弥生研究所

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解説『ハイペリオン』詩人の物語

ハイペリオンの六つの物語のうち、三つめの詩人の物語について紹介、解説します。 詩人の物語は、一言でいうと……形容するのが難しい物語です。それは語り手の枠にハマらない性格によるところが大なのですが、言い換えれば人を選ぶのではないかと思われる物語です。詩人の物語は、シュライクの存在にもっとも近づいた物語であると同時に、地球を飛び出して星々を開拓し続けた人類の歴史をなぞる役割を持っています。

前回の物語はこちら。

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詩人の物語:『ハイペリオンの歌』

 巡礼者の名は、マーティン・サイリーナス。はじめに言葉ありき。サイリーナスは自らの物語をそう始める。サイリーナスが生まれたのは、今はオールドアースと呼ばれる地球、生きてその姿を見たものはいないであろう地球であった。かつての地球は、キエフの研究チームがミニブラックホールを地球の核に落とすという<大いなる過ち>によって、すでに失われていた。とはいえ、地球が消滅するまでに一世紀以上の時間的猶予があった。その間、地球は小康期と劇症期と呼ばれる期間を繰り返し、劇症期には惑星規模の大地震が頻発したものの、十カ月から十八カ月ほどの小康期の期間は、まだ地球は居住可能であった。もちろん、この頃には<聖遷>によって人類のほとんどが惑星外へと飛び立ち、地球に残っているのは、一部の奇特な人間か、地球に既得権益をもった富裕層であった。サイリーナスはその後者として地球に生まれた。サイリーナスが生まれたころには、人口は北米大陸だけでも八千人ほどしか残っていなかった。

 サイリーナスの生家はいくら富裕層とは言え、地球での奢侈な生活により借金は嵩み、いよいよ地球も終わりだという頃になって金融機関が取り立てに動くと、家計は破産寸前になった。サイリーナスの母は、残った財産を長期の預金に入れ、サイリーナスをヘブンズゲートへと旅立たせた。サイリーナスがニ十歳の時である。それも光速よりもはるかに遅いラムシップに乗せて。サイリーナスの母の読みでは、片道百六十七年の間につく利息は、負債を返済しても余りあるものになっているはずだというものであった。

 しかし、サイリーナスがヘブンズゲートに到着するころには、とうの昔に預金口座は凍結され資産は没収されていた。おまけに、粗野な冷凍睡眠のおかげで、解凍されたときには脳卒中を起こし、言語機能に障害が残った。サイリーナスが使いこなせる言葉は、九語だけだった。障害のある身一つ以外に何も持たないサイリーナスは、ヘブンズゲートで奴隷にも等しい浚渫作業員として生計を立てた。大昔から、監獄は物書きにとって最高の場所だったとサイリーナスは言う。過酷な労働環境の中で、目に見えるもの全てが拘束されていても、サイリーナスの精神だけは自由であった。肉体労働が辛ければ辛いほど、精神はより高みで解き放たれた。汚泥にまみれ、腐食性の大気におびえる中で、サイリーナスは詩人になった。唯一欠けていた言葉も徐々に戻り始めた。ある非番のこと。サイリーナスは原稿を抱えて図書館に向かっているとき、スラムのならず者に半殺しにされる。幸いなことに、そこに通りかかったのが、ヘブンズゲートのある高官の妻であった。彼女はサイリーナスを病院へ送ると、散らばった原稿をアンドロイドに回収させた。この原稿が人の手を伝ってトランスライン出版社へ届き、最終的に三十億部というベストセラーを叩き出す。サイリーナスは一躍ベストセラー作家となった。

 ところが、その後の文筆活動は鳴かず飛ばずであった。ベストセラーとなった『終末の地球』は、サイリーナスが書いた詩のうち、ノスタルジア溢れる地球の情景だけを抜粋したものだった。そこで、サイリーナスは満を持して『詩篇』を書き上げる。しかし、これが全く売れなかった。出版社の雇われ三文文士として『終末の地球』の続編を書き続けることは、サイリーナスにとって難しいことではなかった。しかし、『終末の地球X』を書き始める頃には、サイリーナスはいいかげんな小説を書き飛ばすことに心底うんざりしていた。酒、ドラッグ、情報、政治、宗教などに傾倒したあげく、ついにサイリーナスは気付く。詩想が消えてしまったことに。サイリーナスは言う。本物の文章を書くこととは、自分の精神が道具と化し、どこからか流れ込んでくる啓示を書き続けることなのだと。

 ついに、サイリーナスはトランスラインとの縁を切り、惑星アスクウィスへと旅立つ。そこは、芸術家たちがひしめく、ビリー悲嘆王の王国がある星だった。アスクウィスでの十年間の生活の中で、サイリーナスはビリー悲嘆王の後援の一対象から、教師、相談役、そして友人の待遇を得るまでになった。ホレース・グレノン=ハイト将軍の反乱が起きたとき、アスクウィスが反乱軍の攻略ルートにあることから、ビリー悲嘆王はハイペリオンへの遷都を行った。ハイペリオンには二世紀前に、より原始的な開拓民が入植していたが、キーツエンディミオン、ポートロマンス、そして<詩人の都>などの主要な都市はビリー悲嘆王が率いる五隻の播種船に乗るアンドロイドたちによって建設された。しかし、その間もサイリーナスの詩想が戻ることはなかった。

 シュライクの伝説はビリー悲嘆王がハイペリオンを開拓する前から、土着の民族の伝説としてあった。最初は<詩人の都>で行方不明者が現れた。しかし、やがて死体が発見されるようになる。ある隠しカメラが、シュライクの姿を撮影した。その映像で初めてサイリーナスはシュライクの姿を見た。奇しくも、シュライクが最初の殺戮を始めたタイミングと、サイリーナスが『詩篇』を再び執筆し始めたタイミングは一致していた。サイリーナスには自覚があった。自らの詩想がシュライクを呼び寄せているのではないかと。結局、サイリーナスの詩想とシュライクの殺戮には科学的な因果関係は見つけられず、シュライクの殺戮も止まらなかった。<詩人の都>はついに打ち捨てられることになる。ビリー悲嘆王は住民を疎開させ、自身はキーツへと移り住んだが、サイリーナスはそれでも<詩人の都>を離れなかった。サイリーナスの詩想は、もはやシュライクの脅威、存在無くして成立しなかったからだ。それから二十数年の間、サイリーナスはシュライクに殺されることもなく、黙々と詩作を続けた。

 ある晩、サイリーナスが自室に戻ると、そこには懐かしきビリー悲嘆王がいた。どうやら、サイリーナスの原稿を無断で読んでいたらしく、ビリー悲嘆王は原稿を絶賛する。そして、最後に書かれた原稿の日付と、<詩人の都>のーーサイリーナスを除いてーー最後の住人がシュライクによって殺害された日付とが、一致していることをビリー悲嘆王は指摘する。どうやらビリー悲嘆王は、シュライクによる流血事件に終止符を打つべく、サイリーナスの詩作を全うさせまいとしてここに来たらしい。ビリー悲嘆王の手には神経麻酔銃が握られていた。サイリーナスは気付くと、地面に横たわっていた。痺れた体で周囲を見渡すと、ビリー悲嘆王が今まさに原稿を焼こうとしているところだった。すまない、とビリー悲嘆王は謝りながらも、狂気は終わらせなければならぬと、原稿を火にくべる。その時シュライクが現れた。現れたというよりもこちらの意識が気付くことを許されたというべきか。あたかも最初からそこにいたかのように、シュライクは立っていた。次の瞬間、シュライクはビリー悲嘆王の手足を爪で刺し貫き、体を高々と掲げた。そして、ゆっくりとビリー悲嘆王の体を抱き寄せた。サイリーナスは、焼ける原稿の傍らにあった灯油の容器を手に取り、ビリーもろともシュライクにぶちまけた。

 サイリーナスは、その後、燃え残った原稿を回収し、燃えてしまった詩を書きなおした。しかし、ついに詩は完成しなかった。再び、詩想は消えてしまったのである。それからはただひたすらに詩想を待った。そのためには、何度もパウルセン(延齢)処置を受けた。違法の亜光速航行に加わって、その度に――記憶がごっそり失われる――冷凍睡眠に入った。ただただ、詩を完成させるために。サイリーナスは自らの物語を締めくくる。初めに言葉ありき。終わりにも、言葉あるべし。

解説

まず最初に、詩人の物語における衝撃の事実は、地球が既に存在しないということかもしれません。今までに語られてきた司祭の物語と兵士の物語では、地球の描写が全くないことが少し不自然ですらもありました。兵士の物語では火星の描写がありましたが、地球の描写は頑なまでにありませんでした。地球がどうなっているのかという疑問を無意識にでも抱いた読者にとっては、この詩人の物語が答え合わせとなります。

何を研究していたのか分かりませんが、キエフに存在していた研究機関が、うっかり小さなブラックホールを地球の中心に落してしまい、以後、そのブラックホールがゆっくりと地球の核を吸い込んでいきました。サイリーナスが生まれた西暦は定かではありませんが、サイリーナスが生まれたころはまだ地球はありました。そして、ヘブンズ・ゲートへの片道167年の間に、地球は消失したと思われます。サイリーナスが最初の『終末の地球』を出版したころには、地球は既に失われ、伝説的な存在となっています。サイリーナスの話によれば、ニューアースやアースIIなどの惑星があり、地球を母星とする郷愁の思いが人類にあることも思わせます。生の地球を見たサイリーナスによる地球の描写と、失われた地球に対する大衆の郷愁が結着した結果、『終末の地球』なるベストセラーは生まれました。

詩人の物語は6つの物語の中でも、時間的経過が長い物語です。サイリーナス自身が数百年に渡って生きているので、個人年表を以下にまとめました。

  • 20歳:地球での生活
  • (この間167年)
  • 20代:ヘブンズゲートでの浚渫労働
  • 20代:『終末の地球』を出版
  • 30代:トランスラインと縁を切り、アスクウィスへ行く
  • 40代:ビリー悲嘆王と共にハイペリオンへ入植
  • 50代:シュライクの出現
  • 70代:ビリー悲嘆王がシュライクに殺される

残念ながら、詳細な西暦や年齢は分かりません。時間経過に関する描写もあるのですが、それが客観的な時間によるものなのか、現地時間によるものなのかはっきりしないので諦めました。24時間=1日、365日=1年というのは惑星によって異なるからです。サイリーナスの話から推測できるのは、おおよその年齢くらいまでとなります。延齢処置を繰り返しているサイリーナスにとっては、年齢などもはや無意味なのかもしれません。

最大の謎は、シュライクとサイリーナスとの関係性についてです。シュライクはサイリーナス達が入植する以前から、初期の開拓民たちにその恐るべき存在を知られていました。しかし、こと<詩人の都>については限りなく<時間の墓標>に近いにもかかわらず、入植以降、シュライクによる被害はありませんでした。ところが、サイリーナスが『詩篇』を再び書き始めたとき、シュライクもまた活動を始めたのです。サイリーナスは自分の詩想がシュライクを呼び寄せた自覚を持っています。

一方、サイリーナスとシュライクの関係性に気付いたのは、サイリーナスだけでなくビリー悲嘆王も同じでした。ビリー悲嘆王は『終末の地球』が、サイリーナスによる純粋な著作ではなく、出版社によって都合よく改ざんされていることを見抜いた芸術的な慧眼の持ち主であり、ゆえにサイリーナス最大の理解者でありました。<詩人の都>でサイリーナスを除いた最後の犠牲者が出たとき、ついにビリー悲嘆王はサイリーナスの詩業を止めるべく、サイリーナスの前に現れます。それは、サイリーナスの才能を愛したビリー悲嘆王にとって苦渋の決断であったに違いありません。

シュライクがサイリーナスを最後まで殺さなかったことや、『詩篇』の原稿が書かれた日付とシュライクの犠牲者が出た日付が奇しくも一致していることなどは、サイリーナスの詩作とシュライクの殺戮に何かしらの関係性があることを思わせます。

サイリーナスはシュライクの存在が何であれ、かつてヘブンズゲートでの過酷な労働が詩想を生み出したように、シュライクの存在とシュライクが生み出す恐怖が詩想には不可欠だと考えていました。ビリー悲嘆王の死を最後に、サイリーナスの詩想は消えてしまいます。ただ純粋に詩想が戻るの待つために、パウルセン処置や冷凍睡眠も行った結果、サイリーナスは詩想を得るにはシュライクの存在が必要なのだという確信に至るのです。

続く。

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解説『ハイペリオン』兵士の物語

ハイペリオンの6つの物語のうち、二つめの兵士の物語について紹介、解説します。 兵士の物語は、一言でいえばアクション映画です。心理描写などのミクロな視点よりも、世界情勢などのマクロな視点で、『ハイペリオン』を導入する役割を持った物語です。

前回の物語はこちら。 yayoi-tech.hatenablog.com

兵士の物語:戦場の恋人

 巡礼者の名はフィドマーン・カッサード。時は西暦1415年、場所はフランス北部のアジャンクール。イングランド王ヘンリー5世は、フランス王位を請求するためノルマンディーに侵攻したものの、フランス軍の頑強な抵抗と疫病によって、イングランド軍は疲弊しカレーへの帰還を企図した。一方、フランス軍イングランド軍の撃滅を目指し、カレーの南50kmでこれを迎え撃った。長弓兵を主力とする七千人のイングランド軍に対して、重装騎兵を主力とするフランス軍は二万人。数で劣るイングランド軍が、三倍の兵力を有するフランス軍を破ったこの有名な戦いは、後世、アジャンクールの戦いと呼ばれる。

 カッサードは、まさにこの戦場の真っただ中にいた。ただしこの戦場は、FORCE がHTNと呼ぶ訓練用に用意した仮想戦場である。仮想世界はリアルの体験とそん色なく、シミュレーションで致命傷を負った訓練生がショック死することもあるほどであった。カッサードは、オリュンポス・コマンド・スクールで訓練を行う若き士官であった。カッサードは、その戦場で後にモニータと呼ぶことになる美しい女と出会う。カッサードが、フランス騎士と一対一の決闘におよび、劣勢に立たされた時、その危機を救ったのがモニータだった。カッサードとモニータは戦場のはずれの森の中で愛し合った。その体験は、仮想世界として用意されたものではないことは明らかだった。モニータはシミュレーションの度に現れた。カッサードは彼女が何者であるのか問うたが、彼女はなにも答えない。ただ、互いに求めるままにセックスするだけであった。コマンドスクールを卒業すれば、モニータに会うことはないのだろうとカッサードは思った。しかし、モニータはその後もカッサードの夢に度々現れた。

 カッサードにとって転機となったのが、ブレシアの戦いだ。アウスターは、連邦の唯一の外患でもあった。とはいえアウスターが連邦にとって全くの未知であったわけでもない。アウスターはしばしば連邦領域の近縁まで接近して資源の採掘などを行い、多くの場合、連邦はこうしたアウスターの海賊行為を黙認してきた。過去の事例を見ても、アウスターとの衝突は小競り合いでしかなく、宇宙空間での戦闘こそあれ、地上で歩兵同士が戦うことは一度もなかった。いわく、アウスターは長らく無重力の宇宙空間に適応した結果、地球型惑星の脅威にはならない、というのが専らだった。アウスターによるブレシア侵攻の始まりも、連邦の弛緩した許容の中で突如として始まった。

 ブレシアには惑星政府が組織する大規模な宇宙軍が存在していたが、それらは二十時間のうちにアウスターによって無力化された。そして、アウスターは宇宙空間から地上の軍事目標を徹底的に破壊すると、二十三日目には二千隻に及ぶ降下艇や強襲艇を主要な各都市に送り込み、地上の制圧を開始した。四十二日目にはブレシア軍の組織的抵抗は終わり、首都バックミンスターは陥落した。後に分かったことだが、アウスターは三世紀の間に確かに無重力空間に適応するように肉体的変貌を遂げていたが、外骨格をまとっているため地上での行動に全く難がなかった。手足が異様に長いクモのような人間が、ブレシアの大地を闊歩したのである。

 カッサード大佐を含むFORCE第一艦隊がブレシアに到着したのは、アウスターの襲撃が始まって二十九週目のことである。FORCEによるブレシアへの”逆”上陸作戦は困難 を極め、FORCEが掲げるニュー武士道の価値観は全く意味をなさなかった。カッサードは瞬時に悟った。ニュー武士道は名誉を重んじ、職務の根幹に義務と自尊心と信義を置いた。FORCEが目指す戦争は、文民を守るための局地的な非全面戦争であり、目標を限定し戦力過剰を禁じた。その価値観にカッサードは共感したものだったが、それらはアウスターに対しては全く価値を持たなかった。ニュー武士道は、人類同士の内患でこそ意味をなし、半ば未知の外患であるアウスター相手には通用しないのである。上陸に成功した八万のFORCE地上軍は、民間人への被害を最小限に止めるためにアウスターを誘導しようとするが、アウスターは民間人などお構いなしに、何の懸念もなく物量でFORCEを攻撃した。宇宙空間においても、FORCEは優勢とはならず、アウスターはブレシア近辺の宇宙空間を維持し続けた。当初、二日で片付くと見積もられた地上戦は六十日に延び、廃墟と化した都市を舞台に、延々と市街戦が繰り広げられた。FORCE部隊八万は損耗し、最終的には延べ三十万の増援が投入された。九十七日目にして、ついにアウスターが撤退を始めたころには、カッサード大佐には「南ブレシアの死神」なる異名が付いていた。その死中で、カッサードはモニータのリアルとも区別のできない夢を見続けた。

 皮肉なことに、九十七日の激戦を無傷に乗り切ったカッサード大佐は、その二日後に瀕死の重傷を負った。解放されたバックミンスター市のホールで、報道官の質問に応答しているとき、アウスターが残したブービートラップがさく裂したのである。爆風によってカッサードは吹き飛ばされ、崩れたがれきの下敷きになった。カッサードは良くも悪くも時の人となっており、その容赦のない作戦指揮には批判が集まっていた。カッサードは戦争犯罪の罪に問われる可能性があったが、政府首脳はカッサードを英雄と考えていた。結果として、カッサードはホーキング駆動の病院船に収容され、ゆっくりと<ウェブ>へ送り返された。カッサードが治療を追えて<ウェブ>に戻る頃には<ウェブ>では航時差で十八カ月が経っている。そのころにはカッサードへの批判も収まっているだろうと目論んだのだ。

 しかし、その病院船は、ハイペリオンを経由するときアウスターの攻撃を受けた。奇蹟的にカッサードは命を取り留めたが、攻撃によって病院船は制御不能の棺桶と化し、何かしら手を打たなければ、カッサードは死んだも同様であった。だが、アウスターがスクイドと呼ばれる小型艇を病院船に接舷させたのが、カッサードにとって不幸中の幸いであった。カッサードはアウスターの海兵隊員を危機的な状況にもかかわらず手際よく無力化し、一隻のスクイドを単独で拿捕する。そして、ハイペリオンの大気圏へと突入した。

 カッサードが気付いたとき、そこにモニータがいた。そこは、ハイペリオンの<詩人の都>であり、モニータはカッサードを<時間の墓標>へ案内した。モニータは、<時間の墓標>は時を遡っているのだと説明する。そしてカッサードにとっての過去はモニータにとっての未来なのだとも言う。モニータが指をさす方向には、鋼鉄のとげに覆われた大樹が立っていた。樹高二百メートルはあるかと思われたが、ホログラムのように揺らいでいる。そして、そのとげには人間や、アウスターや、その他の生き物の死骸が突き刺さっていた。

 モニータはカッサードを銀色の特殊なフィールドで包み込む。そして、カッサードはシュライクを初めて見た。シュライクは二人を先導する。どうやらアウスターの追手が来たらしい。アウスターは二隻の強襲艇を降下させ防御陣地を敷いていた。そこで初めてカッサードは気付いた。時が止まっていることに。モニータはシュライクが時を支配しているのだという。ニュー武士道に対する禁忌を感じながらも、カッサードらは一方的にアウスターを殺戮した。

 殺戮が終わったとき、カッサードとモニータは愛し合った。そしてカッサードが絶頂に達しようというとき、カッサードはモニータがシュライクであることに気付く。カッサードは必至でシュライクとなったモニータから身を引きはがす。カッサードはモニータともシュライクとも分からないものから必死で逃げた。

 ハイペリオン自衛軍がカッサードを発見したのは、病院船が攻撃されてから二日後の事だった。<詩人の都>と<時観城>の間で、裸で重傷を負って気絶しているところを発見されたのである。カッサードはスクイドでハイペリオンに降下した後のことは何も報告しなかった。そして、燬光艦に収容されて<ウェブ>へ戻る途中、カッサードは軍務を離れた。

解説

フィドマーン・カッサードは、連邦の正規軍である FORCE の退役軍人です。連邦の軍人という目線から、連邦や、その軍である FORCE がどのようなものであるのかが、つまびらかになります。

プロローグでグラッドストーンは、アウスターがハイペリオンに侵攻することを匂わせていました。過去のアウスターによる侵略であるブレシアの戦いを、兵士の物語の主軸に置くことによって、もしこのままアウスターがハイペリオンに侵攻した場合、ハイペリオンがどうなるのかを、読者に容易に予測させます。兵士の物語は、現実的な差し迫った問題として、ハイペリオンが直面している状況を、説明する役割を持っています。

つまり、ブレシアの戦いから分かるように、アウスターの侵攻は生易しいものではなく、<時間の墓標>の謎やシュライクの脅威を抜いたとしても、彼らの巡礼の成否は紙一重の行為であることが分かります。一方で、ハイペリオンがただ蹂躙されるだけの状況かといえば、そうではありません。連邦が組織する FORCE 宇宙軍はただの張りぼてではなく、実績のある実力部隊であることは、アウスターとの戦闘の様子によく描写されているからです。

FORCEにはニュー武士道という価値観が軍律と共に根底にあり、この価値観が FORCE の強さでもあり、逆に弱点でもあります。この価値観は軍人階級が生き残るため、歴史の中で必然的に発達したものでした。二十世紀から二十一世紀にかけて、地球では大規模で凄惨な戦争が続きました。軍人が敵国の文民を攻撃するという繰り返しが、やがて軍人と文民の対立構造を生み、軍はその存在価値を徹底的に試されました。その結果生まれたのがニュー武士道という価値観です。

私たちの現代でも、戦争は全面的な戦争から局地的な戦争へと移り変わりつつあり、核兵器や絨毯爆撃を避ける軍事目標主義は浸透しつつあります。戦争は局地化し、非対称化していることから、正規軍よりも特殊部隊の重要性が高まっています。FORCE の存在や、ニュー武士道の価値観は、私たちの想像の延長線上で、進化して生まれたと言ってよいでしょう。

兵士の物語における最大の謎は、カッサードがモニータと呼ぶ女の存在についてです。モニータが自ら説明するところによれば、モニータは未来から遡る存在であり、モニータにとっての過去はカッサードにとっての未来であり、モニータにとっての未来はカッサードにとっての過去であることが分かります。また、<時間の墓標>もモニータと同じように未来から遡ってきているのだとモニータは言います。アジャンクールのシミュレーション内で初めて出会った時(モニータにとっては最後の逢瀬)以来、モニータはカッサードをハイペリオンに導いてきたと言えます。

ハイペリオンでカッサードがファーストタイムでアウスターを殺戮したとき、シュライクはモニータやカッサードと敵対してはいませんでした。そして、最終的にモニータはシュライクへと変貌しました。モニータの目的や、シュライクとの関係性については謎のままです。

カッサードは、自分が愛したモニータが何者なのかを突き止めようとしています。

早贄(はやにえ)の木について、詳細な描写がされるのも兵士の物語の特徴です。説明するまでもないかもしれませんが、シュライクは日本語で百舌鳥(もず)という鳥を意味します。百舌鳥は捕えた獲物を木の枝に串刺しにする習性を持ちます。ただし、『ハイペリオン』におけるシュライクの獲物には、人間も含まれているわけですが……。カッサードは、巡礼者の中に、かつて見た早贄の木に串刺しにされていた人間がいることに気付きます。早贄の木も<時間の墓標>と共に時を遡っているのであれば、これからその巡礼者は、串刺しにされることを意味します。カッサードは、誰が串刺しにされていたのかは語りませんでした。

続く。

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解説『ハイペリオン』司祭の物語

ハイペリオンの6つの物語のうち、一つ目の司祭の物語について紹介、解説します。 司祭の物語は、ホラー担当ともいうべき最も不気味な物語であり、ハイペリオン四部作への導入を担う物語です。

前回のプロローグはこちら。 yayoi-tech.hatenablog.com

司祭の物語:神の名を叫んだ男

 巡礼者の名はルナール・ホイト。パケムというキリスト教の惑星で生まれ育ったキリスト教カトリック派の神父である。ホイトの惑星外での初仕事は、ポール・デュレをハイペリオンに送ることだった。ポール・デュレは、聖職者であると同時に、考古学者、文化人類学者としても高名で、将来の教皇を目されるほどの人物だった。しかし、デュレは汚職によって失脚することになる。破門がささやかれるなか、デュレに下された決定が、辺境のハイペリオンへの赴任であった。いわば左遷である。ホイトの役目は、デュレが任地へ赴任するまでの監視役だったのである。

 パケムとハイペリオンを往復するのに必要な時間は、パケムの時間で8年であった。ホイトがデュレをハイペリオンに送り届けてから、また4年の歳月をかけてパケムにとんぼ返りすると、デュレは4年前にハイペリオンに到着して以来、行方不明であることが明らかになる。そして、ハイペリオンの現地当局もデュレを捜索したが、ついに探し出せなかったという。ホイトはデュレを捜索すべく、再び4年の歳月をかけてハイペリオンを再訪する。そして、7か月の捜索の後、ホイトはついにデュレの遺骸と、彼の日記を見つけ出した。そして、デュレの日記から、ホイトはデュレの身に起きた真実を知る。

 デュレの日記によれば、デュレはハイペリオン赴任時には既に信仰心を失いかけており、ハイペリオンでの自身の活動には、聖職者としてではなく、文化人類学者としての展望を持っていた。ハイペリオンには原住民族としてビクラ族と呼ばれる存在が確認されていた。数少ない報告によると、ビクラ族は、何世紀も前にハイペリオンへと遭難した播種船コロニーの生き残りではないかと推測された。文化人類学者としての知見を持つデュレは、ビクラ族に興味を持った。ハイペリオンに到着してからおよそ3か月後、ついにデュレは、炎精林の嵐を越え、大峡谷と呼ばれる未開の内陸部でビクラ族に遭遇する。

 しかし、ビクラ族は見るからに不自然で奇妙な存在であった。一様に背が低く、体毛が無い。黒いローブをまとっており、男女の見分けは困難である。表情に乏しく、常に微笑を浮かべているが、知性の欠如、あるいは痴呆の症状が認められた。ビクラ族に遭遇する少し前、デュレが雇ったガイドが殺害された。獣に襲われたという類ではなく、夜中、寝ている間に人の手によって首をかき切られたのだ。デュレが雇ったガイドを殺害したのは、ほぼ確実にこのビクラ族であった。

 ビクラ族がガイドを殺害し、デュレを殺害しなかった理由は、どうやら、デュレが持っていた十字架に関係するらしいことが、ビクラ族の言葉から分かった。デュレによる奇妙なビクラ族の観察日記は続く。まず、彼らには個人の名前が存在しない。自分のこと、あるいは自分たちのことを常に<六十人と十人>と呼ぶ。表情や声からは男女の区別がつかない。子供がいないことはデュレを混乱させた。彼らの外見は年齢不詳であり、若いのか老いているのかすら判断できなかった。さらに彼らの生活には一切の知性が感じられない。無気力で愚鈍であり、食料の採取と、午後の昼寝を除けば、何もしないまま時間を過ごす。デュレが翻訳機を片手に質問をしても、意味のある会話が成立しない。ビクラ族が人間としての営みを数世紀にわたって継続してきたのであれば、デュレの観察は全て異常な光景を呈していた。

 やがてデュレはビクラ族の真実にたどり着く。ビクラ族には、聖十字架と呼ばれる十字架状の物体が体に張り付けられており、これはどうやっても外すことのできない一種の寄生体であった。聖十字架に寄生された人間は、死ぬと聖十字架の能力によって蘇生することになる。死んだ細胞が腐敗すると、聖十字架はそれらを寄せ集めて、再び新鮮な肉体を構成させるのだ。ビクラ族は、長い間、寄生体の能力によって死と蘇生を繰り返してきたのだ。その繰り返しの中で、生殖機能や知性が失われていったのだとデュレは考察する。ビクラ族に子供がないことも納得できる。そして、デュレは自らの体に張り付けられた聖十字架を見ながらも、なんとか正気を保っていた。デュレはハイペリオンの迷宮の中で、シュライクが傍らにたたずむ中、ビクラ族によって聖十字架を授けられたのだ。

 大峡谷を出ようとすれば、聖十字架が痛みを与え、そこから離れることを許さない。ここに居続ければ、やがて死に、そして蘇生するだろう。何回か繰り返せば、ビクラ族と同化してしまうに違いない。デュレは忌まわしい寄生体を調べつくしたが、その機能については手掛かりすら得られなかった。分かることといえば、ビクラ族と聖十字架にまつわる、およそ人間的ではない狂気の事実ばかりであった。やがて、デュレはそんなことはどうでもいいと考えるようになった。もっと重要な問題を気にし始めたからだ。それはつまり、神はなぜこのような存在をお許しになったのか。ビクラ族はなぜこのような形で罰され続けるのか。自分はなぜこの運命に選ばれたのか。正気と狂気の間で、デュレは信仰心を取り戻しつつあった。ついに、デュレは炎精林の雷撃をもって聖十字架を破壊することを決意する。たとえ、その雷撃によって自身は死のうとも、デュレは聖十字架によって人間性を失うことを拒んだのだ。デュレの決心と祈りの言葉を最後に、日記は終わる。

 ホイトがデュレを発見したとき、デュレは炎精林の大樹に磔にされていた。デュレが自分で自分を磔にしたのだ。ホイトに発見されるまでの7年もの間、デュレは磔にされたまま死と蘇生を繰り返した。デュレは日記を入れた石綿草の袋を首から下げていた。ホイトがその袋を取ったとき、同時に聖十字架が落ちた。ついに、デュレは聖十字架に打ち勝ったのだ。

 デュレを捜索するホイトは、デュレと同じような境遇でビクラ族に出会った。ただ違ったのは、ホイトがより組織的にデュレを捜索していたことだ。ホイトがビクラ族に捕らえられた翌日、ホイトのガイドがホイトを救出した。そして、ビクラ族の村を破壊しつくし、なすすべを持たないビクラ族を皆殺しにした。しかし、ホイトの体には、すでに2つの聖十字架が貼り付けられていた。ホイト自身のものとデュレのものが。ホイトが死んだとき、腐敗しゆくホイトの死体からは、おそらくホイトとデュレが復活するに違いない。最初は鎮痛剤が効いた。しかし、年々痛みはひどくなっていき、どのみちハイペリオンに帰らざるを得なかったのだとホイトは悟るのだった。

解説

ハイペリオン四部作の堂々たる幕開けが、この司祭の物語です。

この物語の最大の特徴は、日記形式の展開を全体に貫かせながら、日記形式の物語が持ちうる二つの要素を両方とも取り入れていることです。すなわち、前半は純粋な紀行文として、旅、冒険を通してハイペリオンという物語の舞台を紹介する要素を持ち、後半はビクラ族と聖十字架にまつわる狂気の事実に触れた、ホラー、サスペンスといった要素を持つことです。この二つの要素の切り替わりがまた絶妙で、紀行文としての魅力に惹かれて読み続けたかと思えば、ビクラ族との遭遇辺りで一気に空気が不穏になります。その落差が、司祭の物語のホラー要素をより効果的にしています。

それにしてもハイペリオンは自然豊かな星であることが分かります。人間は文字通り自然の一部を切り開いて農場を興しているだけで、ハイペリオンには人の手が届いていない土地がたくさんあります。放電する雷吼樹、それらが生い茂った炎精林、巨大な山脈や巨大な渓谷が、人間の開拓を阻んでいるのです。

この物語の背景には失墜したキリスト教の存在があります。キリスト教はこの時代の人の信仰心に合致したものではなく、連邦社会の主流からは外れ、古風で孤立し、忘れ去られつつある存在でした。

この物語における最大の謎は聖十字架です。聖十字架は、人の体に寄生し、死んだ肉体を蘇らせる狂気の機能を持った存在で、それ以外の全てが謎に包まれています。この謎は司祭の物語の中で解明されることはありません。しかし、続く『エンディミオン』、『エンディミオンの覚醒』では聖十字架は重要な役割を持ちます。聖十字架は<時間の墓標>やシュライクに次ぐ最大級の象徴であることに間違いなく、キリスト教的な価値観は四部作全体を通して重要な価値観になっています。例えば、後に続く学者の物語では根底にイサクの燔祭があります。残念ながら私はキリスト教について多くを知りませんが、物語をより楽しむにはキリスト教の教養が必要であろうと考えています。

ビクラ族はハイペリオンにおける最初期の開拓民の末裔のようです。デュレ神父の日記では、大峡谷の近くに彼らが乗っていたであろう播種船の残骸を発見したことが記されています。彼らがキリスト教徒であったかは定かではありませんが、その可能性はあります。デュレ神父は、ビクラ族の居住地の崖下で、彼らが信仰する大聖堂を発見します。デュレ神父はその大聖堂をビクラ族が作ったものではなく、数千年、あるいは数万年前に造られたものであろうと推測しています。ビクラ族は、いつしか聖十字架に寄生されるようになり、死と蘇生を繰り返すうちに、知能低下、生殖機能の喪失を引き起こしました。

次に謎めいているのはハイペリオンの迷宮についてです。ハイペリオンは迷宮九惑星のひとつです。連邦統治下の探検可能な数千の惑星を探査しても、迷宮があるのは九つの惑星だけです。それぞれの迷宮が、およそ七十五万年も昔に掘られたものです。迷宮は地中深くに設けられており、地殻を縦横に貫いています。そのトンネルの断面は一辺三十メートルの正方形であり、完璧に滑らかで直線の壁面は、自然が生み出したものではなく、未知の技術によって掘削されたものでした。

デュレ神父に聖十字架が授けられる場面において、迷宮、シュライク、聖十字架が一点に交わります。司祭の物語が投げかける謎は、迷宮、シュライク、聖十字架の存在についてです。

余談ですが、ダン・シモンズの処女作である『黄泉の川が逆流する』は短編でありながら、司祭の物語に通ずる不気味さをもった作品です。この不気味さは、著者の根底にあるセンス、持ち味と言えるかもしれません。長いハイペリオンの物語の初手に司祭の物語を持ってくるあたりに、著者の隠れた意気込みを感じます。

続く。

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解説『ハイペリオン』プロローグ

ハイペリオン』のあらすじと解説を、何回かに分けて記事にまとめたいと思います。

私は事あるごとに SF の最高傑作と言ったらハイペリオン四部作だと、なるべくささやかに主張してきているのですが――SFの金字塔などと評価されている割には――ハイペリオン最高という同士になかなか会ったことがありません。文庫本をいろんな種類の知人に貸したりしてきたのですが、いかんせん反応が悪い。

反応が悪い理由は、SF であることと、長大であることに集約されるのかなと思っています。SFはとにかく読者を置いてきぼりにする傾向があります。現実にはあり得ない科学的な作り話があって初めて SF として成り立つので、著者の想像についていけなければ脱落は必至です。むしろ分からないことは自分なりの解釈で読み進めるのが良いと思うのですが、そうするにはある程度SFを読み慣れていないといけないのかもしれません。そして、読み慣れるにはそもそも科学的なことに興味がないといけない。この時点でSFは人を選ぶと言われても、まあその通りかもしれないと納得せざるを得ないところがあります。ましてやハイペリオン四部作は文庫本にすると全8冊になります。一冊が500ページを越えていたりもするので、単純に物語として長いのです。固有名詞がバンバン出てきて情報量がパンクしそうな中、物語はどんどん展開していきますし、伏線はどんどん張り巡らされます。

そこで、物語や伏線に対する自分なりの理解を、あらすじと解説という形で文章にし、原作に対する副読本的な立ち位置でまとめます。たぶん、ハイペリオン四部作を読み切った人ですら、記憶があいまいな人は多いはず。物語をより深く味わうための助けになれば幸いです。ネタバレ全開ですが、物語に沿ってネタバレしていくので、未読の方がいましたら、興味を持たれた時点で、小説を読まれることをおススメします。

まず、『ハイペリオン』の目次を紹介しましょう。実は四部作のうち『ハイペリオン』だけが唯一、意味のある目次を持っています。それは、ハイペリオンにまつわる6人の物語がオムニバス形式で語られるからです。

  • プロローグ
  • 第一章
    • 司祭の物語:神の名を叫んだ男
  • 第二章
    • 兵士の物語:戦場の恋人
  • 第三章
  • 第四章
    • 学者の物語:忘却の川の水は苦く
  • 第五章
    • 探偵の物語:ロング・グッバイ
  • 第六章
    • 領事の物語:思い出のシリ
  • エピローグ

まずは、プロローグからどうぞ。

けっこうボロボロ

プロローグ

 場面は名もなき惑星に着陸している漆黒の宇宙船。そのオーナーは領事と呼ばれる人物である。領事は宇宙船のバルコニーで、連邦のCEO、マイナ・グラッドストーンからのFATライン通信を受信する。物語はそこから始まる。

 受信したFATライン通信によれば、グラッドストーンは、領事が時間の墓標への巡礼の一人に選ばれたこと、そして領事にハイペリオンに戻ってもらいたいことを伝えていた。

 グラッドストーンはその背景を説明する。ハイペリオンの領事館と惑星自治委員会は、時間の墓標が開き始めていること、そして「あの」シュライクと呼ばれる怪物が動き回っていることを報告した。それが三週間前のことだ。ハイペリオン在住の連邦市民を疎開させるために、連邦は直ちにパールヴァティーのFORCE駐屯軍から救援艦隊を編成した。この救援艦隊がハイペリオンに到着するのは、ハイペリオンの現地時間に換算しておよそ三年後だ。艦隊が救援として間に合うかは分からないとグラッドストーンは言う。

 メッセージはさらに続く。アウスターの群狼船団がハイペリオンに向かって接近しているという。その規模はすくなくとも四千隻であり、FORCEの統合参謀本部は、この接近をアウスターの大規模な侵攻だとみなしている。アウスターの目的が、開き始めた時間の墓標にあるのかどうかは分からない。いずれにせよ、連邦はFORCEの一個艦隊を、先行する救援艦隊に合流させるべく量子化させた。この艦隊はハイペリオンに転位ステーションを建造するためのものである。

 最後にグラッドストーンは、パールヴァティーの森霊修道会が、聖樹船<イグドラシル>の出港準備を進めていることを伝える。三週間以内にパールヴァティーへ行けば、宇宙船ごと収容しハイペリオンへ行けるだろうと。そして、七人の巡礼者のうち少なくともひとりはアウスターのスパイだとも。この巡礼に連邦の運命がかかっているとグラッドストーンは言い、メッセージは終わった。

 領事の宇宙船は、ハイペリオンへ向かうべく、まもなく名もなき惑星を離陸した。

解説

プロローグからしてこの情報量なのだから、世界観にまるで追いつけない読者がいたとしても、肯ける話です。小説本文では、背景の詳細はもう少し説明されるのですが、なにしろ頭の中に入ってくる新しい情報の量が単純に多い。解説しようと言ったって、どこから解説したらよいのやらというところがあります。

プロローグにおける登場人物は、領事とマイナ・グラッドストーンの二人です。領事は、小説本文では始終、領事と呼ばれ、彼が本名で呼ばれることは徹底してありません。では、どこの領事なのかというと、ハイペリオンという惑星の領事でありました。領事であったという過去形のとおり、現ハイペリオン領事ではありません。領事が今どのような公職にあるのかについては、プロローグの時点では推し量ることは出来ません。一方、マイナ・グラッドストーンは連邦のCEOであり、人類社会における政治、行政の頂点に立つ人物です。彼女の手腕にはすでに一定の評価があり、リンカーンチャーチルアルバレス=テンプといった歴史的偉人と比較されるほどです。アルバレス=テンプという架空の人物が、二十一世紀から聖遷までの間に活躍した人物として設定されているあたりに、世界観の細やかさを感じます。物語は、きわめて政治的な話から始まるのです。

そもそも、この物語が、いつ、どこでの話なのかを説明したほうが良さそうです。小説ハイペリオンの時代は、西暦にして28世紀になります。人類は21世紀には太陽系外への大規模な開拓、植民を開始し、これを聖遷と呼びます。以来、およそ800年に渡って、人類はその版図を広げ、200以上の惑星を開拓し、その人口は1500億人に達しました。その人類を束ねるのが、連邦です。連邦がただ単に連邦と呼ばれるのは、危機的な内乱を経験しつつも、連邦が人類唯一の統一政体だからです。

とは言え、連邦が全人類を束ねていたかというと、そうでもありません。開拓、植民を行った人類の中には、連邦が管理する宇宙の更に外へ進出する者があり、結果として彼らは連邦の管理下にはない独自の存在になり、アウスターと呼ばれるようになりました。時と共にアウスターの存在は連邦にとって未知となっていき、この時代、アウスターは連邦にとって宇宙の蛮族とすら表現されます。

さて、ハイペリオンと呼ばれる惑星は、連邦が管理する領域の外縁に位置する、今まさに開拓途上にある惑星です。ハイペリオンは長らく開拓されているものの、未だに連邦の領域として組み込まれない特殊な星系でした。その理由が、ハイペリオンにもともと存在する時間の墓標と呼ばれる遺跡の存在、そして、その遺跡の周囲をうろつくシュライクと呼ばれる怪物の存在でした。遺跡は明らかに人工物でしたが、その謎はいまだに解明されていません。さらにシュライクは、ときには惑星全土で入植者たちを殺戮しました。未知の存在に対する畏怖は、やがて信仰心を掻き立て、現地にはシュライク教団なる宗教組織も生まれます。そのような不安定な政情から、連邦はハイペリオンを傘下に入れることを躊躇ってきたのです。

連邦が連邦としての統一政体を維持できているのは、FATライン通信や、転位ゲートによって、たとえ何光年という距離の隔たりがあったとしても、情報や物質の伝達が瞬時に行えるインフラがあるからにほかなりません。このインフラがなければ、人間の時間感覚では一つ一つの惑星は、ほぼ孤立しているも同然です。ハイペリオンは連邦に併合されていないがゆえに、未だに現地には転位ゲートはありません。そのため、最も近隣にあるパールヴァティーからハイペリオンに向かっても、ハイペリオンの現地時間でおよそ三年かかります。もっとも、それでも超光速航法で移動するので、相対性理論でいうところの時間の遅れが発生し、船内の主観的な時間はもっと短くなります。連邦はハイペリオンに転位ゲートを設置しないことによって、文字通りハイペリオンと距離を取り、ハイペリオンの政情不安が連邦全体に波及しないようにしていたのです。

しかし、連邦の日和見をあざ笑うかのように、事態は展開します。時間の墓標が開きかけているという現地からの報告です。開くとは、遺跡の周囲をめぐる抗エントロピー場が膨張していることを意味し、これはシュライクの活動範囲を広めることを意味していました。もし、シュライクが惑星全土で活動すれば、ハイペリオンの入植者全員が危機にさらされます。また、時間の墓標が完全に開いたときに、何が起こるかすらも予測できませんでした。さらに、時を同じくして、アウスターの船団がハイペリオンに近づいていることを、軍部が偵知します。その目的は定かではありませんが、タイミングからすれば、アウスターの目的もまた、時間の墓標に関係することは予測されました。

グラッドストーンら連邦の首脳は、ただこの状態を黙視することを良しとせず、先んじてハイペリオンに転位ゲートを建設し、ハイペリオンを防衛の橋頭堡とすべく艦隊を派遣します。同時に、7人の巡礼者を結成し、時間の墓標とシュライクの謎を解明する希望を託します。領事はかつてハイペリオンの領事であった背景から巡礼者の一人として選ばれるのです。

事態の困難さを伝えるグラッドストーンの言葉から、物語の展開には既にクライマックス感すらあります。小説ハイペリオンでは、第一章から第六章に渡って、7人の巡礼者たちが、時間の墓標へ向かう途上で、それぞれの身の上を語り合うというオムニバス形式で物語が進みます。

続きはこちら。 yayoi-tech.hatenablog.com

部屋着の決定版、ユニクロのウルトラストレッチルームウェア

私はユニクロを良く買います。

ユニクロの良いところは価格が安いという点もあるのですが、常に改良されているという点にあります。ときどき失敗したなと思う買い物もあるのですが、忘れたころに買いなおしてみると、不満だった点が改善されていることがあるのです。

以前、ユニクロの肌着のTシャツを買ったとき、丈が異様に短くて着心地が悪いといったことがありました。普通のTシャツはズボンの外に出すのが前提なので、丈が短いほうが都合が良いのですが、インナーとしてのTシャツは、ワイシャツなどの下に着てズボンの中に入れることになります。なので、丈が短いと背伸びをしたときなどにインナーのTシャツだけズボンの外に出てワイシャツの中で浮くのです。これがとても気持ち悪い。おそらく、インナーのTシャツも、アウターとしてのTシャツも同じように設計されていたのだと思います。その肌着のTシャツは数回着たあと捨てることになるのですが、今もインナーはユニクロで買いますが、丈が短いなと不満に思うことはありません。改良されているんですね。ただし、ユニクロのトランクス、あれはダメだ。未だにすそ幅が異様に広くて履き心地が悪いことこの上ない。

前置きはこれくらいにして、最近ユニクロで買ったものでよかったのが、ウルトラストレッチのルームウェアです。

www.uniqlo.com

TVでも結構CMが放送されていたので、気になっていた人もいるかと思います。


ウルトラストレッチルームウェア UNIQLO 2019 Fall/Winter JP

柔らかくて伸縮性がある

ウルトラストレッチと銘打つだけあって、伸縮性が抜群にあります。柔らかいだけの生地とか、伸縮性があるだけの生地とかはあるのですが、この生地はその両方を備えています。正直なところ驚きました。大げさじゃなく初めての感覚です。着心地がどうこう以前に、腕を通すときの感覚、足を通すときの感覚に新しいものがあります。それくらい柔らかくて、良く伸びます。着ていて全くストレスを感じません。

生地は薄手だが暖かい

生地自体は薄めですが、その薄さの印象よりは思ったよりも暖かいです。薄めとは言え、裏地がタオル地というかスウェット素材になっているので、記事の薄さに比べて暖かさを感じるのだと思います。生地自体が柔らかいので空気の層を作りやすいというのもあるかもしれません。

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黒だからディティールが分からない(笑)

パジャマとして最適では?

私はゆったり目を狙ってLサイズを購入しました。現在、すこぶる満足しています。私はルームウェアやパジャマにそれほどこだわってきた人生を送ってきたわけではないのですが、もう一生、パジャマはこれでいいやとすら思える完成形がここにあります。

とにかく、生地の柔らかさ、伸びが抜群で、生地は薄くゴロゴロせず、それでいて薄さの割には温かい。着ていてストレスを何一つ感じない。まさに、パジャマとして最適なのです。リラックスウェアという名を完全に体現しています。リラックスするためのウェアです。風呂上がりにそでを通すのがちょっとした楽しみになります。

あとは、洗濯に対する耐久性がどれくらいあるかが興味深いところです。以前、ユニクロのルームウェアを買ったときは――こちらは商品として何の魅力も感動もなかったのですが――洗濯を繰り返すごとに大量の毛玉ができて辟易したことがあります。まあそこはユニクロなので、一年毎に買い替えてもいいやと思えるくらいの価格が良いところでもあります。また、ウルトラストレッチルームウェアに限れば、そう思えるくらいの品質が既にあります。

現在、11月21日まで限定値下げ中であり、上下セットで¥1,990です。ちょっとコスパが良すぎやしませんか。もう一着くらい欲しくなってきたぞ。

ゆったり着こなすためにピッタリよりもワンサイズ上を選ぶことをお勧めします。

三国志展に行ってきた

夏休みが終わる前にはいかなくては、という使命感のもと、平日に休みを取って、上野の東京国立博物館で開催されている三国志展に行ってきました。というよりも、二か月くらい前に行ってたのですが、なかなか記事がまとまりませんでした。

三国志展は、中国各地で発掘された副葬品などを主に展示したものです。なので、三国志展という名を冠しながらも、中身の雰囲気はむしろ三国時代展といったほうがぴったりで、三国志的な物語の要素はあまりありません。とはいえ、発掘品だけでなく、横山光輝の漫画や、NHK人形劇、ゲームの三国無双に関する展示もあったりするので、興味を失いにくい構成ではありました。

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トーハク三国志

私が興味をもった展示物をいくつか紹介します。

玉豚(ぎょくとん)は、豚の形を模した玉(きれいな石)のこと。曹操の父、曹嵩の墓(が有力説)から出土しました。死後の世界でも豚肉が食べられるように、遺体に握らされました。豚肉はおいしいよね。曹嵩レベルの人にすら、握らされたんだから、豚肉は今とは比べ物にならないほど貴重で高級な食材だったんだろうなとしみじみ感じます。曹嵩は豚肉が好きだったのかなと想像も捗ります。

玉装剣(ぎょくそうけん)は、青銅製で美しく装飾された剣のこと。劉備が祖とした中山靖王劉勝の墓から出土しました。劉勝の時代は前二世紀末で、時代が下ると武器は青銅製から鉄製に変わります。この玉装剣は最後の青銅製の武器の一つです。武帝の積極的な対外政策と前漢の絶頂期が、青銅製武器と鉄製武器の移行期と重なるのが興味深いですね。

熹平石経(きへいせきけい)は、洛陽の太学の門外に建てられた経書の石碑です。当時の書物といえば、人力で書き写したものだったので、間違いが多かったのです。蔡邕は霊帝に奏上し、正しい文章を石碑に刻んで広めました。霊帝は暗愚と評価されがちですが、教育に理解がある辺り、あながち暗愚とも言い切れないのではないでしょうか。一方、この石碑は、董卓の時代に三分の二が破壊されることになります。董卓は、当時の通貨である五銖銭の質を低めていたりもしていて、三国志で表現されている以上に、いろんな意味でマクロな破壊者です。ちなみに、使われている漢字は現代の日本語とあまり変わりがなく、「読める!読めるぞ!」とムスカ大佐の気持ちになれること請け合いです。正確には漢文が分からないと読めないのですが、日本の古文よりもだんぜん親近感があります。美しさすら感じる漢字です。

網代文陶棺(あじろもんとうかん)は土器の棺です。棺の材質は木が貴ばれていたので、薄葬(葬儀にお金を掛けないこと)を遺言した人物のものと考えられるようです。それにしても、サイズが小さいです。図録によれば長さ141cm、幅41cmとありますから、当時の平均的な体格が今より小さいであろうことを考慮しても、かなり小さいです。子供かな?

蛇矛(じゃぼう)は、蛇の舌を模した矛先をもつ矛です。私のイメージだと、刀身がフランベルジュのように波打っているイメージだったのですが、発掘されたものは蛇の二股の舌を形どったものです。突くというよりは振り回して引っ掛けるように使ったのでしょうか。いずれにしても実在はしているようです。こんなものを張飛が振り回していたのだと思うと、私だったらなりふり構わず逃げますね。

毋丘倹紀功碑(ぶきゅうけんきこうひ)は、高句麗遠征の勝利を記した石碑とされています。私が何よりも驚いたのは、近年の研究では、毌丘倹(かんきゅうけん)ではなく毋丘倹(ぶきゅうけん)とされる、ということですね。初めて知りました。

製塩図磚(せいえんずせん)は、製塩の工程を図にして煉瓦にしたものです。蜀は内陸でありながら塩の産地でもありました。劉備は入蜀ののち、塩の専売を行いました。考えてみれば、海のない蜀の地では塩がとれなければ自立することができません。蜀が三国の一方として自立できたのは塩という大前提があったからでしょう。

さて、ほかにもいろいろ興味深いものがあったのですが、熱心に見続けると集中力が切れますね。私は、一回だけだとすべてを楽しみ切れないような気がしました。本当に好きな人は、何回か通うんでしょうね。ちなみに、このような展覧会は、なんだかすごい久しぶりに来たので、えらく疲れました。通常展の方もつまみ食いしたので、四時間くらいはトーハクにいました。

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図録

あと、図録はぜひ買いましょう。図録は一言でいえば展示物のカタログです。これはおそらく、図録だけ買っても楽しめるものではないです。図録は実際に足を運んで得た経験を、記憶から呼び起こすためのツールです。逆に、三国志展に行った人なら、図録があれば家に帰ってからも妄想が捗ります。

三国志展の魅力はやはり発掘された出土品にあります。死後の世界で困らないように、日用品(を模した土器)などを副葬していたので、副葬品からは当時の日常を伺うことができます。つまり、副葬品という媒体を通して、今それを見ている私と、二千年前にそれを作った人が繋がるのです。何というロマン!  副葬品にまつわる人たちが見ていた三国時代の世界を、副葬品を通じて私たちが見ることができるというわけです。妄想が捗りますね!

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お土産は温州みかん(ほんとはクッキー)

映画『ジョーカー』と、次に薦めたい映画

wwws.warnerbros.co.jp

私はこの映画から何を学んだらいいのだろうかと考えてしまった。

事実を整理したほうが良いかもしれない。アーサー・フレックは次のような人物だ。

  • ピエロの派遣業で働いている
  • コメディアンになる夢を持っている
  • 独身
  • 病気の母を介護している
  • 精神的な病気を抱えている(突発的に笑いだす障害)
  • 公共機関でカウンセリングと、医療の補助を受けている

現状からして既に良いとは言い難い。それでも、この状態が安定しているのであれば、まだ心が満たされることもあったろうと思う。しかし、物語はことごとく悪い方向に進む。仕事は解雇され、母は実の母でないことが判明し、公共の医療サービスは停止する。アーサーにとって何一つ良いことは起きない。アーサーが犯した犯罪には個人的な責任しかないのか、社会的な責任はないのか。自己責任だけではなく社会問題へ誘導する意図が感じられる。

アーサーが自滅的な考えに早くからたどり着いていたのもの確かだ。彼のノートにはこう書かれている。

この人生よりも意味のある死を望む

この言葉は、物語上たびたび出てくる。コメディアンになる努力をし、公共の医療サービスを受けて自分の病気と向かい合ってはいるものの、根本的には自分の人生をより良くす努力は無駄だと諦めている。そして、ただ死ぬのではなく、死に意味を見出そうとしている。

一方で、冷静な解釈もある。この映画は、バットマンシリーズのヴィラン(悪者)であるジョーカーの前日譚であり、そもそもジョーカーありきで作られたものだから、社会的問題のような難しいことを考えるのは無意味だという理論だ。確かに、アーサーは精神的に壊れたからジョーカーになった、という筋を土台にしたこの映画は、アーサーをジョーカーに仕立て上げるために、思いつく限りの不幸を122分の中に詰め込んでいるに過ぎない。自己責任の範疇で好き勝手に犯罪を犯すのであれば小悪党にしかならない。ジョーカーという不世出のヴィランは、社会が生み出した理解不能なモンスターでなければならないのだ。

隣人のソフィーとの関係が、アーサーの妄想であったことが明るみになるシーンがある。このシーンの上手いところは、観客の誰もがアーサーとソフィーの関係を不自然だと思いつつも、観客に対してソフィーがアーサーだけでなく観客にとっても一縷の望みのように誘導したところにある。アーサーを理解するのはソフィーだけだったのである。それがアーサーの妄想であったことで、「ああ、やっぱりアーサーの妄想だったのか」と観客も失望するのである。アーサーは誰からも理解されないゆえに、他人からの理解を自分の妄想で自己完結しようとすらした。

アーサーは繊細でもある。アーサーの映像がTVで流れたとき、アーサーは喜ぶが、それが自分を馬鹿にした内容なのだと理解すると、笑顔は消え憤りを見せる。しかし、芸能人やスポーツ選手を見ればわかる通り、大勢の前に露出する人間は有象無象の批判を受けることになる。それでも成功する人は、押しなべて精神的にタフだ。

アーサーは誰からも理解されていなかった。アーサーをジョーカーたらしめたのは、世間の無理解という外的な要因と、精神的な弱さという内的な要因にある。映画のラストはジョーカーが病院でカウンセリングを受けているシーンで終わる。カウンセラーに対するジョーカーの次のセリフが心に残る。

あなたには理解できない

このセリフはカウンセラーに対する言葉であるとともに、観客に対する言葉でもある。

私は、人間の精神はもっと強いものだと思っている。アーサーと同じ状況に置かれたとて、アーサーと同じように犯罪を犯す人はまずいないだろう。一方で、状況だけでなく、アーサーと同じ人格、知識、経験、能力だったとしたらどうだろうか。犯罪という行動をとらざるを得ない可能性はあるのではないか。少なくともアーサーは犯罪を犯したくて犯罪を犯しているタイプの犯罪者ではない。証券マン、母親、元同僚、マレーのいずれを殺したときも衝動的である。マレーを殺害する直前までアーサーは自殺しようと計画していたくらいだ。殺人そのものの欲求を持っているのではなく、自身の不安から回避するための衝動的な殺人なのだ。不安から回避するための犯罪といえば方法としてあまりにも短絡的であるが、そう思う私たちでも、アーサーが見ていた世界で生きてみれば、どうなるかは分からない。

唐突ではあるが、いろいろと考えているうちに、私は去年見た『あん』という映画のことを思い出していた。そして、この『あん』という映画が、『ジョーカー』という映画から学ぶべきことは何かという問いに対する答えだと思った。

『ジョーカー』を見た人へ薦めたい映画『あん』

『ジョーカー』はエンターテインメントのための完全なフィクションなのに対して、『あん』はもっと現実的だ。フィクションであることに変わりはないが、現実を下地にした背景から成り立っている。『ジョーカー』と『あん』は全く違う映画であり、客層も全く違うように思う。しかし、全く違う映画でも、共通する価値観を見出すことができる。全く違う映画だからこそ繋げる意味があると思った。

an-movie.com

今はなき樹木希林が演じる徳江は、かつてハンセン病の患者だった。ハンセン病は皮膚に重度の病変を生じるため、その外見への恐怖心から歴史的に過剰な差別がされてきた。大事なことなので言うが、ハンセン病は現在では治療法が確立しているため根治することが可能で、後遺症が残ることも、感染源となることもない。WHOによって治療法が勧告されたのが1981年、日本の「らい予防法」が廃止されたのが1996年である。

映画『あん』は、ハンセン病の元患者である徳江(樹木希林)と、どらやき屋の店長である千太郎(永瀬正敏)との交流を描いた物語だ。徳江は千太郎に送る手紙に、次のように言葉を綴る。

こちらに非はないつもりで生きていても、世間の無理解に押しつぶされてしまうことはあります。智恵を働かせなければいけない時もあるのです。そうしたことも伝えるべきでした。

ハンセン病に対する世間の無理解は、私がどんなに調べたとしても、それは氷山の一角に過ぎない。徳江の人生は想像を絶する。徳江の人生観と精神には敬服するばかりである。

映画『ジョーカー』を見た人へ、映画『あん』をぜひどうぞ。私は、誰よりもアーサー・フレックに『あん』を見てもらいたい。

なお、『あん』は原作となる小説がある。

映画は小説にほぼ忠実なのも素晴らしい。私は映画から入ったくちだが、お好きな方からどうぞ。