弥生研究所

人は誰しもが生きることの専門家である

ロードバイクの魅力は何なのか

新型コロナウイルスの影響で、自宅で自粛している皆様、お疲れ様です。思うように休日を過ごすことができない中でストレスが溜まっていることと思います。かく言う私は、元来、基本はインドアですが、唯一アウトドアな趣味としてロードバイクを持っています。サイクリング自体は人との接触はありませんが、どこかで感染するリスクがないわけでもありません。私は、万が一のリスクを避けて、今年の二月くらいからずっと自粛中です。仕事はまだ影響が少ないので助かっています。

不安ばかりの社会状況ですが、季節だけは自然と廻って自粛しているのが恨めしいほどの日和になってきました。しかし、ロードバイクには乗れないという、この悶々とした気持ちを文章にぶつけて、ちょっとだけロードバイクの魅力について考えてみたいと思います。

f:id:yayoi-tech:20200516172325j:plain
Photo by Oktay Yildiz on Unsplash

長距離サイクリングをしよう

ロードバイクで一日(日の出から日暮れまで)に移動できる距離は、だいたい200kmくらいです。行程は直線ではないですから、単純な半径に換算すると150kmくらいになります。これは、東京駅を中心に考えると、関東一帯がすっぽり入る広さになります。

f:id:yayoi-tech:20200516172214p:plain
赤い円が半径200km、緑の円が半径150km

日の出とともに東京駅を出発すれば、日が暮れる頃には、軽井沢、草津那須、日光、箱根、富士五湖甲府、銚子、館山、などに着くことができます。それも自転車で。自動車や電車などを使わず、自分の体ひとつと自転車だけで、そこまで行けるのです。化石燃料などを使わず、自分の体が生み出すエネルギーだけで、そこまで行けるのです。自分の体力だけで長距離を移動できる。これが、ロードバイクの最大の魅力です。

普通に考えれば、軽井沢に自動車で行くとしても、ちょっと遠いなあと思うと思います。それを自転車で行こうと考えれば気が遠くなります。しかし、愚直にペダルを回し続ければ、いつか軽井沢までたどり着きます。これってすごいことだと思いませんか。

もちろん、一日に200kmをいきなり走れるわけではありません。普段から運動をして体力に自信がある人でない限り、ある程度の練習で体力をつける必要があります。しかし、200kmという距離は決して常人離れした距離ではなく、健康な人なら十分にたどり着ける距離です。私の個人的な体感でいえば、フルマラソンよりも楽です。別に、200kmという距離にも拘る必要もなくて、自分の体力に合わせた長距離サイクリングを楽しめばいいのです。

千里の行も足下に始まる

思えば、昔の人はみな自分の体ひとつで移動をしていたのであり、老子はこの当たり前の事実をもって「千里之行始於足下」、つまり「千里の行も足下に始まる」と表現しています。この言葉は「千里の道も一歩から始まる」と解釈されますが、とらえ方を変えてみると、どんなに長い旅路でも全て小さな一歩一歩で成り立っている、とも解釈できます。この解釈はむしろ荀子が「不積蹞歩以無至千里」、つまり「蹞歩(きほ)を積まざれば、以って千里に至るなし」とストレートに表現しています。小さな一歩を積み重ねなければ、遠い目的地には至れないということです。

自転車において、ペダルの一回転で進める距離は千里に比べたら僅かなものです。200kmという距離を走ったときに、いったいどれだけペダルを回転させたことになるのか。疲労で体が辛くなった時、私はペダルを回すことだけに集中します。日々のストレスから離れて、ただペダルを回すことだけに集中することは、とても贅沢な時間です。

あえて一歩を小さくすることで得られるもの

私たちの一歩は、科学技術の進歩とともに、どんどん大きくなっています。新幹線や飛行機に乗れば、国内はおろか外国のいたるところまで、体感的には一歩の感覚で到達することができます。その価値を私は否定しません。しかし、こと旅という概念に関しては、どこに行ったか、どれほど遠い地へ行ったかよりも、どれほど歩みを刻んだかが体感的な意味を成すと感じています。

私が初めて200kmを走ったとき、夜明けとともに自宅を出発し、日没後に帰宅しただけなのにもかかわらず、これは旅だなと大げさにも感じて、感動したことがあります。上述した200kmで行ける土地を、電車や自動車でいったとしても、特別な感慨などないと思います。しかし自転車だとすれば、自分の体力だけでここまで来てしまったのかと感動します。そして、走る距離はどんどん伸びていきます。

旅と旅行の違い

ところで、旅と旅行の違いについて考えたことはあるでしょうか。言葉の意味だけを考えれば、どちらも同じ意味を持って、明確な意味の違いを使い分けられることはありません。どちらも、住んでいる家を離れてよその土地へ行くことを意味します。しかし、私たちは、潜在的に意味の違いを感じ取って使い分けることがあります。私は、旅と旅行の違いは「目的の有無」だと思っています。つまり、よその土地へ行くことに目的があるのが旅行、目的がないのが旅です。

旅行には、温泉やグルメ、観光施設、絶景など、行先に目的があります。旅行はそれらの目的を達成するための手段でしかありません。しかし、旅には行先に目的はありません。強いて言うなれば、そこに行く過程こそが目的であり、手段を目的化したものが旅だと考えています。この点で私は、長距離サイクリングを旅だと考えています。

エネルギーに対する移動効率が高い

私たちにとって自転車は、あまりにも身近にありすぎて、実は過小評価されているきらいがあります。ロードバイクを含めた自転車の凄さについて紹介すると、エネルギー効率が高いということが挙げられます。自転車産業振興協会によれば、ある距離を自転車で移動するのに必要なエネルギー量は、徒歩の五分の一とも言われます。また、自動車やジェット機などの化学燃料を使用する乗り物と比べても、六分の一から四分の一だという試算もあるようです。

この高効率だからこそ、自分の体力だけで一日に200kmなどを走れてしまうわけですね。当然、200kmも走れば疲労感は相当あります。でも、その疲労感は小さな一歩を刻んだ証拠です。千里の先にたどり着いた証拠です。疲労感があるからこそ旅としての意味を体感できるのです。旅をするのに、別段、北海道や沖縄、海外に高いお金を払っていく必要はないのです。一歩をわざと小さくすることで、他人にとっては旅とは言えない小さなものでも、自分にとっては大きな旅にすることができます。それをいい塩梅で助けてくれるのがロードバイクです。それがロードバイクの魅力です。