弥生研究所

人は誰しもが生きることの専門家である

新しい財布が欲しくなったので調べてみた

革製品には独特の良さと悪さがある。

その良さの最たるものは、革には育てる楽しみがあるというものである。逆に悪さを挙げるとすれば、重い、水に弱い、メンテナンスしないと劣化するということだろうか。革の良さを最初から知っている人は少ないかもしれない。私も最初から革製品が好きだったわけではなく、その性質を知るようになってから好きになり集めだすようになった。

昔の私は、それこそ革靴などは無くなってしまえばいいとすら思っていた。仕事で仕方なく履かなければならないもの。その程度のものでしかなかった。確かに、今の時代、革靴に機能的な優位性はほぼ無いに等しい。機能性は圧倒的に人工的な合成素材で作られた靴のほうが優れている。革靴でスポーツをやろうなんて人間はいない。しかし、合成素材の靴はどこまでいっても使い捨てである。なぜなら主要な素材のポリウレタンは空気中の水分と反応して加水分解し、たとえ履かずに大事に保存していても勝手に劣化していくからである。しかし革靴は、製法や手入れの仕方にもよるが、正真正銘の一生ものである。革靴のすり減った靴底は交換、ないしは補強することで使い続けることができる。時間をかけて履き続けることで、革が自分の足の形に馴染み、その革靴は自分のためだけの革靴になる。

こういう逸話もある。ある富豪が高級車を盗まれたとき、その車のトランクには履きならした彼の革靴が入っていた。富豪は次のようにコメントしたという。盗んだ高級車はくれてやるからトランクの中の革靴だけは返してくれと。高級車はいくらでも買いなおせるが、自分の足に馴染んだ革靴は買いなおせないのである。イタリアのことわざでは、靴は人格を表す、ともいう。

私は革靴に関するそういった知識を得たとき、革靴に対する見方が変わった。ちょっと大げさではあるが、つまりこういうことである。一人の人間に世界を変えることはできないが、ほんの少しの知識だけで世界の見え方は容易に変わる。それは私にとって世界を変えたのと同じことなのである。

別段、革製品が好きでなくとも、革製品を使っている場合はよくある。特に、財布、革靴の類はそういうものとして定着している感がある。しかし悲しいかな。そういう普及している革製品ほど、革としての本来の扱いを受けておらず、革から見ればちょっとかわいそうな状態になっていることは多い。革靴は価格帯が幅広く、安い革靴は履きつぶすものとして使っている人も多いのではないか。財布に関しても、ノーメンテナンスで何年も使い続けられているものがどれほどあることやら。要は、革製品の良さを知らず、知識のない状態で革製品を使うことは、言ってみれば猫に小判、豚に真珠なのである。

私が2012年から使用しているポール・スミスの財布も、まさにそんな状態であった。変哲のない二つ折りの革財布であり、外側は黒で内側はヌメ革のナチュラルという個性の少ないデザイン。あえて特筆するならば、ポール・スミス特有のストライプが内側にさりげなく配されているという奥ゆかしい御洒落さがある。この財布に対する思い入れは殊のほか大きい。個人的なことは置いておくとして、要は、とある記念に人から贈られた頂きものなのである。私はこの財布を気に入っていて、ビジネスだろうがカジュアルだろうが(スポーツの場面を除いて)どんなときでもこの財布だけを8年間にわたって使い続けてきた。全くメンテナンスすることもなく。

最近、新しい革財布が欲しくなってきた。

最近は財布でもクリームくらいは塗って手入れをするようになったが、さすがに少しくたびれてきた雰囲気がある。未だに現役で使っていられるのは、この商品の品質が一定以上であることを伺わせるし、そして長期の使用は、なによりも革製品だから出来ることである。こういうことは布製品、特に化繊では出来ない。ちょっとくたびれたくらいが味になるのが革製品の良いところではあるが、使い潰したくもない思いもあるので、今の財布を休憩させる意味でも、別の新しい財布でも買おうかと、思い至ったのである。

物欲を満たす楽しみは買う前からすでに始まっている。買う前の吟味するという工程なくして、真に物欲を楽しんだとは言えない。軽はずみにポチったりせず、グッとこらえて時間をかけて吟味する。吟味に数か月をかけ、時には物欲そのものを寝かして数年を要すこともあり得る。それでこそ物欲道?である。

そんなわけで、私が今注目している(吟味中)の財布を挙げる。

万双 コードバン 長財布(小銭入付)

コードバン 長財布(小銭入付) | ブライドル・コードバン・シモーネレザーの革鞄・革財布 | 万双

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参照:https://www.mansaw.net/

この商品をいつ知ったか、既に記憶が定かではない昔である。しかし、ずっと記憶に残り続けている商品である。私はこの長財布を見たとき、もし長財布を買うときが来るとしたら、万双の長財布を置いて他にないと思ったほどである。そして、その印象は今も変わらない。

ゴテゴテした印象のない、無駄のないデザイン。デザインとはどう見えるかではなくどう機能するかだと説いたのは、かのスティーブ・ジョブズである。この手のデザインの追求者はジョブズだけでは決してないが、万双もまた強烈な方向性を提示するブランドである。万双は「私たちは町場の鞄屋」と自らを表現している。ブランドロゴやタグをデザインに配さないこだわりや、直販のみという営業気質。あぁ、好き。財布に限らず万双の商品はいつか大事な時に買いたいと思っている。一方で、果たして万双の商品を買うに相応しいだけの人間に、いつになったら成れるのだろうかと途方に暮れるのである。

土屋鞄 ディアリオ ハンディLファスナー

ディアリオ ハンディLファスナー – 土屋鞄製造所

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参照:https://tsuchiya-kaban.jp

長財布からあふれ出る高級感は、ちょっと私には制御し切れないかもしれない。そんな臆した心に寄り添ってくれるのは、やはり二つ折りの財布か。しかし、二つ折り財布ばかり買っても面白くない。悶々とするわがままな人の目にとまるのは、通称「Lファス」と呼ばれる土屋鞄のミニ財布であった。

このLファス。通常タイプと一回り小さいハンディタイプがある。しかし、なぜか小さいほうのハンディタイプがより高いのは、素材の違いがあるのかもしれない。私ならハンディタイプの方が欲しい。自分の用途を想像してみるに、もともと財布の中身の少ない私にとっては、ミニ財布でも十分使えると思っている。ところで、「Lファス」の愛称の通り、この財布は比較的手ごろな価格と相まって売れに売れたらしく、インターネットで調べてみても、所持者によるレビューや経年変化・エイジングの報告が多く、情報収集に事欠かない。とりあえずLファス買っとくか、と思わせる恐ろしい魅力がこの財布にはある。

ちなみに、土屋鞄ではマネークリップも取り扱っている。電子マネーが広く普及しているとはいえ、しかし私の生活スタイルでは完全に小銭を捨てるわけにはいかない。「Lファス」と両方持ったりしたら、素直に二つ折を買えという至極正当なツッコミを自分にすることになるだろう(戒め)。

物欲の道は続く。