弥生研究所

人は誰しもが生きることの専門家である

許可より謝罪

許可より謝罪という言葉、価値観があります。

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この言葉は、3Mの社史にあるようです。

It is easier to ask forgiveness than permission. With a sincere attitude toward one’s work, the chances of doing real damage or harm are small. Consequences from bad calls, in the long run, do not outweigh the time waiting to get everyone’s blessing.

意訳をすると、

善意に基づいて仕事をしていれば、致命的な結果をもたらす可能性は低い。 誤ったことによる時間の消費が、許可を得るために要したであろう時間を上回ることは無い。

というものです。

この言葉を知って、私は過去のある仕事のことを思い出しました。率直に言って、この言葉、もっと早く知りたかったな、と思います。

以前勤めていた会社は小さな会社で、かといってベンチャーでもなく、よくある零細企業だったのですが、その社内で利用する業務システムの開発、保守を私が一人で行っていました。その業務システムは一言でいえばグループウェアなのですが、巷にあふれているようなフルスタックなものではなく、もっと業務に密着した小さなシステムでした。でしたというよりも、シンプルさや簡潔さこそシステムの堅牢性だと思う私の価値観が、意図的に小さなシステムに方向づけていました。

そして、一度作って業務が動いてしまえば、そのシステムに対してやらなければならない改善、改良は業務そのものが変わらない限り基本的にはなくなるわけです。開発作業は定時外の時間を利用して行っていましたが、当時の私はモチベーションがありました。要望としてちらほら聞いていた新しい機能を追加しようと上司に提案、つまり開発とリリースの許可を求めました。しかし、上司はそこで決断をせずに、さらに上に許可を求めることになるがやるかどうかを私に確認しました。私はその時点で、なぜか興が覚め、いったん練り直しますと言い、案を引っ込めました。

その機能はなければ業務が回らないというものではありませんでした。しかし、要望として声があったわけですから役に立つことは確信していました。定時外で作業している以上、時間的な効率は最大限優先したい。しかし、許可を求めていくと、開発を始める前の仕様を納得させる時間がかかってしまう。私としては、まず作ってしまい、それが役に立てば万々歳。役に立たなければ削除するだけ、というようにしたかったわけです。私が、たとえ箸にも棒にも掛からない機能を作っても、開発が遅れたとしても、ユーザーには迷惑が掛からないわけですから。そして、もし許可を求めなければ実際にその通りになったはずなのです。許可より謝罪。あの時にこの言葉を知っていたら、間違いなく私は許可を求めずに開発しリリースしていたと思います。

そもそも許可を求めるのは何故でしょう。会社は組織です。組織であれば各々に与えられた役割、つまり責任と権限があります。したがって、許可を求めるのは自分の責任と権限では判断できないと判断するからです。では、当時の私は開発とリリースの責任がないから許可を求めたのかというと、何か腑に落ちないものがあります。私一人で開発していたので、当然のことながら私は root のパスワードに始まるシステムの全てを知っていました。それは名目上はどうあれ事実上、会社から責任と権限を与えられていると考えて良いように思います。

あとは、許可を求めるという行為は責任と権限を分散させます。許可を求めるほうは、失敗したプロジェクトは許可されたものだと免罪符にしがちですし、許可を求められたほうは、失敗したプロジェクトを許可した自分という可能性を考えます。また、責任を分散させることは同時に権限も分散させてしまっているという点には、案外気づきにくいかもしれません。自分の権限が減じれば自分で判断できることが少なくなる、つまり自分だけで決められないことが増え単純にやりづらくなります。そう思うと、許可を求めた私の行動は、自分で自分の首を絞めてしまったとも言えます。人に仕事を任せる難しさ、責任と権限をデリゲーションすることの難しさをつくづく思い知らされます。責任と権限が明確でなければ、すべての出来事に対して上にお伺いを立てなければなりません。責任と権限が明確でなければ、責任と権限を持っていないのと同じです。役割が明確ではない組織図や体制図を見るたびに本当にぞっとします。

しかしながら、私もリーダーや上司を経験してきたことを言えば、デリゲーションは本当に難しい。むしろ、不完全なデリゲーションが通常の姿といっても良いかもしれません。役割が不明瞭な中、許可を求るべきことが何なのかわからないのであれば、自分ができることは善意のもとにやってしまえ、という処世術が「許可より謝罪」ということなのでしょう。まあそれで「何を勝手にやっているんだ」と怒られたりすると、こちらはまたイライラしてしまうわけですが、許可を求めてほしいんだったらちゃんと責任と権限を明確にせよということですからね。