弥生研究所

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【読書感想文】清く正しく、殺人者

いかにもタイトル買いしてしまいそうなギャップのあるタイトル。かくいう私も、そのタイトルのギャップに惹かれたからこそ、手に取ったのだった。ただ、その期待に応え得られる内容だったかというと怪しい。残念ながら、ちょっと物足りない、というのが、率直な私の感想である。

あらすじ

今は足を洗ったものの、昔は組織の暗殺者だったという過去を持つ氷川。今では、会社経営に成功し、結婚はしていないものの、高校生の一人娘、沙織がいる。しかし、沙織は氷川の実の子ではなく、沙織の実の母を殺したのが、氷川本人であった。この事実は氷川最大の秘密だった。もちろん、その秘密を知るものは、本人を除けばごくわずかしかいない。氷川と沙織の身の回りで、不審な出来事が起こり始めたのは、氷川が再び過去と対峙し、過去に決着を付けなければならないことを意味していた。

清く正しく、殺人者?

「清く正しく、殺人者」というタイトルにはギャップがある。清く正しいことと、殺人者であることは、普通はどうやっても共存しない。著者はそのギャップに面白さを見出したのだろう。しかし、そのギャップが、物語の中で上手く解決されているかというと、疑問が残る。

「清く正しく、殺人者」というタイトルを体現しているのは、おそらく主人公である氷川だろう。腕利きの殺し屋でありながら、足を洗って公私ともに成功しているように見える男。歳は五十そこそこで独身であり、男前ときている。自社の社員といえども、若い女に手を出すことに躊躇しない。物語は、いわば氷川の魅力を原動力に進展している。

ところが物語では、登場人物の人間性や内情に対する深入りがほとんどない。氷川は足を洗っているのだから、過去のことを悔やんでいるのだろう。しかし、その氷川の葛藤が描写されることがないから、彼の心の状況はひどく表面的にしか分からない。これは全ての登場人物に全体的に当てはまるから、起きている出来事が表面的で淡々と展開していくだけになる。それぞれの登場人物に感情移入する材料が少ない。なので、登場人物がとる行動の選択肢に、必然性や重みを感じにくい。

クール、といえばそうかもしれないが、物足りなさも感じる。例えば、安井良子は、なぜあれほどまでに氷川に忠実なのか。そして氷川も安井をなぜ信用しているのか。何故、安井は氷川の過去を知っているのか。さらには、沙織はなぜ実の父親である宮田を殺せたのか。自分と妻を捨てて自分だけ逃げた悪党とは言え、初めて会った実の父親を、初対面といってもいい出会いの中で殺せるだろうか。

当たり前のように人が殺されるので、倫理観が欠如した物語とも感じる。殺人という特別な出来事に、物語上、特別な重みづけがされないから、人の命が軽く扱われているような感覚もある。恩田の死を目撃した主婦の夫が殺される場面や、佐田が宮田に殺される経緯は、展開として軽すぎやしないかと思う。

氷川は清く正しい殺人者なのだろうか。その答えを得るには、人物描写が薄すぎるのだ。

テンポの軽快さ

一方で、人物描写の軽薄さは、物語上のテンポの軽快さに寄与している。前半の各エピソードで続々と登場するキャラクターたちは、一見別々のステージに居るが、物語が進むにつれて、それぞれが絡み合っていく。そして、最終的に物語に決着をつけるのが主人公の氷川である。その展開に軽快さを与えるためには、人物描写の物足りなさは割り切るべきなのかもしれない。

特に難しいことを考えずに、ただエンターテインメントして、娯楽として、単純に文字を追っていく。それがこの小説を読む、清く正しい方法かもしれない。