弥生研究所

人は誰しもが生きることの専門家である

【読書ノート】ライト、ついてますか

トンネルに入るときにライトを点けるが、トンネルを抜けるときにライトを消し忘れることはある。スイスのある観光地では、トンネルを抜けた先の駐車場で、多くの観光者たちが、ライトを消し忘れたまま駐車してしまうために、バッテリーが上がるというトラブルが続出していた。トンネルの出口に「ライト消せ」の看板を出すこともできない。夜ならば、ライトは点けたままでなければならないからだ。しかし、ほどなくしてトンネルの出口には次の看板が備え付けられた。

ライト、ついてますか

問題発見とは考え続けること

本書の副題には「問題発見の人間学」とあるように、本書が問題発見に関する本であることは間違いない。ただし、問題を発見するには何をすればよいのかという、口触りの良い解答は用意されていない。

本書の目次を引用してみよう。

  • 何が問題か?
  • 問題は何なのか?
  • 問題は本当のところ何か?
  • それは誰の問題か?
  • それはどこからきたか?
  • われわれはそれをほんとうに解きたいか?

全てが、読者に対する問いかけである。そして中身は、問題発見に関する教訓を得るための20のエピソードからなる。

安易にツールや、フレームワークを提供しないあたりに、問題を発見することとは、自分の頭で考え続けることなのだという、本質を感じ取ることができる。結局のところ、問題をどうやったら発見できるかを、抽象化・一般化することは出来ない。ゆえに著者たちは、具体的な問題の例を20のエピソードで紹介し、読者の頭で考えるよう促している。

あるエピソードの主人公であるビリーは、次の教訓を得ている。

正しい問題定義が得られたという確信は決して得られない。 だがその確信を得ようとする努力は決してやめてはいけない。

この姿勢は、まさに問題解決者が問題に対するときに、必要となる姿勢なのだろう。

問題の問題は何か?

問題の一番の問題点は、その問題自体が、問題解決者に対してストレスなどの精神的な影響を与え続けていることだろう。ストレスを感じるから、問題だと認識するのであって、ストレスがない問題は、問題になり得ない。

問題を抱えていると、それを解決したいという欲求が生まれる。当然である。問題を抱えていれば、問題から発せられるストレスに常に晒されていることになるからだ。すると、問題を明確にする前に、手近の解決策に飛びつきがちになる。ところが、解決策を実行してみると、問題と解決策がミスマッチしているがゆえに、問題が解決しない場合や、あるいはそもそも自分の問題は何なのかを改めて考えざるを得なくなる場合がある。労多くして益少なしである。

問題を明確にして解決策を導き出そうとしても、そう簡単にはいかない。問題とは、望まれた事柄と認識された事柄の間の相違である。この定義に従えば、望まれた事柄と認識された事柄を明確にすれば、問題は明確になる。しかし、問題解決者は問題のストレスに常に晒されているから、その精神状態で、望まれた事柄と認識された事柄を冷静に把握することは、とても難しい。問題解決者は、問題という色眼鏡を通して物事を把握することになる。その色眼鏡を通してみた物事が、本来の正しい姿であるはずがない。したがって、問題の所有者は問題を明確にすることができない。

問題を明確にするためには、問題という色眼鏡を外す必要がある。それは、問題からのストレスなどに影響されないことを意味する。しかし、問題から影響を受けない問題は、果たして問題なのだろうか。

私たちは、多くの場合、問題を明確にできないまま、問題を解決する行動をとらなくてはならない。

得られるのは方法ではなく認識

正直なところ、私は少し失望している。問題解決よりも問題発見を重要視し、自分の問題発見能力を向上させたいという期待は満たされていない。しかし、考えてみれば、それも当然のことなのだ。本を読んだだけで、自分の能力が向上するわけがない。本を読むことで、自分の認識だけが変わるのだ。自分の能力が向上するかは、練習や研鑽しだいなのだ。

では、私が得た認識は何か。

問題解決よりも問題発見のほうが、より重要である。そして、的確に問題を発見するスマートな方法はないし、自分の問題を自分で明確に定義することは、ほとんど不可能なことである。したがって、問題からのストレスに対して、対症療法的に解決策を実行せざるを得ないのだが、それでも何もしないよりはマシである。労多くして益少なしとなっても、益が全くないわけではない。純粋にストレスを軽減させる行動は、たとえ問題に対する解決策としてミスマッチだったとしても、問題を明確にする近道なのかもしれない。問題を明確にできなくても、明確にする努力はすべきである。

問題とは結局、行き着くことのできない蜃気楼のようなものである。問題に手をこまねいて強いストレスを感じたり、解決策を実行して結果として徒労感しか得られなかったりするかもしれない。問題と解決の繰り返しに疲れたとしても、そもそも問題とはそういうものだという、諦めが必要なのかもしれない。

ライト、ついてますか―問題発見の人間学

ライト、ついてますか―問題発見の人間学