弥生研究所

人は誰しもが生きることの専門家である

何事にも目標と計画があったほうがいい

どんなことをするにも目標と計画があったほうがいいかもしれないと、最近強く思う。

仕事は特に言うまでもないかもしれない。 会社員の場合は、目標設定や計画の作成は、自分以外の誰か、例えば、上司やリーダーやマネージャーが行うかもしれないが、自分の作業のスコープなら、自分なりの目標を設定して、そのための計画や段取りを考えると思う。私はフリーランス個人事業主だから、自分で自分をマネジメントする割合はさらに大きくなる。フリーランスの場合、目標と計画の管理をおろそかにしてしまうと、一日、何も進捗せず、何も成果を得られないこともあり得る。

やばい、今日一日、まだ成果と呼べるものが何一つない……。そういった危機感は結構重要で、問題を解決するには、まず問題を鮮明に認識する必要があるのと似ている。問題を解決する能力よりも、問題を認識する能力のほうが重要だったりする。一人で仕事をしていると誰も問題を指摘してくれないのだ。目標と計画は、自分で自分を監視するための方法、道具とも言える。

仕事ですら、そんな反省を繰り返す日々なのだが、目標と計画という道具は、仕事だけでなく、趣味や娯楽でも役に立つ。なんとなく惰性でゲームをして、時間を消費することが勿体ない、という感覚を感じたら、今遊んでいるゲームプレイに、目標と計画が存在しているかチェックしたい。ゲームだけじゃない。ほとんどの活動において、今やっていることに目標と計画が存在しているか常に意識しよう。趣味や娯楽なら、目標設定も立派なものでなくていい。何かの役に立つとか難しいことは考えずに、自分が満足できるものであればそれでいい。

一日、いや一時間ずつ、小さな成果を積み上げていこう。「蹞歩(きほ)を積まざれば、以って千里に至るなし」という。難しい言葉で申し訳ないが、荀子という古代中国の思想家の言葉だ。この言葉は、宮城谷昌光三国志で教えてもらっただけなので、荀子が誰なのか私もよく知らない。あるいは老子も言っている。「千里の行も足下に始まる」と。蹞歩は足を一歩前に進めることを意味し、足下は足元の一歩を意味する。