チームって良いよね。良い響きだなあと正直に思う。私は、フリーランスとして、一匹狼的な働き方や生活をしているから、チームに対するあこがれが単純にある。ビジネス書かと思うような「the TEAM」という抽象的なタイトルからは、内容は想像しにくい。読後に、「the TEAM」というタイトルについて考えたとき、一般的なチームというよりは、むしろ、攻殻機動隊の荒巻大輔が表現したチームのあり様を彷彿とさせた。
我々の間には、チームプレーなどという都合のよい言い訳は存在せん。 あるとすればスタンドプレーから生じる、チームワークだけだ。
攻殻機動隊は、すごい作品だと思う。今見ても面白い。
「the TEAM」というタイトルが意味するチームの特殊性が、上述の荒巻大輔の言葉を思い出せたのだ。つまり、「the TEAM」におけるチームとは、そこらのチームとは一味違う意味を持っていた。
あらすじ
今や知らない人はいないであろう霊能力者、能代あや子。それもそうだ。彼女が霊視すれば、相談者の問題は根本から解決してしまうのだ。そのさまをTV局が放映するから、盛況しないほうがおかしかった。なかには、能代あや子の霊能力に疑問を持つ者もいた。霊能力などは存在も、非存在も証明できないから、その手の主張は当然あるものだった。ところが、霊能力者である能代あや子本人もまた、霊能力を全く信じていなかった。能代あや子が発揮する霊能力は、彼女のスタッフの非合法な調査の上に成り立つものだった。強力な調査能力を背景に、クライアントとその周囲を徹底的に調べ上げ、クライアントの悩みに対する回答を、霊視という形で提供していたのだ。
広告代理店に勤める桂山は、霊能力を信じない典型的な人間だった。その思考はいささか過激で、霊能力のインチキを喧伝するウェブサイトを、自ら運営していた。桂山はゴシップ記者の稲野辺と手を組んで、能代あや子の霊能力がインチキであることを暴こうとしていた。彼らの計画はこうだ。まず、心霊写真を偽造する。そして、それを持って一相談者として、能代あや子の霊視を受ける。そこで、能代あや子が霊視の結果を述べるようであれば、心霊写真が偽造であることを明かし、能代あや子の霊能力を追求する。TV局が収録をカットするようなら、TV局すらも巻き込んだ騒ぎにする算段だ。
能代あや子の一党は、彼らの計画に気付いていた。のみならず、桂山の周囲と過去を調査した結果、桂山の妹が過去に自殺していたことを突き止めた。そして、妹の自殺の原因が自分にあるという、桂山の心の負い目を見つけ出した。しかし事態は思いがけない方向に進展する。能代一党が妹の自殺について調べるにつれ、どうやら妹は自殺したのではなく、他殺だったのではないかという事実が浮かび上がってきたらだ。収録当日、能代あや子のインチキを暴こうとする桂山の計画は失敗に終わる。心霊写真が偽造であることを見破られただけでなく、妹の自殺が負い目になっていることを言い当てられ、さらに能代あや子は妹は自殺ではないと言う。その始終をTV局が放送するものだから、世間は大騒ぎである。ついに警察も動き、桂山の妹は他殺であることが明らかになり、真犯人が逮捕されることとなった。
少数精鋭
ザ・チーム。能代あや子たちはチームで動いている。探偵のように張り込みや、聞き込みを行い、さらには住居侵入までこなす草壁賢一。IT技術に長け、サーバーへの侵入をこなす藍沢悠美。能代あや子のマネージャーを務め、チームのまとめ役として鋭い分析をする鳴滝昇治。そして、草壁たちの調査結果を、機転の利いた霊視体験として言葉にする能代あや子。
彼らは自分の職能に合わせて主体的に動き、各人がリーダーシップを発揮する。彼らの役割分担は、必要十分であり、適材適所となっている。少数精鋭とはまさにこのチームのためにあるような言葉である。まさに理想とも呼べるような組織といえる。サークル活動から中小企業まで、世の中にはたくさんの組織があるが、彼らほど効果的な組織はそうそう無いのではないか。
彼ら4人がどういう経緯で集ったのかは、残念ながら語られることがない。ただ、彼らは生活費を稼ぐためだけに組織に属しているのではない。彼らは彼らなりの自己実現をするために組織を構成している。彼らの自己実現の結果が、組織に一体感をもたらしている。藍沢悠美は正義感の塊だ。能代あや子は事故で視力と、聴力を失った過去を持つ。鳴滝昇治も厳しい幼少時代の記憶がある。その点、草壁健一は唯一いっさいの背景が語られず、もっとも現実的なものの見方をしているかもしれない。しかし、4人全員が人生になんらかの負い目を持ち、それでいて不屈の精神を持っていた。
彼らは、4人全員が自分の意思で見るべきものを決めているのにも関わらず、4人全員で同じ方向を見ているのだ。その方向が正義であり、弱者救済である。彼ら4人が、それぞれ社会的弱者の経験を知っているからこそ、それが原動力となっていた。
彼らが、個人の私利私欲で動いていれば、遠からず仲間割れを起こし、到底チームなど機能していなかっただろう。彼らも、今の霊能力者稼業が長く続かないであろうことを全員が自覚していた。その自覚は良心そのものである。そして、潮時が来たとき、ずるずると引きずらずに、綺麗に消え去る。それができたのは、彼らに正義があり、その正義によってチームが成り立っていたからだ。
善悪の議論
彼らが動けば、世の中が見落としていた真実が明るみになる。その爽快さは、この物語を一貫する感覚でもあり、登場人物の草壁たちが感じる達成感でもある。
しかし彼らは、調査の手段として非合法な行為を行っている。物語では、住居侵入して調査を行う様や、サーバーへ侵入して情報を入手・改ざんする様が描かれている。また、能代あや子が探偵めいた調査の結果を、霊視体験の結果として語るのは、犯罪かどうかは置いても、倫理的にグレーだろう。彼らは、手段として間違いなく非合法な行為をおこなっているのだが、彼らが個人的な私利私欲で非合法な手段を使っているわけではないことは、物語で一貫している。そして、結果として、彼らの霊能力者稼業が、世の中の暗部に光を照らし、人の心の暗部に光を照らしてきた。
彼らが手段として行った犯罪行為は決して褒められたものではないが、では断罪されるべきかというと、そうでもないのではないかと思ってならない。そこで、犯罪について少し調べたことを述べたい。
まず、犯罪とは、構成要件、違法性、有責性の3要素を満たして成立する。構成要件とは、犯罪の形式に行為が合致するかを意味する。これは非常に明解だが、形式的であるため、続いて違法性や、有責性について吟味されることになる。違法性は、犯罪の構成要件を満たした行為に違法性があるかどうかを意味する。例えば、刑務官の死刑執行は殺人の構成要件を満たすが、違法性がないため犯罪として成立しない。正当防衛などもこれに当たる。有責性は、その行為が行為者の自由な意思によって為されたかどうかに着目し、その責任を行為者に問うことが妥当かどうかを意味する。例えば、行為者が精神疾患を患っていた場合、有責性がないため処罰の対処とならない。
物語上で、家主の許可なく住居に侵入する草壁の行為は、住居侵入の構成要件に当てはまり、その行為は本人の意思によるものなので有責性がある。一方で、違法性については、多少の疑義がある。確かに、住居に侵入される側が抱くであろう気持ちの悪さを考えれば、住居侵入の行為そのものに悪性(違法性)がある。しかし、草壁は調査のために侵入しているので、何かを盗んだり壊したりすることはなく、侵入した形跡すら一切残さない。さらに、侵入の結果として実害がなく、侵入時の調査結果に基づいて依頼人に有益な結果がもたらされるのであれば、違法性が問われる結果は住居侵入によって生じていない。
稲野辺の妻は、執拗に能代あや子を追求する夫に対してこう言う。
だって、能代あや子さんのどこが悪いの? インチキ臭い霊能力者っていっぱいいるんだろうし、悪いことして人を騙してお金取っている人もいる。でも、能代あや子さんは、いままで世の中の役に立つことばっかりしてきた人でしょ(中略)あたしだって、なにがなんでも能代あや子さんのやり方が正しいとは思わない。でも、彼女のおかげで幸せになった人がたくさんいるのよ。彼女はうそつきかもしれない。だけど、その嘘が、いろんな人を勇気づけたり、助けたりしてきたわけでしょ?
彼女の感想は、まさに能代あや子たちの違法性について言及し、違法性を問うことに疑問を投げかけている。
私は彼らをよく知っているが、大衆の一人として彼らを見たらどう見えるか
私は、彼らを非難することは出来ない。一方で、彼らが最後に足を洗う(?)のは正しい姿だとも思う。ただし、それは私が彼らのことを、よく知っているからかもしれない。私は霊能力については存在も非存在も信じていない。もし、TVを介して能代あや子の霊能力を視聴する一視聴者であったなら、なんらかのヤラセの存在を疑うかもしれない。そして、30分8万円という高額なコンサルタント料。霊能力者として謎に包まれたプロフィール。材料を上手く料理すれば、能代あや子を私利私欲にまみれた業突く張りの婆として仕立て上げることもできるかもしれない。事実、稲野辺はそれをやろうとしたわけだ。
毒を持って毒を制す。この感覚にデジャブを感じ、ザ・チームとペルソナ5が、よく似ていることを思い出した。
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ペルソナ5は、他人の心に侵入し、ゆがんだ認知を改心させるストーリーだ。必ずしも正しいとは言えない手段で正義を行う点において、「ザ・チーム」と「ペルソナ5」はよく似ている。毒を持って毒を制していることを、公表することは出来ないから、ペルソナ5では登場人物は世間に対して完全な匿名性を維持し、ザ・チームでは霊視という超常現象に偽装している。
奇しくも、情報操作されかねない大衆の存在によって、自分たちの存在を消さざるを得なくなるエピローグも共通している。もし、能代あや子たちが実際に居たとしたら、私は大衆の一人として、彼女たちをどのように見るのであろうか。
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