最近、自分の問題発見能力に執心している。
なぜならば、問題解決能力は重要だが、それよりも先だって、問題発見能力が重要になることに気付いたからだ。その気づきについては、以下の記事でも言及しており、この気づきが、問題発見能力に執心する発端となっている。
そこで、自分の思考を進めるために「問題発見プロフェッショナル」を読んだ。
問題とは、あるべき姿と現状のギャップである
本書では、あるべき姿と現状にギャップがあるから問題が存在すると説く。とはいえ、ほとんどの場合、あるべき姿や、現状の存在よりも先だって、まず問題が存在していると思う。人間の思考や感覚は不思議なもので、あるべき姿や現状に無頓着でも、なぜか問題の存在は感知する。それはいわばストレスとして人間に働くから、人間は問題を解決するか逃げるかの選択を迫られる。あるべき姿や現状よりも問題が先行するのは、人間の生物としての本能なのかもしれない。
ここで、問題とは理想と現実の差だという定義に戻ることができる。問題があるということは、理想があるということなのだ。現実は誰にでもあるが、理想を明確に答えられないことは多い。問題の定義から考えれば、理想を完全に捨て去れば問題も消失する。しかし、問題を全く抱えていない人などいないだろう。つまり、理想は知覚されていないだけで、無意識のうちに存在しているのである。
私にとって、問題発見能力とは、ストレスの要因となっているであろう、無意識の中の解像度の低い問題を、明確にする能力の事であった。それは、理想と現実という二つの変数に、自らの理想と現実を代入し、問題を得るというものではない。問題は理想や現実よりも先だって存在しているからだ。確かに、理想と現実の差が問題となるのだろう。著者は、あるべき姿と現状を明確にすることで、問題が明確になると言っている。しかし、私の感覚では、まず問題を明確にすべきであり、あるべき姿と現状を明確にすることは、確かめ算を意味している。この感覚の違いは、私が人間個人の問題を対象としているのに対し、著者は企業相手のコンサルティングを想定しているからかもしれない。
私は、問題発見能力、つまり無意識の中の問題を明確にする方法を、過去に一つ学んだことを思い出した。秘かに私が私淑する結城浩は「ロビンソン式悩み解決法 」というのを紹介している。これは、簡単に言ってしまうと、自分が問題だと思っていることを、箇条書きで紙に書くという。ただそれだけのメソッドなのであるが、これを思い出したように時々やってみると、自分の思考が進展する場合もあるのだ。問題に対する、ズバリ解決策が思いつけば上々だが、そこまでいかなくても、問題の解像度が増したり、問題だと思っていたことが実は問題ではないことに気付くことがある。
方法として問題を明確にするのは簡単なのかもしれない。紙に書くだけなのだから。では、なぜ私の問題を含めて、多くの問題はふたをされたまま、明確にならないのか。
問題が悪魔のように怖い
問題を発見できない典型的なパターンの一つとして、著者は「現状が明確ではない」を挙げている。現状を把握できないスキルの問題もあるだろうが、根源的でよりクリティカルなのは、現状を直視できないという意志の問題だろう。
問題がなかなか解決されないのは、単純に人間が問題を恐れているからだ。誰だって、問題のない人生を送りたい。自分の頭の中にある問題を明確にする行為は、ある意味では、自分で自分の問題を生み出しているのと同じ感覚である。現状から目を背ければ、問題を見なくて済む。問題とは人間にとって、かくも恐ろしいものなのだ。
理想が見えていない、あるいは見誤っている
当然のことながら、「あるべき姿が明確ではない」というのも、問題を発見できない典型的なパターンの一つになる。あるべき姿が明確ではないというのは、あるべき姿そのものをイメージできていない場合と、あるべき姿を間違って捉えている場合がある。
著者によれば、「あるべき姿」を自分で考えるようになったのはつい最近のことだという。バブル期、高度成長期、戦後、戦前と時代を遡るほど、「あるべき姿」は社会から与えられていた。自分のあるべき姿を考える人はどの時代にもいただろうが、時代を遡るほど少数だった。しかし、社会は物質的にどんどん豊かになり、結果として価値観の多様化は進み、あるべき姿を自ら構想する時代になった。自ら構想しなければならない時代といっても良い。あるべき姿をイメージするのが難しいのは、新しい時代に直面しているからであり、当然のことなのだ。
あるべき姿を間違って認識している場合もある。それは勘違いとも表現できる。社会は常に変化しているし、自分自身すらも変化しているから、あるべき姿が絶対的な定点ということはない。自分と周囲の変化に合わせて、あるべき姿も変化するから、あるべき姿を固定的にとらえていると、どんどんずれていくことになる。あるいは自分自身の先入観や常識によって、あるべき姿を歪んで捉えている場合もある。
HOW ではなく WHY
本書の後半の3分の2を占める第三部は、正直なところあまり必要ないかもしれない。第三部は、第一部、第二部の WHY に対する HOW をまとめたものだ。問題を分析するためのツールや、思考のフレームワークを演習問題付きで紹介している。
著者も言っているように、あるべき姿を映し出す魔法の鏡は存在しないし、問題を発見するための都合の良いブラックボックスも存在しない。ツールやフレームワークを使ったとしても、結局は自分自身が深く考えなければいけないのだ。
HOW は甘い蜜のような匂いがする。でも、HOW を知ったからといって、HOW が使えるわけではない。HOW を使いこなすには、相当の鍛錬が必要なのだ。ビジネス書を読んでも、多くの場合、何も変わらないのはそのためだ。ビジネス書を読んで、すぐに変えられるものがあるとすれば、それは WHY だ。つまり自分のマインドセットだ。
- 作者: 齋藤嘉則
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