弥生研究所

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Cyberpunk 2077 の発売日決定を記念して The Witcher 3 を振り返る

願いが叶わないよう、願いは慎重に選ばねばならない。*1

2019年6月10日、Cyberpunk 2077 の発売日が、2020年4月16日であると発表されました。このプレスリリースは、世界的にずいぶん大きな反響を呼んでいるようです。そして、私もまたこの発表に大きく反応した一人です。

Cyberpunk 2077 が、私を含め全世界で大きく期待されている理由はたった一つです。それは Cyberpunk 2077 が、CD Projekt なるポーランドのゲーム開発企業によって開発されているからです。2015年、同社は The Witcher 3 Winld Hunt というゲームをリリースしました。このゲームは、全世界で3300万本をリリースし、2015年のゲームオブザイヤーを筆頭に数多くの賞を受賞しています。そして、その結果が指し示すように、ゲームの内容は当然のごとく素晴らしいものでした(語彙力皆無)。私はゲームを趣味とする者として、ゲームに限りある時間とお金と情熱を注いできましたが、ウィッチャー3のゲーム体験は今までの体験を越えたものでした。そのゲーム体験を多くの人が経験したからこそ、CD PROJEKT RED への信頼は高まり、次に手掛ける Cyberpunk 2077 への期待が膨らんでいるのです。

この記事では、ウィッチャー3 を振り返ることで、開発元の CD PROJEKT RED の素晴らしさと、Cyberpunk 2077 へ寄せる期待を表現したいと思います。そして、CD PROJEKT RED と、その作品を少しでも多くの人に知ってもらえたら幸いです。

ウィッチャーとは

ウィッチャーは怪物退治を生業とする仕事請負人で、怪物と対等に渡り合うために人為的に肉体を変異させ、強靭な心身を持った人に非ざる存在でもあります。変異の結果として、彼らは、通常よりも長い寿命、高い新陳代謝、毒物への耐性など、人並外れた能力を持ちます。もちろんそれらは、死と隣り合わせの厳しい訓練と試練によって得られたものでもあります。尋常ではない彼らの存在は、しかし一般の人間からは侮蔑や迫害の対象でもありました。自分とは“違う”存在を排他しようとする働きは人間の生存本能、あるいは人間社会の根本的な防衛の仕組みであるとも言えます。ウィッチャーは特徴的な瞳孔を持ち、仕事の特性上、常に銀と鋼の二本の剣を持っていることから、その特徴を知るものからすればウィッチャーを判別することは難しくありません。心無い者たちは、ウィッチャーを指さして、人間の感情を持たない冷血動物だと揶揄するのです。

主人公、リヴィアのゲラルトは紛れもないウィッチャーです。それも新米ではなく、白狼、ブラビケンの殺し屋などの異名を持つベテランです。また、数あるウィッチャーの流派の中でも、狼流派を筆頭するウィッチャーでもあります。彼が名乗る「リヴィアの」は、彼の名字でも出生地でもありません。ヤルーガ川の戦いにおいて、ライリアおよびリヴィアの王号を持つメーヴ女王に加勢した功績により、彼女から下賜された騎士の称号です。

ともすると群衆から迫害されがちなウィッチャー達は、処世術として人間同士の対立には介入しません。ウィッチャーの強力な能力が、人間同士の政治的な対立の道具に利用されることを避けるためです。その代わり、怪物退治の仕事は徹底しています。どんな恐ろしい怪物であっても、報酬さえ支払われれば命を懸けて粛々と退治します。たとえ、依頼人がどんな悪人だったとしてもです。このクールさがウィッチャーを専門家たらしめている所以でもあり魅力でもあります。当然、ゲラルトもまた、報酬至上主義、政治不介入を信条としていますが、必ずしもその信条通りの固い男ではないのが、ゲラルトの魅力です。

ゲラルトの正義とプレーヤーの正義

ゲームの素晴らしいところは、プレーヤーの意思と判断が、ゲームプレイに反映されることです。これは、ウィッチャーシリーズの原作である小説では(ゲームブックという例外もありますが)表現できないことです。プレーヤーが選択するゲラルトの行動が、ゲラルトの人格を形成します。ゲラルトの人格には、ある程度のベースがあるとはいえ、プレーヤーが100人いれば、100人のゲラルトが存在するわけです。

ゲラルトは完璧に仕事をこなしますが、その人間性は必ずしも完璧と言えるものではありません。冷血動物と揶揄されているとは思えないほど豊かな感情、長い人生経験から得られる広く偏りのない知見、ウィットの効いたジョーク、しかしながら何よりも女好きです。

そんなゲラルトにも確固たる価値観、正義が存在します。その正義はプレーヤーの手に委ねられている部分でもありますが、公式のトレーラーでも表現されている通り、プレーヤーの正義をゲラルトに射影することこそが、開発陣の狙いとも受け取れる節があります。ゲラルトの正義を表現したちょうどよいトレーラーがあります。日本語字幕をオンにして見てください。

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暴漢たちを次々と殺していくゲラルト。最後の一人になった男は詰め寄るゲラルトに「何をする!?」と問いかけます。ゲラルトは「怪物を殺しているのさ」と答えます。暴漢たちはゲラルトに怪物退治を依頼したクライアントでもありました。いつもなら報酬だけを受け取って立ち去るところですが、そうは問屋が卸さないのがゲラルトの正義です。それはまたプレーヤーの正義でもあります。ゲラルトにとって、人もまた怪物たりうることを示しています。

プレーヤーにフォーカスする

ウィッチャー3を体験したプレーヤーは、CD PROJEKT RED が類まれなゲーム開発スタジオであることに気付きます。CD PROJEKT RED の姿勢は、昨今、日本に蔓延するような、プレーヤーの射幸心を煽ってじゃぶじゃぶ課金させるような姿勢とは対極にあります。企業である以上、営利目的があるはずですが、彼らの目線の先には「お金」ではなく、「プレーヤー」がいるような気がします。そして、そう感じられることが、私にとっては嬉しいのです。

ゲーム本編において、ゲラルトがプレーヤーに対して語り掛けるシーンがあります。それは、おまけのようなワンカットなのですが、ゲーム内の登場人物がプレーヤーに語り掛けるゲームは、少なくとも私はウィッチャー3以外に知りません。そして、こういった細やかな配慮こそが、CD PROJEKT RED がプレーヤーにフォーカスしている証拠でもあります。ゲラルトとプレーヤーのコミュニケーションは、シリーズ10周年の記念トレーラーでも使われているあたり、彼らの常套手段のようですね。

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ファンサービスも極まったものです。こんなトレーラーを見たら、かつてのプレイ体験を思い出すこと請け合いです。

高まる Cyberpunk 2077 への期待

以上、ウィッチャーの魅力と CD PROJEKT RED の魅力の“一部”を紹介してみました。正直なところ、ウィッチャー3に関しては語っても語りつくせない魅力があります。クエストは一つ一つの質が高いですし、名場面、名言あり。ゲラルトとゲラルトの仲間たちが大好きです。ただ、もし本当にウィッチャー3を知らない人がこの記事を読んでいたらと思うと、ネタバレだけは避けたいのですべてを語りつくせないのです。

それでもこの記事が、なぜ Cyberpunk 2077 が期待されているのか、その理由の説明になっていればよいのですが。でも、冗談抜きで、これから10か月の間、Cyberpunk 2077 を生きる糧にする人もいるんじゃないでしょうか。かく言う私も、その一人かもしれません。

*1:オルギエルド・フォン・エヴェレック