弥生研究所

人は誰しもが生きることの専門家である

システム開発における不安と自信

古賀史健というライターを知った。 知ったというのはあくまでも著書で知り得たという意味だけど。

興味を持ったのは、著書の「20歳の自分に受けさせたい文章講義」を読んだからで、特にプロフィール欄に共感したからだった。

かねて映画監督を夢見るも、大学の卒業制作で集団作業におけるキャプテンシーの致命的欠如を痛感し、挫折。一人で創作可能な文章の道を選ぶ。

キャプテンシーという言葉は今回初めて知ったのだが、私も自分のキャプテンシーのなさを意識していたことがある。 私がサラリーマンを辞めてフリーランスなった動機とちょっと重なったのだ。

それで、興味をもって公式サイトを拝見したら、以下の記事を見つけた。

office-koga.com

面白いなあと思ったので、私も不安と自信に対して、システム開発に従事する技術者として一つ意見を述べたい。

何が面白いと思ったのかというと、私は技術者で、彼はライターだということ。その違いから来るものの見方や、価値観の違いが興味深かったのだ。

私は、自信満々な受け答えをする技術者をほぼ信用しない。金輪際信用しないというよりは、眉に唾を10回くらいつけて、まずは接する。システム開発をする技術者は、臆病なくらい慎重じゃないと生き残れない。私はそう思っている。自分が不安なことは共有して、相手も不安にさせたほうが良い。たとえ客であろうとも、その危機感を一致させなければならない。

このような違いがなぜ生まれるかというと、それはおそらく扱う商品の性質によるものだと思う。

システム開発はビジネスであってビジネスでないような、そんな側面がある。ビジネスであることには違いないんだけど、需要と供給の原理がもっと公共事業にちかいような印象があるのだ。システム開発には失敗はほぼ許されない。失敗したら売れませんでした、というレベルではない。顧客と業者のどちらかが不安を軽視すると、売り上げが立つかどうかの問題以前に、賠償責任が発生するかどうかの問題にまで発展する。イチかゼロかの世界ではなく、イチかマイナスかの世界である。失敗したら既存の業務すら停止しかねないから、建前上はシステム開発に失敗はないのだ。SI 業界がブラックとも表現される原因の一端はここにある。

ただ、こういった不安の姿勢で商談に臨んで、仕事がとれるかというと、残念ながら取れない。技術者の不安に対する価値観を共有してからでないと、不安を見せられたお客さんが、この人に任せて大丈夫なのかなと思うのも、仕方がないことである。たから、時に自信満々を演じる必要があることは知っている。

あの時できるって言ってたじゃないか! と責められる状況は今までに見たことがある。それが裁判沙汰にまで発展する事例だってある。システム開発は、正直言って怖い。

また、システムは業者が一方的に作るものではない。システム開発はまぎれもない「ものつくり」だが、製造業よりもサービス業としての側面があるのはこのためだ。顧客との共同作業がなければシステム開発は失敗する。顧客が、システム開発は任せたからと、業者に協力する姿勢を見せないと、使えないシステムが出来上がる。システム開発をする私たちが、我々にお任せくださいと言って、本当に任せっきりにされちゃうと、システム開発は成り立たないのだ。システム開発の感覚を知らないお客さんだと、まずこの価値観のずれから修正しなければならない。

私は、そもそも性格が慎重なので、不安と自信のバランスをとることの難しさには、常に悩まされてきた。たしかに自信がなければ仕事は取れない。でも、取った仕事に対しては、抜群の信頼を得てきているという自信だけはある。フリーランスでやっているとはいえ、私はビジネスマンというよりも明らかに職人気質だから、そんな自分に展開できるビジネスは何かということを常に考えている。