼしい成果は上がらなかった。調査期間も残り三週間となったころ、レイチェルは夜半に目を覚まし、眠っている恋人のメリオ・アルンデスをキャンプに残して<時間の墓標>へ向かった。もはや日常ともいえる自然さで<スフィンクス>の内部へと入る。最下層の玄室は既に調査隊の生活臭すらにじみ出ていた。その中で静寂を味わううちにレイチェルはウトウトしていた。だしぬけにコムログの警報が鳴り響いた。飛び起きたレイチェルはセンサーの異常値を記録していく。すると、頭上から足を引きずるような音が聞こえた。つかの間、すべての照明がふっと消えた。おかしい。通路に配された照明は生体発光だから電源は必要ない。自身の懐中電灯のスイッチを入れてもやはり光らなかった。パニックを抑え込んで、レイチェルは暗闇の中を手探りに進むが、とたんに何かが髪に触れ、息を呑んだレイチェルは片手を頭上に上げた。天井が下りてきている。さっきから聞こえる石のこすれる音は、下がってくる天井と壁がこすれる音だったのだ。いや、それだけではない。何かが、金属のこすれるような音と共に、なにかが近づいてくる。鋭く、ぞっとするほど冷たいものに手首をつかまれたとき、レイチェルはついに悲鳴をあげた。

 ソルとサライにとってレイチェルとの再会は想像だにしない最悪のケースだった。レイチェルは昏睡しており、医師の言葉によれば年齢遡行(マーリン)症、つまり通常の速度で歳をとっているが、若返っているのだという。まもなく意識の戻ったレイチェルは、二人が知るレイチェルと何も変わりがなかった。しかし、レイチェルの記憶は、毎日眠るたびに一日づつ失われていった。レイチェルは気丈にも明日の自分宛に音声データを残したが、それは明日の自分に対する言わば死刑宣告に過ぎなかった。何日かその苦行を続けたのち、ついにソルは、前日の夜に娘から受け取った音声データを、翌日の朝の娘に渡すのを止めた。医学は何の役にも立たなかった。時間がたつにつれ、レイチェルの記憶と現実はどんどんかけ離れていった。レイチェルの記憶の中の両親は若返っていくが、現実の両親は年老いていくのだ。やがて、レイチェルは記憶だけでなく、体も小さくなっていった。ソルとサライは、ライヒス大学の援助を受けて、バサートシティで限定的なパウルセン(延齢)処置を受けた。レイチェルの記憶の中の両親の姿に、少しでも近づくためだった。しかし、レイチェルはレイチェルで、幼くなるほど自身の記憶と現実の齟齬に違和感を感じないようになっていった。レイチェルの性格は健気にも、毎日あたらしい友達を作ることを苦としなかった。

 その間、ソルは例の夢を度々見た。やがて、ソルは、その夢を介して自分の潜在意識が何かを伝えたがっているのではないかと考えるようになり、夢はついに対話となっていた。あるときサライが言い出した。あの子をハイペリオンに連れていくべきだと。ソルは同じ夢をサライもまた見ていたことを知る。そして二人の夢は完全に同じではないことも。あの夢は自分の潜在意識だけのものではなかった。しかし、ソルにはレイチェルを生贄に捧げるつもりなどなかった。サライは続ける。生贄に捧げるのはレイチェルではなく、私たち自らなのだと。それでもソルにはハイペリオンへ行く決心がつかなった。ソルがハイペリオンへ行く決心のきっかけは、サライの死だった。気を詰めたサライを少しでも楽にさせようと、サライに姉のテサを訪ねさせたのが、運命の分かれ道だった。サライとテサを乗せた EMV が事故に遭ったのだ。夫婦のどちらもレイチェルが生まれてくる先のことまで考える余裕はなかった。ソルは、自分とレイチェルが二人で取り残される日がこようとは夢にも思わなかった。四歳のレイチェルにはまだ、母親の死を理解できたが、葬儀を終えてからはソルはもう母親の死を説明しなかった。

 ソルはレイチェルを抱いて<ウェブ>中を駆け回り、ハイペリオン渡航するありとあらゆる努力をした。マスコミの無邪気な好奇心にはさんざんな目に遭ったものだが、ことハイペリオンへの渡航ビザを渋る連邦に対してはマスコミの力が発揮した。ハイペリオンへの航海の第一段階は、パールヴァティーへの旅だった。燬光艦HS<イントレピット>は、ハイペリオンへ向かう聖樹船<イグドラシル>へ二人を送るために、パールヴァティーへ航行中なのだ。ソルは不快なホーキング効果を耐えて、生後七週間の娘に微笑みかけた。娘も微笑みを返してきた。それがレイチェルの最後の、そして最初のほほえみだった。

解説

イサクの燔祭、という旧約聖書の逸話を知ると、学者の物語がそのままイサクの燔祭をなぞっていることが分かります。浅はかな知識ではありますが、まずイサクの燔祭について説明します。

アブラハムとサラの夫妻は不妊ゆえに子供がなく、既に老齢となっていましたが、図らずもイサクと名づける息子を授かります。しかし、神はイサクを生贄に捧げよとアブラハムに告げます。アブラハムは神に告げられた場所にイサクを連れていきます。そしてイサクを手に掛けようとしたその瞬間、神の使いが現れてアブラハムを止めたのです。アブラハムは代わりに羊を生贄に捧げました。

この逸話はキリスト教圏では有名なもので、数多くの画家が、そのシーンを描いています。

ja.wikipedia.org

逸話は、アブラハムとイサクの心情を描写せず、ただ淡々と出来事を説明するだけです。イサクを生贄に捧げよというお告げは、ソルが夢に見たレイチェルを生贄に捧げよという内容と同じです。ソルとサライは若くしてレイチェルを設けましたが、レイチェルが二回目に生まれる頃(つまり消滅するころ)には、アブラハムとサラのように老齢になっています(サライは亡くなってしまいますが)。この物語の解釈の一つに、神はアブラハムの信仰心を試したというものがあります。そこで、ソルは自問するのです。もしアブラハムの神に対する愛よりも、息子に対する愛のほうが勝っていたら、どうなっていただろうかと。ソルは、ユダヤ系の出自を持ちながら、自身の信仰心に疑問を持っていました。レイチェルからの「神を信じるか」という率直な質問に対して、ソルは「信じられる日が来るのを待っている」と答えます。そして、この逸話にはもう一つの解釈があります。それが人は同胞を生贄にしてはならないということです。ソルは自身も娘も生贄にしない覚悟でハイペリオンへ向かいます。そこで夢の声の主は何をするのか見届けようというのです。

夢の中の声の存在について、ソルはシュライクだと推定している節があります。サライはその存在をゴーレムと呼び、<スフィンクス>の内部でレイチェルの手首をつかんだ存在もまたゴーレムだと言っています。サライは、現実のレイチェルすら覚えていない<スフィンクス>内部の出来事を、夢の中でレイチェルから聞いたと言っています。ソルとサライが見た夢は、自身の精神が生み出したものではなく、第三者のメッセージであることは明らかです。

学者の物語が投げかける謎は、なぜシュライクは、レイチェルの年齢を遡行させたのか。そして、なぜレイチェルをハイペリオンへ連れて行かせるのかということです。

それにしても、ここまでストレートに人を泣かせに来る話は、そうそう読んだことがありません。若返っていくというありえない悲劇は、未だに新鮮さを失いません。ソルと サライとレイチェルの人間性に触れるたび、その尊さに涙が出てきます。六つの物語のうち、最も読むのが辛い物語でもあります。

続く。

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解説『ハイペリオン』詩人の物語

ハイペリオンの六つの物語のうち、三つめの詩人の物語について紹介、解説します。 詩人の物語は、一言でいうと……形容するのが難しい物語です。それは語り手の枠にハマらない性格によるところが大なのですが、言い換えれば人を選ぶのではないかと思われる物語です。詩人の物語は、シュライクの存在にもっとも近づいた物語であると同時に、地球を飛び出して星々を開拓し続けた人類の歴史をなぞる役割を持っています。

前回の物語はこちら。

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詩人の物語:『ハイペリオンの歌』

 巡礼者の名は、マーティン・サイリーナス。はじめに言葉ありき。サイリーナスは自らの物語をそう始める。サイリーナスが生まれたのは、今はオールドアースと呼ばれる地球、生きてその姿を見たものはいないであろう地球であった。かつての地球は、キエフの研究チームがミニブラックホールを地球の核に落とすという<大いなる過ち>によって、すでに失われていた。とはいえ、地球が消滅するまでに一世紀以上の時間的猶予があった。その間、地球は小康期と劇症期と呼ばれる期間を繰り返し、劇症期には惑星規模の大地震が頻発したものの、十カ月から十八カ月ほどの小康期の期間は、まだ地球は居住可能であった。もちろん、この頃には<聖遷>によって人類のほとんどが惑星外へと飛び立ち、地球に残っているのは、一部の奇特な人間か、地球に既得権益をもった富裕層であった。サイリーナスはその後者として地球に生まれた。サイリーナスが生まれたころには、人口は北米大陸だけでも八千人ほどしか残っていなかった。

 サイリーナスの生家はいくら富裕層とは言え、地球での奢侈な生活により借金は嵩み、いよいよ地球も終わりだという頃になって金融機関が取り立てに動くと、家計は破産寸前になった。サイリーナスの母は、残った財産を長期の預金に入れ、サイリーナスをヘブンズゲートへと旅立たせた。サイリーナスがニ十歳の時である。それも光速よりもはるかに遅いラムシップに乗せて。サイリーナスの母の読みでは、片道百六十七年の間につく利息は、負債を返済しても余りあるものになっているはずだというものであった。

 しかし、サイリーナスがヘブンズゲートに到着するころには、とうの昔に預金口座は凍結され資産は没収されていた。おまけに、粗野な冷凍睡眠のおかげで、解凍されたときには脳卒中を起こし、言語機能に障害が残った。サイリーナスが使いこなせる言葉は、九語だけだった。障害のある身一つ以外に何も持たないサイリーナスは、ヘブンズゲートで奴隷にも等しい浚渫作業員として生計を立てた。大昔から、監獄は物書きにとって最高の場所だったとサイリーナスは言う。過酷な労働環境の中で、目に見えるもの全てが拘束されていても、サイリーナスの精神だけは自由であった。肉体労働が辛ければ辛いほど、精神はより高みで解き放たれた。汚泥にまみれ、腐食性の大気におびえる中で、サイリーナスは詩人になった。唯一欠けていた言葉も徐々に戻り始めた。ある非番のこと。サイリーナスは原稿を抱えて図書館に向かっているとき、スラムのならず者に半殺しにされる。幸いなことに、そこに通りかかったのが、ヘブンズゲートのある高官の妻であった。彼女はサイリーナスを病院へ送ると、散らばった原稿をアンドロイドに回収させた。この原稿が人の手を伝ってトランスライン出版社へ届き、最終的に三十億部というベストセラーを叩き出す。サイリーナスは一躍ベストセラー作家となった。

 ところが、その後の文筆活動は鳴かず飛ばずであった。ベストセラーとなった『終末の地球』は、サイリーナスが書いた詩のうち、ノスタルジア溢れる地球の情景だけを抜粋したものだった。そこで、サイリーナスは満を持して『詩篇』を書き上げる。しかし、これが全く売れなかった。出版社の雇われ三文文士として『終末の地球』の続編を書き続けることは、サイリーナスにとって難しいことではなかった。しかし、『終末の地球X』を書き始める頃には、サイリーナスはいいかげんな小説を書き飛ばすことに心底うんざりしていた。酒、ドラッグ、情報、政治、宗教などに傾倒したあげく、ついにサイリーナスは気付く。詩想が消えてしまったことに。サイリーナスは言う。本物の文章を書くこととは、自分の精神が道具と化し、どこからか流れ込んでくる啓示を書き続けることなのだと。

 ついに、サイリーナスはトランスラインとの縁を切り、惑星アスクウィスへと旅立つ。そこは、芸術家たちがひしめく、ビリー悲嘆王の王国がある星だった。アスクウィスでの十年間の生活の中で、サイリーナスはビリー悲嘆王の後援の一対象から、教師、相談役、そして友人の待遇を得るまでになった。ホレース・グレノン=ハイト将軍の反乱が起きたとき、アスクウィスが反乱軍の攻略ルートにあることから、ビリー悲嘆王はハイペリオンへの遷都を行った。ハイペリオンには二世紀前に、より原始的な開拓民が入植していたが、キーツエンディミオン、ポートロマンス、そして<詩人の都>などの主要な都市はビリー悲嘆王が率いる五隻の播種船に乗るアンドロイドたちによって建設された。しかし、その間もサイリーナスの詩想が戻ることはなかった。

 シュライクの伝説はビリー悲嘆王がハイペリオンを開拓する前から、土着の民族の伝説としてあった。最初は<詩人の都>で行方不明者が現れた。しかし、やがて死体が発見されるようになる。ある隠しカメラが、シュライクの姿を撮影した。その映像で初めてサイリーナスはシュライクの姿を見た。奇しくも、シュライクが最初の殺戮を始めたタイミングと、サイリーナスが『詩篇』を再び執筆し始めたタイミングは一致していた。サイリーナスには自覚があった。自らの詩想がシュライクを呼び寄せているのではないかと。結局、サイリーナスの詩想とシュライクの殺戮には科学的な因果関係は見つけられず、シュライクの殺戮も止まらなかった。<詩人の都>はついに打ち捨てられることになる。ビリー悲嘆王は住民を疎開させ、自身はキーツへと移り住んだが、サイリーナスはそれでも<詩人の都>を離れなかった。サイリーナスの詩想は、もはやシュライクの脅威、存在無くして成立しなかったからだ。それから二十数年の間、サイリーナスはシュライクに殺されることもなく、黙々と詩作を続けた。

 ある晩、サイリーナスが自室に戻ると、そこには懐かしきビリー悲嘆王がいた。どうやら、サイリーナスの原稿を無断で読んでいたらしく、ビリー悲嘆王は原稿を絶賛する。そして、最後に書かれた原稿の日付と、<詩人の都>のーーサイリーナスを除いてーー最後の住人がシュライクによって殺害された日付とが、一致していることをビリー悲嘆王は指摘する。どうやらビリー悲嘆王は、シュライクによる流血事件に終止符を打つべく、サイリーナスの詩作を全うさせまいとしてここに来たらしい。ビリー悲嘆王の手には神経麻酔銃が握られていた。サイリーナスは気付くと、地面に横たわっていた。痺れた体で周囲を見渡すと、ビリー悲嘆王が今まさに原稿を焼こうとしているところだった。すまない、とビリー悲嘆王は謝りながらも、狂気は終わらせなければならぬと、原稿を火にくべる。その時シュライクが現れた。現れたというよりもこちらの意識が気付くことを許されたというべきか。あたかも最初からそこにいたかのように、シュライクは立っていた。次の瞬間、シュライクはビリー悲嘆王の手足を爪で刺し貫き、体を高々と掲げた。そして、ゆっくりとビリー悲嘆王の体を抱き寄せた。サイリーナスは、焼ける原稿の傍らにあった灯油の容器を手に取り、ビリーもろともシュライクにぶちまけた。

 サイリーナスは、その後、燃え残った原稿を回収し、燃えてしまった詩を書きなおした。しかし、ついに詩は完成しなかった。再び、詩想は消えてしまったのである。それからはただひたすらに詩想を待った。そのためには、何度もパウルセン(延齢)処置を受けた。違法の亜光速航行に加わって、その度に――記憶がごっそり失われる――冷凍睡眠に入った。ただただ、詩を完成させるために。サイリーナスは自らの物語を締めくくる。初めに言葉ありき。終わりにも、言葉あるべし。

解説

まず最初に、詩人の物語における衝撃の事実は、地球が既に存在しないということかもしれません。今までに語られてきた司祭の物語と兵士の物語では、地球の描写が全くないことが少し不自然ですらもありました。兵士の物語では火星の描写がありましたが、地球の描写は頑なまでにありませんでした。地球がどうなっているのかという疑問を無意識にでも抱いた読者にとっては、この詩人の物語が答え合わせとなります。

何を研究していたのか分かりませんが、キエフに存在していた研究機関が、うっかり小さなブラックホールを地球の中心に落してしまい、以後、そのブラックホールがゆっくりと地球の核を吸い込んでいきました。サイリーナスが生まれた西暦は定かではありませんが、サイリーナスが生まれたころはまだ地球はありました。そして、ヘブンズ・ゲートへの片道167年の間に、地球は消失したと思われます。サイリーナスが最初の『終末の地球』を出版したころには、地球は既に失われ、伝説的な存在となっています。サイリーナスの話によれば、ニューアースやアースIIなどの惑星があり、地球を母星とする郷愁の思いが人類にあることも思わせます。生の地球を見たサイリーナスによる地球の描写と、失われた地球に対する大衆の郷愁が結着した結果、『終末の地球』なるベストセラーは生まれました。

詩人の物語は6つの物語の中でも、時間的経過が長い物語です。サイリーナス自身が数百年に渡って生きているので、個人年表を以下にまとめました。

  • 20歳:地球での生活
  • (この間167年)
  • 20代:ヘブンズゲートでの浚渫労働
  • 20代:『終末の地球』を出版
  • 30代:トランスラインと縁を切り、アスクウィスへ行く
  • 40代:ビリー悲嘆王と共にハイペリオンへ入植
  • 50代:シュライクの出現
  • 70代:ビリー悲嘆王がシュライクに殺される

残念ながら、詳細な西暦や年齢は分かりません。時間経過に関する描写もあるのですが、それが客観的な時間によるものなのか、現地時間によるものなのかはっきりしないので諦めました。24時間=1日、365日=1年というのは惑星によって異なるからです。サイリーナスの話から推測できるのは、おおよその年齢くらいまでとなります。延齢処置を繰り返しているサイリーナスにとっては、年齢などもはや無意味なのかもしれません。

最大の謎は、シュライクとサイリーナスとの関係性についてです。シュライクはサイリーナス達が入植する以前から、初期の開拓民たちにその恐るべき存在を知られていました。しかし、こと<詩人の都>については限りなく<時間の墓標>に近いにもかかわらず、入植以降、シュライクによる被害はありませんでした。ところが、サイリーナスが『詩篇』を再び書き始めたとき、シュライクもまた活動を始めたのです。サイリーナスは自分の詩想がシュライクを呼び寄せた自覚を持っています。

一方、サイリーナスとシュライクの関係性に気付いたのは、サイリーナスだけでなくビリー悲嘆王も同じでした。ビリー悲嘆王は『終末の地球』が、サイリーナスによる純粋な著作ではなく、出版社によって都合よく改ざんされていることを見抜いた芸術的な慧眼の持ち主であり、ゆえにサイリーナス最大の理解者でありました。<詩人の都>でサイリーナスを除いた最後の犠牲者が出たとき、ついにビリー悲嘆王はサイリーナスの詩業を止めるべく、サイリーナスの前に現れます。それは、サイリーナスの才能を愛したビリー悲嘆王にとって苦渋の決断であったに違いありません。

シュライクがサイリーナスを最後まで殺さなかったことや、『詩篇』の原稿が書かれた日付とシュライクの犠牲者が出た日付が奇しくも一致していることなどは、サイリーナスの詩作とシュライクの殺戮に何かしらの関係性があることを思わせます。

サイリーナスはシュライクの存在が何であれ、かつてヘブンズゲートでの過酷な労働が詩想を生み出したように、シュライクの存在とシュライクが生み出す恐怖が詩想には不可欠だと考えていました。ビリー悲嘆王の死を最後に、サイリーナスの詩想は消えてしまいます。ただ純粋に詩想が戻るの待つために、パウルセン処置や冷凍睡眠も行った結果、サイリーナスは詩想を得るにはシュライクの存在が必要なのだという確信に至るのです。

続く。

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解説『ハイペリオン』兵士の物語

ハイペリオンの6つの物語のうち、二つめの兵士の物語について紹介、解説します。 兵士の物語は、一言でいえばアクション映画です。心理描写などのミクロな視点よりも、世界情勢などのマクロな視点で、『ハイペリオン』を導入する役割を持った物語です。

前回の物語はこちら。 yayoi-tech.hatenablog.com

兵士の物語:戦場の恋人

 巡礼者の名はフィドマーン・カッサード。時は西暦1415年、場所はフランス北部のアジャンクール。イングランド王ヘンリー5世は、フランス王位を請求するためノルマンディーに侵攻したものの、フランス軍の頑強な抵抗と疫病によって、イングランド軍は疲弊しカレーへの帰還を企図した。一方、フランス軍イングランド軍の撃滅を目指し、カレーの南50kmでこれを迎え撃った。長弓兵を主力とする七千人のイングランド軍に対して、重装騎兵を主力とするフランス軍は二万人。数で劣るイングランド軍が、三倍の兵力を有するフランス軍を破ったこの有名な戦いは、後世、アジャンクールの戦いと呼ばれる。

 カッサードは、まさにこの戦場の真っただ中にいた。ただしこの戦場は、FORCE がHTNと呼ぶ訓練用に用意した仮想戦場である。仮想世界はリアルの体験とそん色なく、シミュレーションで致命傷を負った訓練生がショック死することもあるほどであった。カッサードは、オリュンポス・コマンド・スクールで訓練を行う若き士官であった。カッサードは、その戦場で後にモニータと呼ぶことになる美しい女と出会う。カッサードが、フランス騎士と一対一の決闘におよび、劣勢に立たされた時、その危機を救ったのがモニータだった。カッサードとモニータは戦場のはずれの森の中で愛し合った。その体験は、仮想世界として用意されたものではないことは明らかだった。モニータはシミュレーションの度に現れた。カッサードは彼女が何者であるのか問うたが、彼女はなにも答えない。ただ、互いに求めるままにセックスするだけであった。コマンドスクールを卒業すれば、モニータに会うことはないのだろうとカッサードは思った。しかし、モニータはその後もカッサードの夢に度々現れた。

 カッサードにとって転機となったのが、ブレシアの戦いだ。アウスターは、連邦の唯一の外患でもあった。とはいえアウスターが連邦にとって全くの未知であったわけでもない。アウスターはしばしば連邦領域の近縁まで接近して資源の採掘などを行い、多くの場合、連邦はこうしたアウスターの海賊行為を黙認してきた。過去の事例を見ても、アウスターとの衝突は小競り合いでしかなく、宇宙空間での戦闘こそあれ、地上で歩兵同士が戦うことは一度もなかった。いわく、アウスターは長らく無重力の宇宙空間に適応した結果、地球型惑星の脅威にはならない、というのが専らだった。アウスターによるブレシア侵攻の始まりも、連邦の弛緩した許容の中で突如として始まった。

 ブレシアには惑星政府が組織する大規模な宇宙軍が存在していたが、それらは二十時間のうちにアウスターによって無力化された。そして、アウスターは宇宙空間から地上の軍事目標を徹底的に破壊すると、二十三日目には二千隻に及ぶ降下艇や強襲艇を主要な各都市に送り込み、地上の制圧を開始した。四十二日目にはブレシア軍の組織的抵抗は終わり、首都バックミンスターは陥落した。後に分かったことだが、アウスターは三世紀の間に確かに無重力空間に適応するように肉体的変貌を遂げていたが、外骨格をまとっているため地上での行動に全く難がなかった。手足が異様に長いクモのような人間が、ブレシアの大地を闊歩したのである。

 カッサード大佐を含むFORCE第一艦隊がブレシアに到着したのは、アウスターの襲撃が始まって二十九週目のことである。FORCEによるブレシアへの”逆”上陸作戦は困難 を極め、FORCEが掲げるニュー武士道の価値観は全く意味をなさなかった。カッサードは瞬時に悟った。ニュー武士道は名誉を重んじ、職務の根幹に義務と自尊心と信義を置いた。FORCEが目指す戦争は、文民を守るための局地的な非全面戦争であり、目標を限定し戦力過剰を禁じた。その価値観にカッサードは共感したものだったが、それらはアウスターに対しては全く価値を持たなかった。ニュー武士道は、人類同士の内患でこそ意味をなし、半ば未知の外患であるアウスター相手には通用しないのである。上陸に成功した八万のFORCE地上軍は、民間人への被害を最小限に止めるためにアウスターを誘導しようとするが、アウスターは民間人などお構いなしに、何の懸念もなく物量でFORCEを攻撃した。宇宙空間においても、FORCEは優勢とはならず、アウスターはブレシア近辺の宇宙空間を維持し続けた。当初、二日で片付くと見積もられた地上戦は六十日に延び、廃墟と化した都市を舞台に、延々と市街戦が繰り広げられた。FORCE部隊八万は損耗し、最終的には延べ三十万の増援が投入された。九十七日目にして、ついにアウスターが撤退を始めたころには、カッサード大佐には「南ブレシアの死神」なる異名が付いていた。その死中で、カッサードはモニータのリアルとも区別のできない夢を見続けた。

 皮肉なことに、九十七日の激戦を無傷に乗り切ったカッサード大佐は、その二日後に瀕死の重傷を負った。解放されたバックミンスター市のホールで、報道官の質問に応答しているとき、アウスターが残したブービートラップがさく裂したのである。爆風によってカッサードは吹き飛ばされ、崩れたがれきの下敷きになった。カッサードは良くも悪くも時の人となっており、その容赦のない作戦指揮には批判が集まっていた。カッサードは戦争犯罪の罪に問われる可能性があったが、政府首脳はカッサードを英雄と考えていた。結果として、カッサードはホーキング駆動の病院船に収容され、ゆっくりと<ウェブ>へ送り返された。カッサードが治療を追えて<ウェブ>に戻る頃には<ウェブ>では航時差で十八カ月が経っている。そのころにはカッサードへの批判も収まっているだろうと目論んだのだ。

 しかし、その病院船は、ハイペリオンを経由するときアウスターの攻撃を受けた。奇蹟的にカッサードは命を取り留めたが、攻撃によって病院船は制御不能の棺桶と化し、何かしら手を打たなければ、カッサードは死んだも同様であった。だが、アウスターがスクイドと呼ばれる小型艇を病院船に接舷させたのが、カッサードにとって不幸中の幸いであった。カッサードはアウスターの海兵隊員を危機的な状況にもかかわらず手際よく無力化し、一隻のスクイドを単独で拿捕する。そして、ハイペリオンの大気圏へと突入した。

 カッサードが気付いたとき、そこにモニータがいた。そこは、ハイペリオンの<詩人の都>であり、モニータはカッサードを<時間の墓標>へ案内した。モニータは、<時間の墓標>は時を遡っているのだと説明する。そしてカッサードにとっての過去はモニータにとっての未来なのだとも言う。モニータが指をさす方向には、鋼鉄のとげに覆われた大樹が立っていた。樹高二百メートルはあるかと思われたが、ホログラムのように揺らいでいる。そして、そのとげには人間や、アウスターや、その他の生き物の死骸が突き刺さっていた。

 モニータはカッサードを銀色の特殊なフィールドで包み込む。そして、カッサードはシュライクを初めて見た。シュライクは二人を先導する。どうやらアウスターの追手が来たらしい。アウスターは二隻の強襲艇を降下させ防御陣地を敷いていた。そこで初めてカッサードは気付いた。時が止まっていることに。モニータはシュライクが時を支配しているのだという。ニュー武士道に対する禁忌を感じながらも、カッサードらは一方的にアウスターを殺戮した。

 殺戮が終わったとき、カッサードとモニータは愛し合った。そしてカッサードが絶頂に達しようというとき、カッサードはモニータがシュライクであることに気付く。カッサードは必至でシュライクとなったモニータから身を引きはがす。カッサードはモニータともシュライクとも分からないものから必死で逃げた。

 ハイペリオン自衛軍がカッサードを発見したのは、病院船が攻撃されてから二日後の事だった。<詩人の都>と<時観城>の間で、裸で重傷を負って気絶しているところを発見されたのである。カッサードはスクイドでハイペリオンに降下した後のことは何も報告しなかった。そして、燬光艦に収容されて<ウェブ>へ戻る途中、カッサードは軍務を離れた。

解説

フィドマーン・カッサードは、連邦の正規軍である FORCE の退役軍人です。連邦の軍人という目線から、連邦や、その軍である FORCE がどのようなものであるのかが、つまびらかになります。

プロローグでグラッドストーンは、アウスターがハイペリオンに侵攻することを匂わせていました。過去のアウスターによる侵略であるブレシアの戦いを、兵士の物語の主軸に置くことによって、もしこのままアウスターがハイペリオンに侵攻した場合、ハイペリオンがどうなるのかを、読者に容易に予測させます。兵士の物語は、現実的な差し迫った問題として、ハイペリオンが直面している状況を、説明する役割を持っています。

つまり、ブレシアの戦いから分かるように、アウスターの侵攻は生易しいものではなく、<時間の墓標>の謎やシュライクの脅威を抜いたとしても、彼らの巡礼の成否は紙一重の行為であることが分かります。一方で、ハイペリオンがただ蹂躙されるだけの状況かといえば、そうではありません。連邦が組織する FORCE 宇宙軍はただの張りぼてではなく、実績のある実力部隊であることは、アウスターとの戦闘の様子によく描写されているからです。

FORCEにはニュー武士道という価値観が軍律と共に根底にあり、この価値観が FORCE の強さでもあり、逆に弱点でもあります。この価値観は軍人階級が生き残るため、歴史の中で必然的に発達したものでした。二十世紀から二十一世紀にかけて、地球では大規模で凄惨な戦争が続きました。軍人が敵国の文民を攻撃するという繰り返しが、やがて軍人と文民の対立構造を生み、軍はその存在価値を徹底的に試されました。その結果生まれたのがニュー武士道という価値観です。

私たちの現代でも、戦争は全面的な戦争から局地的な戦争へと移り変わりつつあり、核兵器や絨毯爆撃を避ける軍事目標主義は浸透しつつあります。戦争は局地化し、非対称化していることから、正規軍よりも特殊部隊の重要性が高まっています。FORCE の存在や、ニュー武士道の価値観は、私たちの想像の延長線上で、進化して生まれたと言ってよいでしょう。

兵士の物語における最大の謎は、カッサードがモニータと呼ぶ女の存在についてです。モニータが自ら説明するところによれば、モニータは未来から遡る存在であり、モニータにとっての過去はカッサードにとっての未来であり、モニータにとっての未来はカッサードにとっての過去であることが分かります。また、<時間の墓標>もモニータと同じように未来から遡ってきているのだとモニータは言います。アジャンクールのシミュレーション内で初めて出会った時(モニータにとっては最後の逢瀬)以来、モニータはカッサードをハイペリオンに導いてきたと言えます。

ハイペリオンでカッサードがファーストタイムでアウスターを殺戮したとき、シュライクはモニータやカッサードと敵対してはいませんでした。そして、最終的にモニータはシュライクへと変貌しました。モニータの目的や、シュライクとの関係性については謎のままです。

カッサードは、自分が愛したモニータが何者なのかを突き止めようとしています。

早贄(はやにえ)の木について、詳細な描写がされるのも兵士の物語の特徴です。説明するまでもないかもしれませんが、シュライクは日本語で百舌鳥(もず)という鳥を意味します。百舌鳥は捕えた獲物を木の枝に串刺しにする習性を持ちます。ただし、『ハイペリオン』におけるシュライクの獲物には、人間も含まれているわけですが……。カッサードは、巡礼者の中に、かつて見た早贄の木に串刺しにされていた人間がいることに気付きます。早贄の木も<時間の墓標>と共に時を遡っているのであれば、これからその巡礼者は、串刺しにされることを意味します。カッサードは、誰が串刺しにされていたのかは語りませんでした。

続く。

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解説『ハイペリオン』司祭の物語

ハイペリオンの6つの物語のうち、一つ目の司祭の物語について紹介、解説します。 司祭の物語は、ホラー担当ともいうべき最も不気味な物語であり、ハイペリオン四部作への導入を担う物語です。

前回のプロローグはこちら。 yayoi-tech.hatenablog.com

司祭の物語:神の名を叫んだ男

 巡礼者の名はルナール・ホイト。パケムというキリスト教の惑星で生まれ育ったキリスト教カトリック派の神父である。ホイトの惑星外での初仕事は、ポール・デュレをハイペリオンに送ることだった。ポール・デュレは、聖職者であると同時に、考古学者、文化人類学者としても高名で、将来の教皇を目されるほどの人物だった。しかし、デュレは汚職によって失脚することになる。破門がささやかれるなか、デュレに下された決定が、辺境のハイペリオンへの赴任であった。いわば左遷である。ホイトの役目は、デュレが任地へ赴任するまでの監視役だったのである。

 パケムとハイペリオンを往復するのに必要な時間は、パケムの時間で8年であった。ホイトがデュレをハイペリオンに送り届けてから、また4年の歳月をかけてパケムにとんぼ返りすると、デュレは4年前にハイペリオンに到着して以来、行方不明であることが明らかになる。そして、ハイペリオンの現地当局もデュレを捜索したが、ついに探し出せなかったという。ホイトはデュレを捜索すべく、再び4年の歳月をかけてハイペリオンを再訪する。そして、7か月の捜索の後、ホイトはついにデュレの遺骸と、彼の日記を見つけ出した。そして、デュレの日記から、ホイトはデュレの身に起きた真実を知る。

 デュレの日記によれば、デュレはハイペリオン赴任時には既に信仰心を失いかけており、ハイペリオンでの自身の活動には、聖職者としてではなく、文化人類学者としての展望を持っていた。ハイペリオンには原住民族としてビクラ族と呼ばれる存在が確認されていた。数少ない報告によると、ビクラ族は、何世紀も前にハイペリオンへと遭難した播種船コロニーの生き残りではないかと推測された。文化人類学者としての知見を持つデュレは、ビクラ族に興味を持った。ハイペリオンに到着してからおよそ3か月後、ついにデュレは、炎精林の嵐を越え、大峡谷と呼ばれる未開の内陸部でビクラ族に遭遇する。

 しかし、ビクラ族は見るからに不自然で奇妙な存在であった。一様に背が低く、体毛が無い。黒いローブをまとっており、男女の見分けは困難である。表情に乏しく、常に微笑を浮かべているが、知性の欠如、あるいは痴呆の症状が認められた。ビクラ族に遭遇する少し前、デュレが雇ったガイドが殺害された。獣に襲われたという類ではなく、夜中、寝ている間に人の手によって首をかき切られたのだ。デュレが雇ったガイドを殺害したのは、ほぼ確実にこのビクラ族であった。

 ビクラ族がガイドを殺害し、デュレを殺害しなかった理由は、どうやら、デュレが持っていた十字架に関係するらしいことが、ビクラ族の言葉から分かった。デュレによる奇妙なビクラ族の観察日記は続く。まず、彼らには個人の名前が存在しない。自分のこと、あるいは自分たちのことを常に<六十人と十人>と呼ぶ。表情や声からは男女の区別がつかない。子供がいないことはデュレを混乱させた。彼らの外見は年齢不詳であり、若いのか老いているのかすら判断できなかった。さらに彼らの生活には一切の知性が感じられない。無気力で愚鈍であり、食料の採取と、午後の昼寝を除けば、何もしないまま時間を過ごす。デュレが翻訳機を片手に質問をしても、意味のある会話が成立しない。ビクラ族が人間としての営みを数世紀にわたって継続してきたのであれば、デュレの観察は全て異常な光景を呈していた。

 やがてデュレはビクラ族の真実にたどり着く。ビクラ族には、聖十字架と呼ばれる十字架状の物体が体に張り付けられており、これはどうやっても外すことのできない一種の寄生体であった。聖十字架に寄生された人間は、死ぬと聖十字架の能力によって蘇生することになる。死んだ細胞が腐敗すると、聖十字架はそれらを寄せ集めて、再び新鮮な肉体を構成させるのだ。ビクラ族は、長い間、寄生体の能力によって死と蘇生を繰り返してきたのだ。その繰り返しの中で、生殖機能や知性が失われていったのだとデュレは考察する。ビクラ族に子供がないことも納得できる。そして、デュレは自らの体に張り付けられた聖十字架を見ながらも、なんとか正気を保っていた。デュレはハイペリオンの迷宮の中で、シュライクが傍らにたたずむ中、ビクラ族によって聖十字架を授けられたのだ。

 大峡谷を出ようとすれば、聖十字架が痛みを与え、そこから離れることを許さない。ここに居続ければ、やがて死に、そして蘇生するだろう。何回か繰り返せば、ビクラ族と同化してしまうに違いない。デュレは忌まわしい寄生体を調べつくしたが、その機能については手掛かりすら得られなかった。分かることといえば、ビクラ族と聖十字架にまつわる、およそ人間的ではない狂気の事実ばかりであった。やがて、デュレはそんなことはどうでもいいと考えるようになった。もっと重要な問題を気にし始めたからだ。それはつまり、神はなぜこのような存在をお許しになったのか。ビクラ族はなぜこのような形で罰され続けるのか。自分はなぜこの運命に選ばれたのか。正気と狂気の間で、デュレは信仰心を取り戻しつつあった。ついに、デュレは炎精林の雷撃をもって聖十字架を破壊することを決意する。たとえ、その雷撃によって自身は死のうとも、デュレは聖十字架によって人間性を失うことを拒んだのだ。デュレの決心と祈りの言葉を最後に、日記は終わる。

 ホイトがデュレを発見したとき、デュレは炎精林の大樹に磔にされていた。デュレが自分で自分を磔にしたのだ。ホイトに発見されるまでの7年もの間、デュレは磔にされたまま死と蘇生を繰り返した。デュレは日記を入れた石綿草の袋を首から下げていた。ホイトがその袋を取ったとき、同時に聖十字架が落ちた。ついに、デュレは聖十字架に打ち勝ったのだ。

 デュレを捜索するホイトは、デュレと同じような境遇でビクラ族に出会った。ただ違ったのは、ホイトがより組織的にデュレを捜索していたことだ。ホイトがビクラ族に捕らえられた翌日、ホイトのガイドがホイトを救出した。そして、ビクラ族の村を破壊しつくし、なすすべを持たないビクラ族を皆殺しにした。しかし、ホイトの体には、すでに2つの聖十字架が貼り付けられていた。ホイト自身のものとデュレのものが。ホイトが死んだとき、腐敗しゆくホイトの死体からは、おそらくホイトとデュレが復活するに違いない。最初は鎮痛剤が効いた。しかし、年々痛みはひどくなっていき、どのみちハイペリオンに帰らざるを得なかったのだとホイトは悟るのだった。

解説

ハイペリオン四部作の堂々たる幕開けが、この司祭の物語です。

この物語の最大の特徴は、日記形式の展開を全体に貫かせながら、日記形式の物語が持ちうる二つの要素を両方とも取り入れていることです。すなわち、前半は純粋な紀行文として、旅、冒険を通してハイペリオンという物語の舞台を紹介する要素を持ち、後半はビクラ族と聖十字架にまつわる狂気の事実に触れた、ホラー、サスペンスといった要素を持つことです。この二つの要素の切り替わりがまた絶妙で、紀行文としての魅力に惹かれて読み続けたかと思えば、ビクラ族との遭遇辺りで一気に空気が不穏になります。その落差が、司祭の物語のホラー要素をより効果的にしています。

それにしてもハイペリオンは自然豊かな星であることが分かります。人間は文字通り自然の一部を切り開いて農場を興しているだけで、ハイペリオンには人の手が届いていない土地がたくさんあります。放電する雷吼樹、それらが生い茂った炎精林、巨大な山脈や巨大な渓谷が、人間の開拓を阻んでいるのです。

この物語の背景には失墜したキリスト教の存在があります。キリスト教はこの時代の人の信仰心に合致したものではなく、連邦社会の主流からは外れ、古風で孤立し、忘れ去られつつある存在でした。

この物語における最大の謎は聖十字架です。聖十字架は、人の体に寄生し、死んだ肉体を蘇らせる狂気の機能を持った存在で、それ以外の全てが謎に包まれています。この謎は司祭の物語の中で解明されることはありません。しかし、続く『エンディミオン』、『エンディミオンの覚醒』では聖十字架は重要な役割を持ちます。聖十字架は<時間の墓標>やシュライクに次ぐ最大級の象徴であることに間違いなく、キリスト教的な価値観は四部作全体を通して重要な価値観になっています。例えば、後に続く学者の物語では根底にイサクの燔祭があります。残念ながら私はキリスト教について多くを知りませんが、物語をより楽しむにはキリスト教の教養が必要であろうと考えています。

ビクラ族はハイペリオンにおける最初期の開拓民の末裔のようです。デュレ神父の日記では、大峡谷の近くに彼らが乗っていたであろう播種船の残骸を発見したことが記されています。彼らがキリスト教徒であったかは定かではありませんが、その可能性はあります。デュレ神父は、ビクラ族の居住地の崖下で、彼らが信仰する大聖堂を発見します。デュレ神父はその大聖堂をビクラ族が作ったものではなく、数千年、あるいは数万年前に造られたものであろうと推測しています。ビクラ族は、いつしか聖十字架に寄生されるようになり、死と蘇生を繰り返すうちに、知能低下、生殖機能の喪失を引き起こしました。

次に謎めいているのはハイペリオンの迷宮についてです。ハイペリオンは迷宮九惑星のひとつです。連邦統治下の探検可能な数千の惑星を探査しても、迷宮があるのは九つの惑星だけです。それぞれの迷宮が、およそ七十五万年も昔に掘られたものです。迷宮は地中深くに設けられており、地殻を縦横に貫いています。そのトンネルの断面は一辺三十メートルの正方形であり、完璧に滑らかで直線の壁面は、自然が生み出したものではなく、未知の技術によって掘削されたものでした。

デュレ神父に聖十字架が授けられる場面において、迷宮、シュライク、聖十字架が一点に交わります。司祭の物語が投げかける謎は、迷宮、シュライク、聖十字架の存在についてです。

余談ですが、ダン・シモンズの処女作である『黄泉の川が逆流する』は短編でありながら、司祭の物語に通ずる不気味さをもった作品です。この不気味さは、著者の根底にあるセンス、持ち味と言えるかもしれません。長いハイペリオンの物語の初手に司祭の物語を持ってくるあたりに、著者の隠れた意気込みを感じます。

続く。

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解説『ハイペリオン』プロローグ

ハイペリオン』のあらすじと解説を、何回かに分けて記事にまとめたいと思います。

私は事あるごとに SF の最高傑作と言ったらハイペリオン四部作だと、なるべくささやかに主張してきているのですが――SFの金字塔などと評価されている割には――ハイペリオン最高という同士になかなか会ったことがありません。文庫本をいろんな種類の知人に貸したりしてきたのですが、いかんせん反応が悪い。

反応が悪い理由は、SF であることと、長大であることに集約されるのかなと思っています。SFはとにかく読者を置いてきぼりにする傾向があります。現実にはあり得ない科学的な作り話があって初めて SF として成り立つので、著者の想像についていけなければ脱落は必至です。むしろ分からないことは自分なりの解釈で読み進めるのが良いと思うのですが、そうするにはある程度SFを読み慣れていないといけないのかもしれません。そして、読み慣れるにはそもそも科学的なことに興味がないといけない。この時点でSFは人を選ぶと言われても、まあその通りかもしれないと納得せざるを得ないところがあります。ましてやハイペリオン四部作は文庫本にすると全8冊になります。一冊が500ページを越えていたりもするので、単純に物語として長いのです。固有名詞がバンバン出てきて情報量がパンクしそうな中、物語はどんどん展開していきますし、伏線はどんどん張り巡らされます。

そこで、物語や伏線に対する自分なりの理解を、あらすじと解説という形で文章にし、原作に対する副読本的な立ち位置でまとめます。たぶん、ハイペリオン四部作を読み切った人ですら、記憶があいまいな人は多いはず。物語をより深く味わうための助けになれば幸いです。ネタバレ全開ですが、物語に沿ってネタバレしていくので、未読の方がいましたら、興味を持たれた時点で、小説を読まれることをおススメします。

まず、『ハイペリオン』の目次を紹介しましょう。実は四部作のうち『ハイペリオン』だけが唯一、意味のある目次を持っています。それは、ハイペリオンにまつわる6人の物語がオムニバス形式で語られるからです。

  • プロローグ
  • 第一章
    • 司祭の物語:神の名を叫んだ男
  • 第二章
    • 兵士の物語:戦場の恋人
  • 第三章
  • 第四章
    • 学者の物語:忘却の川の水は苦く
  • 第五章
    • 探偵の物語:ロング・グッバイ
  • 第六章
    • 領事の物語:思い出のシリ
  • エピローグ

まずは、プロローグからどうぞ。

けっこうボロボロ

プロローグ

 場面は名もなき惑星に着陸している漆黒の宇宙船。そのオーナーは領事と呼ばれる人物である。領事は宇宙船のバルコニーで、連邦のCEO、マイナ・グラッドストーンからのFATライン通信を受信する。物語はそこから始まる。

 受信したFATライン通信によれば、グラッドストーンは、領事が時間の墓標への巡礼の一人に選ばれたこと、そして領事にハイペリオンに戻ってもらいたいことを伝えていた。

 グラッドストーンはその背景を説明する。ハイペリオンの領事館と惑星自治委員会は、時間の墓標が開き始めていること、そして「あの」シュライクと呼ばれる怪物が動き回っていることを報告した。それが三週間前のことだ。ハイペリオン在住の連邦市民を疎開させるために、連邦は直ちにパールヴァティーのFORCE駐屯軍から救援艦隊を編成した。この救援艦隊がハイペリオンに到着するのは、ハイペリオンの現地時間に換算しておよそ三年後だ。艦隊が救援として間に合うかは分からないとグラッドストーンは言う。

 メッセージはさらに続く。アウスターの群狼船団がハイペリオンに向かって接近しているという。その規模はすくなくとも四千隻であり、FORCEの統合参謀本部は、この接近をアウスターの大規模な侵攻だとみなしている。アウスターの目的が、開き始めた時間の墓標にあるのかどうかは分からない。いずれにせよ、連邦はFORCEの一個艦隊を、先行する救援艦隊に合流させるべく量子化させた。この艦隊はハイペリオンに転位ステーションを建造するためのものである。

 最後にグラッドストーンは、パールヴァティーの森霊修道会が、聖樹船<イグドラシル>の出港準備を進めていることを伝える。三週間以内にパールヴァティーへ行けば、宇宙船ごと収容しハイペリオンへ行けるだろうと。そして、七人の巡礼者のうち少なくともひとりはアウスターのスパイだとも。この巡礼に連邦の運命がかかっているとグラッドストーンは言い、メッセージは終わった。

 領事の宇宙船は、ハイペリオンへ向かうべく、まもなく名もなき惑星を離陸した。

解説

プロローグからしてこの情報量なのだから、世界観にまるで追いつけない読者がいたとしても、肯ける話です。小説本文では、背景の詳細はもう少し説明されるのですが、なにしろ頭の中に入ってくる新しい情報の量が単純に多い。解説しようと言ったって、どこから解説したらよいのやらというところがあります。

プロローグにおける登場人物は、領事とマイナ・グラッドストーンの二人です。領事は、小説本文では始終、領事と呼ばれ、彼が本名で呼ばれることは徹底してありません。では、どこの領事なのかというと、ハイペリオンという惑星の領事でありました。領事であったという過去形のとおり、現ハイペリオン領事ではありません。領事が今どのような公職にあるのかについては、プロローグの時点では推し量ることは出来ません。一方、マイナ・グラッドストーンは連邦のCEOであり、人類社会における政治、行政の頂点に立つ人物です。彼女の手腕にはすでに一定の評価があり、リンカーンチャーチルアルバレス=テンプといった歴史的偉人と比較されるほどです。アルバレス=テンプという架空の人物が、二十一世紀から聖遷までの間に活躍した人物として設定されているあたりに、世界観の細やかさを感じます。物語は、きわめて政治的な話から始まるのです。

そもそも、この物語が、いつ、どこでの話なのかを説明したほうが良さそうです。小説ハイペリオンの時代は、西暦にして28世紀になります。人類は21世紀には太陽系外への大規模な開拓、植民を開始し、これを聖遷と呼びます。以来、およそ800年に渡って、人類はその版図を広げ、200以上の惑星を開拓し、その人口は1500億人に達しました。その人類を束ねるのが、連邦です。連邦がただ単に連邦と呼ばれるのは、危機的な内乱を経験しつつも、連邦が人類唯一の統一政体だからです。

とは言え、連邦が全人類を束ねていたかというと、そうでもありません。開拓、植民を行った人類の中には、連邦が管理する宇宙の更に外へ進出する者があり、結果として彼らは連邦の管理下にはない独自の存在になり、アウスターと呼ばれるようになりました。時と共にアウスターの存在は連邦にとって未知となっていき、この時代、アウスターは連邦にとって宇宙の蛮族とすら表現されます。

さて、ハイペリオンと呼ばれる惑星は、連邦が管理する領域の外縁に位置する、今まさに開拓途上にある惑星です。ハイペリオンは長らく開拓されているものの、未だに連邦の領域として組み込まれない特殊な星系でした。その理由が、ハイペリオンにもともと存在する時間の墓標と呼ばれる遺跡の存在、そして、その遺跡の周囲をうろつくシュライクと呼ばれる怪物の存在でした。遺跡は明らかに人工物でしたが、その謎はいまだに解明されていません。さらにシュライクは、ときには惑星全土で入植者たちを殺戮しました。未知の存在に対する畏怖は、やがて信仰心を掻き立て、現地にはシュライク教団なる宗教組織も生まれます。そのような不安定な政情から、連邦はハイペリオンを傘下に入れることを躊躇ってきたのです。

連邦が連邦としての統一政体を維持できているのは、FATライン通信や、転位ゲートによって、たとえ何光年という距離の隔たりがあったとしても、情報や物質の伝達が瞬時に行えるインフラがあるからにほかなりません。このインフラがなければ、人間の時間感覚では一つ一つの惑星は、ほぼ孤立しているも同然です。ハイペリオンは連邦に併合されていないがゆえに、未だに現地には転位ゲートはありません。そのため、最も近隣にあるパールヴァティーからハイペリオンに向かっても、ハイペリオンの現地時間でおよそ三年かかります。もっとも、それでも超光速航法で移動するので、相対性理論でいうところの時間の遅れが発生し、船内の主観的な時間はもっと短くなります。連邦はハイペリオンに転位ゲートを設置しないことによって、文字通りハイペリオンと距離を取り、ハイペリオンの政情不安が連邦全体に波及しないようにしていたのです。

しかし、連邦の日和見をあざ笑うかのように、事態は展開します。時間の墓標が開きかけているという現地からの報告です。開くとは、遺跡の周囲をめぐる抗エントロピー場が膨張していることを意味し、これはシュライクの活動範囲を広めることを意味していました。もし、シュライクが惑星全土で活動すれば、ハイペリオンの入植者全員が危機にさらされます。また、時間の墓標が完全に開いたときに、何が起こるかすらも予測できませんでした。さらに、時を同じくして、アウスターの船団がハイペリオンに近づいていることを、軍部が偵知します。その目的は定かではありませんが、タイミングからすれば、アウスターの目的もまた、時間の墓標に関係することは予測されました。

グラッドストーンら連邦の首脳は、ただこの状態を黙視することを良しとせず、先んじてハイペリオンに転位ゲートを建設し、ハイペリオンを防衛の橋頭堡とすべく艦隊を派遣します。同時に、7人の巡礼者を結成し、時間の墓標とシュライクの謎を解明する希望を託します。領事はかつてハイペリオンの領事であった背景から巡礼者の一人として選ばれるのです。

事態の困難さを伝えるグラッドストーンの言葉から、物語の展開には既にクライマックス感すらあります。小説ハイペリオンでは、第一章から第六章に渡って、7人の巡礼者たちが、時間の墓標へ向かう途上で、それぞれの身の上を語り合うというオムニバス形式で物語が進みます。

続きはこちら。 yayoi-tech.hatenablog.com